「問い」:私の問、弓友からの問
八節の各説はサブページに掲載
「問い」:私の問、弓友からの問
八節の各説はサブページに掲載
〇普通の強さの弓は20数㎏程度(六分数厘の弓)関して
何故、「初めて弓を手にしてから半年から一年で六分弱:20㎏程度の弓が楽しく引ける」と明治22年「弓道保存教授及演説主意」射法が骨法から成る事を説き本多利実師は断言し、高穎師著「射学正宗」に同様の記載を見るのでしょうか。
何故、”初心者や技量の無い人は強い弓を引いてはいけない”と必ず但書があるのに、”指導者や熟達者”も又、本多利実師が普通の強さ弓25kg前後の弓を強い弓といって、常用しないのでしょうか。
何故、今は、六分数厘(20数㎏以上)の弓を実践指導される方が少ないのでしょうか。
何故、竹林坊如成師は「美しく引く事・射形ばかりに気がとらわれる事」を射の病の始めに云われるのでしょうか
何故、本多師は「弱い弓で当てても詮無き事」と云われるのでしょうか
何故、本多師は「形うるわしく引く事は修行の積んだ暁にすべき事になっている」と云われるのでしょうか
何故、現代弓道は「十数kgの弓が一般的」と云われるでしょか
何故、本多利実師はアタリは「技三・精神七」と云われるのか
何故、「的中必ずしも正射ならず」なのでしょうか。何故、現代弓道は「的中至上主義を排した」と云われるのでしょうか。
何故、「当てるのでは無く”中る射”」なのでしょうか
課題 骨法の道理とは何なのでしょうか。何故、弓を射るのに「法」があるのでしょうか
初めて弓を手にすれば、弓を引くのに「法」、射法八節が在ると学び、八節の見える姿を真似て射形を作る事を教えられます。しかし、八節の「法」が「骨法の理」のから成る事が書に記述されているにもかかわらず、何時まで経っても「骨法とは何か」を伝えず、また、「骨法を定義」して「実践」で示す方が少なく、現代の弓術書にも見られません。
「何故の答え」は明治時代、今私達が為している近代弓術の祖、本多利実師の著書に明解です。その答えは「射法訓」の先、竹林派弓術の始祖竹林坊如成師に喝破されています。それは射の技を伝える側の課題・指導者の課題であることを本多師は断言しています。
力を使わない事
少しでも強い弓を手にして「正しい技の理を求め続ける事」と心に定め、「”射:はじめに”の項の問い」を続けます。
何故、
何故、和弓を用いた数百年続く射法八節に示される「射法訓」の技を実践しているのに、現代は普通の強さ(25~30kg程度)の弓を忌嫌い、10数㎏の弱い弓、弱い弓へと志向する傾向は何故なのでしょうか。
何故、
弓を引くのに”両手だけにその仕事をまかせ、他方腕と肩の筋肉はどこまでも力を抜いて・・・” と阿波見鳳(研造)師はオイゲンヘリゲル師を教授するのでしょうか。
何故、日弓連の教本には「力を用いず弓を開くところに射の美しさがある」とヘリゲル師の言葉に依拠して記述するのでしょうか
何故、梅路見鸞師は一、正雑二念の平衡を保つこと、に始まる射法七要諦を示し、一、筋肉を自然に働かすこと、一、弓箭を自然に働かすこと、と述べ、「上下前後左右、正等にして不動なること」など等の姿・形などの外見ではなく、射の内実を示されるのでしょうか
何故、竹林坊如成師、高穎師、本多利実師、梅路見鸞師、阿波見鳳師、等先哲は”形にとらわれるな”と示唆されるのでしょうか。
何故、竹林坊如成師が”射の病”のはじめに「輪廻の弓と云って射形の迷い」と断じ、「見られる姿かたちに捉われる精神の病」を警告されるのでしょうか。
何故、「射形の迷い」は”弱い弓、弱い弓へと志向する病なのでしょうか。
何故、先生は”強い弓を引かねば射の事は分からりません”と云われるのでしょうか。
課題、普通の強さの弓:六分数厘の弓も射こなさずに「弓道の真理」に至る「道」はどのような世界なのでしょうか。