心の病
心の病
技の病の根にあるのは心の病です。
それ故、以下の「弓道講義」第一編 総説 第二章 修習の順序 「第一節 弓を学ぶにつけての心得」にて、弓を修するには「射の法則・規定」と順序にがありますが「弓を射て見様と志す人は、第一に心を正しくする事」と述べておられます。
心の病の根は、前段の「技の病」で取り上げました本多師の「弓道講義」の指摘に明らかです。射の理を究めようとしない事は手を抜く横着な心の病、表面的な肩書、権威のもとの比較差別の上下関係・勝ち負けに拘泥する、欲望に起因する病と云えます。横着な心も欲望に起因するといえます。
「技の病」で取り上げました本多師指摘を再度載せます。
「弓道講義」本多利実講述:1923年大日本弓道会編(国立国会図書館蔵版) 注:明治42年大日本弓術会編「弓術講義録」内容は同じ
第一編 総説 第一章 緒論
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只今申上げる通り其頃の藝術と申しまするは唯形のみとなりて、法則などは少しも無頓着なものでありました。それ故子弟とも法則を探索し之を研究して見ようというものは一人もないと申して宜い位でありました、弟子はただ師より、目録とか、免許とか、指南とか、皆伝とかを得んことを望んで、之を修るという始末なので御座います。階級さえ得られればそれで満足する譯なのでありました、其術の上の規矩とか法則とかいうものを詮索し様などという考えは持たなかったのでありました、之も時勢の然らしむる所で致し方ないので御座います。
そこで今日に至れば其当時とは皆反対になりまして、総て今日は諸事共に緻密成る事が流行であるから、この芸術も其の儘という譯には参りません。
併しながら、今日では何も弓を軍器として使用する譯ではないのであるから、古と今とはその目的も自然と相違は致しているものの、苟も之を学ばんと思う人は、必ず只今の流行に従うて其法則などは根ほり葉ほりしてその術を究めねばならんのでありまするから、古の師弟の関係とは、全く雲泥の差を生じております。(以下略)