書き下し:私の射の風景・射の自画像
書き下し:私の射の風景・射の自画像
19歳で弓を手にして60年、このHPの主意に従って今の風景に至る道を徒然なるままに想い描きます。振返れば、42歳までは十六、七㎏の弓で射形を真似て当ていた射といえます。「強い弓を引かねば射の事は分りません。教本に「何故」と問いつつ学びなさい。歳老いて射場の一射は25kg程、巻き藁では30㎏ほどが引けると良いです」と云われる74歳にして25、6㎏の弓を悠々と引かれる先生の一言で、今、六分から七分近くの弓で稽古を楽しむ姿になりました。
道場の風景を描きます。
これから述べる先生のお話は道場におられた誰もが伺いました。まず、先生は手の内が弓と調う模式的な方法と弽の構造と用法と離れの模式的な稽古の方法を実践して示されました(先生の意図どうりかは、今は先生が居られませんので不明です。後ほどそれを私の責任で私に言葉で記述します。動画も試みます)。わたしは20余年の癖だらけで、胴造、弓構、打起など悉くと云って良いほど指摘され、指摘されるごとに弓術書の記述を取り上げました。「教本に何故と問い掛けて学びなさい」と云われ、読んでいるようで眺めていた自分を知り、意識を変えて「読込み」を始めました。
行射は、最初の一手は座射で式に則り行う事、あとは、狭い道場なので矢数をかけました。先生は弦を執って教授し、共に行射するだけで、「ああしなさい、こう為さいなさい」とはほとんど言われません。
意識の事
意識を変える事と実行には大きなギャップとわかるまではこれまた深い意味があります。市の公共弓道場が完成したころ、「弓道を学ぶには」池田正一郎述A4判の示唆をいただきました。これも誰もが戴いたと思います。私は意識を変えれば、自然に道が開け、心の所在によっては瞬時に会得する道を想う事にしました。
この心の所在がなかなか不明ですが、稽古のたびに今も、道の先に導いてくれると今は思います。意識は180度真逆になっても、実際の行動は不完全でその不完全さが180度意識の返還した思う心の所在のいい加減さを明瞭にします。技で云えば正確の近似値であって正確では無く、先哲の示唆の真に接していないという事と理解しています。
射の自画像の中味
先哲の示唆 骨法、八節、射法要諦
先哲の技術
私の射の自画像