寡聞遠矢考
遠矢の事を繰矢とも云う
寡聞遠矢考
遠矢の事を繰矢とも云う
武禅第二巻 「寡聞遠矢考」 橋本幸夫氏
「自分は弓書に散見する古人の遠矢に就ては、小説的伝記と見ることは出来得ないと思う。源為朝・能登守教経・名和長年・甲斐宗連(肥後三舟城主天文年間)森大學等が代表的な強弓遠矢の達人と見られる。唯一口に遠矢と云っても、今日の遠矢(繰矢)と往古の遠矢と同一に見ることは許されない。足利の中期までは、平日使用する戦闘用の征矢様のものを用いたことで(繰矢を用いし事もあれど、多くは征矢を用いしと見る)矢の根の重量は凡そ十三四匁より二十匁近きを用い(矢の根 13匁~20匁 : 約50g~約75g)矢抦(箆)も十匁より十四五匁迄を使用されている。(これ等のものは僅に残る古矢の充分使用されたるものに依って考証す)(矢の箆 10匁~15匁 : 約38g~約57g)遠矢の目的は、弓勢即ち矢の貫通能力の試練のために用われたもので、今日の興味本位の試射と異り、直接実戦上の対敵価値の自覚を得るためであったことは論を俟たない。勿論遠矢に記録を残している人々は寸以上寸二分位の強弓を使用して居たと記されて居るが、その(弓の強さ 寸 ~ 寸二分 :約3cm ~ 3.6cm : kg ~ kg)寸法も指計り寸法で今日の如き正確なるものでは無かろうが、大体於いて大差の無い一定の 標準は存して居たものと見られる。其の点から推して今日の分合より多少厚目に見て差支え無いと思う。弓の力も随って強いが、それにしても矢の目方は、徳川上期時代の征矢標準より 遥に重すぎている。
… 略 … 」
実践、実用の弓箭がケタ違いの道具であることがわかります。そしてこの道具を使うワザが伝統の射法射技となって今につながっていると考えるべきでしょう。の「寡聞遠矢考」には昭和9年当時の方の道具と遠矢の記録が記載されています。
繰矢 四匁五六分~五匁四五分 (試算:繰矢 約17g~20g)
弓 六分七八厘 (試算:弓 約32、3kg)
飛距離 百八十~百九十間 (試算:飛距離 324m~342m)
射手 曽根正康氏、桂義郎氏
又、橋本幸夫氏は古人の弓の引き方、カケの構造などから「四町何反、五町何反(240間~300数十間:430m~540m)は真に信じ難いことであると思うが、自分は決して古人の遠矢の距離は誇張で無いと信ずるのである」と記述しています。又、梅路師に関する記事があります。抜粋すると橋本氏の意を曲げますので原文をお読みください。ちなみに武禅には、弓は五分八厘、六分六厘の的弓、七分五六厘の弓に関する記述があります。