何故!と幼児の様な気持ちで問う事
「見たもの、手に触れたモノに驚く幼児が何故、何故と云う様な気持ち」で実践指導される事とことば、弓術書の文言に”問う”事から始め、継続する事、それは大きな意識変化と学べます。この意識を問い、意識を変えて事に臨むことほど難しいと、今も思います。射はそれを求めていると理解できます。それ故正しいとか、素直とか謙虚とかの言葉が多いと思います。
「正しい技を心から欲求する」意志をもって、弓術書にある理論を究めつつ射にのぞみ、「当てたい・人に勝ちたい・箔をつけたいなど他人と比較差別から生まれる欲望」から離れる射事に徹すると学べました。正しい技を求める欲求と比較差別の欲望、欲求と欲望の狭間の心に去来する正雑正邪を一射の内に覚知することが始まり、と学べます。
問う事は教本の”技法の段階”にも記載されていると学べます。本多利実師は指導する側がそれに応じるのが近代現代の射の教授方法と「弓道講義録」に述べています。