孔版型紙から生まれるモノ
孔版型紙から生まれるモノ
孔版型紙を彫り使う中に心の風景を繰り返します。
数枚の和紙を柿渋で塗り乾燥させた渋紙(型紙)は水に強く、寸法安定性に優れた堅牢な耐水紙となります。
この渋紙に文様を刀(トウ)で彫込み(切り貫き)、反物の絵柄の染付道具の型紙を作ります。この型紙を繰返し用いて一反の絵柄の染色(藍染等)して現れる表象は着物や浴衣の美しさを思い浮かべます。
孔版型紙を彫る技の修得には、型紙を用いて反物に防染糊を塗布する後工程の技を実践して修得する事が必要です。
職業ではなくとも反物の伝統の染色型紙を彫るのであれば、道具の型紙を使う後の工程の段どりや、道具の整備、素材の調整など等、事物の本性とモノ作りをする自己の動作と意識の合理的な関りを学ばなければなりません。その技の深化によって、初めて新たな創作が起こります。
渋紙番手
型紙寸法
絵柄寸法
むしろ、この技の修得の課程で道具としての型紙の限界性と可能性を知ることで切り絵とは全く異なる事を知り、「使われる道具の型が生み出す表象」にいつも新たな可能性を照らすと思います。
同じ表象の事物の制作が手工業生産となって生活の場に活かされれば、確率と収率の経済合理性の科学的生産と、鈴木大拙博士の云われる前科学的な認識を含む日本の合理的な事物の生産意識の相違を認識、自得させてくれます。時代に応じた生活に供するモノを考え、生み出す作業をする己の姿を知るにつれて、刻々変化する自然事物や社会の事物に対峙する、自分の心や姿の不安定さに気付かさせられます。気が付くか否かは心が素直にして謙虚であるか、おのれの意識を問う事になります。
型紙を創作する時から渋紙を彫る技の作業の間、孔版型紙を使う技の作業中に揺らぐ知覚、迫られる決断も風景が浮かびます。伝統の技とは何か、「人にとって技とは何か」と意識の在り方、心の風景を問います。
孔版型紙を用いる作業には、時々刻々温度、湿度の変化に拠って次の作業で何を為すべきか予知して決断を迫ります。猶予はありません。
己の不安定な心は何処にいるのか、無自覚な心の不在と自立しない不安定な己こそが、事物や事象の変化を正しく感知させません。繰返し正確にして再現性のある行動を損なえば、同じ柄が繰り返し現れる表象が醸し出す均質で迫力ある事物は生み出せません。出来たものは凡そ伝統の事物とは云えません。
その「失」の自覚は、先人の示した事物と、何故、その”かたかたちわざ”なのかを問い学ぶ世界へと誘います。やがて身に着いた「正しい技と正しい心の欲求」からくる動作が何か、先人の事物が私たちに伝えています。反対に、横着して手を抜き、姿・形・結果だけに意識が行き、純真に「正しい技」を求めようとしない欲望が心が出た事物の姿は、権威に依拠する他力の中に埋没する自分の姿を映し出します。
一事が万事、何も事にも通ずると思えば、千年数百年の伝統の技の変容の歴史と事物は、今まさにAIの時代の心の姿に反映されます。
伝統の技を習得する中で試みた「着物」などに加え
新しい提案に壁画や壁面素材の「フレスコレリーフパネル」と空間装飾用の「型紙モビール」を次に記載します。