蟇目鳴弦
蟇目鳴弦
梅路見鸞師「武禅」
本多利実師「射法正規」本多流弓術書の巻頭の明治37年69歳「利實翁の鳴弦」の気迫とオーラ
石堂竹林坊如成師「尾州竹林派弓術書」
享保時代の文献:橘家蟇目口伝、橘家蟇目之大事、橘家蟇目秘伝
弓の精は中りなり、顕幽を貫通する射を成す方々が生死をかけて蟇目を為しこれを説く先哲から学べば
「矢が行く先に的が無く矢が飛往く先に意も無く、垂れ幕などに矢を止めさせる事は射では無く演武でも無く演舞であり当然蟇目でも無い事」で、それを神事祭事と云って人心を惑わす様な弓箭の扱いなどは、弓道をもって人の道を説く人に在ってはならない事と学べます。
「ひきめ」に「蟇目」とありますがとても違和感を覚えます。享保年間の橘家蟇目口伝にはその意が記されているがどうも納得がいきません。弓道辞典や大言海はひきめに用いる矢の音に関する記載があります。出処は「貞丈雑記」と思われます。以下、その事を記載します。