明治42年「弓術講義録」 大日本弓術会 版
本多利実師講述「弓道講義」大正12年大日本弓道会 (国立国会図書館蔵)
の冒頭の記載を取り上げます。
明治42年「弓術講義録」 大日本弓術会 版
本多利実師講述「弓道講義」大正12年大日本弓道会 (国立国会図書館蔵)
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本多利実師講述「弓道講義」大正12年大日本弓道会 (国立国会図書館蔵)
(又は明治42年「弓術講義録」 大日本弓術会 版 )
弓道講義 射術之部 第一編 総説
第一章 緒論
抑も弓術なるもの、之が諸君もご承知の通り、弓は我国に取りましては誠に太古の時 代より用いられました武器の一つで御座いまして、年と共に進歩して参りました 然る所維新前太平が大凡二三百年も続きましたから自然と弓術も名義と形だけがが残り、それが今の世に伝わって参ったと申してよいので御座います。
此れ単に弓ばかりでなく、己に弓馬槍剣銃砲と申し、又柔術他あらゆる技藝と申せば色々ありまして、俗に十八藝とさえ申程ありますけれども其中で最も誰にも真似のなし易きは此射術であります、一体此射術が真似をなし易いと申しまする訳は撃剣、柔術などと事はかり、初めより痛いとか、苦しいとか申すことが御座ませぬ為かと思われます、それに今日西洋式の運動の流行盛なるにも拘わらず、弓術は運動として誠に結構なるものと認められるるは、独り弓術大家若しくは医師等専門家の説のみならず、唯の素人も唱える様な次第であります、実に弓は身体各部の運動としては極めて結構なる品でありますから、夫れ等も今日盛に行わる理由の一つかと思われます、故に当節は案外弓を採る人が多くなりました、今後に於いても日に月に益々盛んになることかと存じます、今射術を習うについて一言申しましょう。
射術も前申す通り、二三百年来打ち続きし太平の為に、嘗て中古先輩及び一流を立てし祖師等は順序を立てて学び易き様に仕組まれましたけれども、その太平につき、そういうことには余り意を止めず、唯武士は武士の職として弓馬槍剣銃砲等を学ばねばならぬという事から、之を御役目的に手に採る様な始末でありました、されば其法則などを調べるものは殆ど無いと云っても宜しい位で御座いまし、それ故其頃の時代に其術を子弟に伝授する者は、唯自分が先師より手真似、足真似によりて得たる所を伝うるだけのことであったので御座います。されば若し師なるものが、弟子より「此処は如何様な訳であろうか」と質問を受けたとて、今日の如くにその理由を一つ一つ説明しなかったのであります、否其の師が説明できなかったので御座います、其当時太平の時代のことを御話するのは誠に恥かしいことではありますが、道の為なら致し方も御座いません。
只今申上げる通り其頃の藝術と申しまするは唯形のみとなりて、法則などには少しも無頓着なのでありました、それ故師弟ともに法則を探鑿し、之を研究して見様というものは一人もいないと申して宜しい位でありました、弟子は唯師より、目録とか、免許とか、指南とか、皆伝とかを得んこと望んで、之を修るという始末なので御座います、階級さ得らるればそれで満足する訳なのでありました、其術の上の規矩とか法則とかいうものを穿鑿し様等という考えは持たなかったでありました, 之れも時勢の然らしむる所で致し方ないので御座います。
そこで今日に至れば其当時とは皆反対になりまして、総て今日は諸事共に綿密なる事が流行であるから、此藝術の方も昔其儘という訳には参りません。併しながら、今日では何も弓を軍器として使用する訳でははないのであるから、古と今とは其目的も自然と相違は致して居るものの、苟も之を学ばんと思う人は、必ず只今の流行に従うて其法則等は根ほり、葉ほりしてその術を究めねばならんのであるから、古の師弟の関係とは、全く雲泥の差を生じております、それで偶遇師につきて習う者は形だけでも教えを受けてしますからるから宜しとするも、邊土鄙のにありて弓を引く人は多くは所謂我流の方の伝である、それで志あれども折角の目的も遂げ得られぬ物も沢山あると聞き及びます、故に此講義録を発行してしてそういう方々の便宜を謀ることと致しました。
第二章 修習の順序 第一節 弓を学ぶにつきての心得 (別途記載) 第二節 素引き (別途記載)
以上