《 真理と道理 》
「正確」とは何かを問わなければなりませんが、現在、変化している状況の先(未来)の状態(自分が立脚している結果)を予め確信できることほど生命にとって安心な事はありません。
私達の生活の ”ヒト、物、環境の三つの要素” は関係しあって連続的に変化しています。変化していない様に見える事象も、見方を変えれば、変化を認識できる論理的な思考を私達はとります。
”自然の事象”は真理を究める欲求が、変化する自然の事象の変化する要因を科学的思考法で自然全体を法則や類型化等の「型」を体系化しつつ、科学的予測技術を手段にして、繰返し再現性良く予知できる能力を獲得してきているといえます。
「 物みなの底にひとつの法ありと日にけに深く思い入りつつ 」湯川秀樹博士
”社会的な事象”は、先人の行動の「型」や「形」が歴史に陶冶され現代の文化や文明の中に活きている”社会的な道理”の中にあります。その型や形の内面に、誰もが共通して受け入れられる、自然の事象の真理と、社会の生活の時代時代の必然的な道理(社会的な存在理由)が在るのでしょう。
「技」はその中にあって、社会や集団に”共通する何か”と”集団を取り巻く環境”を考慮し、その社会や集団の「型」と「姿・形」と「継続される方向性と道理(行すじ道方向性)を自ら究理し、その理を顕かにせねばなりません。その意識は本来そのかたかたちわざ等存在しなかった時点に立てるかを問います。
比較する意識
科学思想のもとに教育を受け、自分と対象を分けて批判的分析的に事物を区別して認識する方法は、繰り返し教育に拠って心身に浸み込み意識を覆います。蓄積された意識は後天的な無意識の能力となって、全ての事物、事象に疑いなく「型・形・技」を付与します。物事に接し判断する「一つの特異な能力である」にもかかわらず、無意識に自他を分けて比較判断する認識以外の意識する方法など考えません。そこからはみ出したコトは真実であっても異端と排除します。
「型」の知識でつくられた無意識の中の「意識の道具」が、不明の事象の認識と理解に、ある種の型を想起しても相対的な域を出ないのでしょう。型などない無意識のパラドックスにはまり、丁度宇宙の始まりと広がりに有限と無限の掛け合いを意識中するように、型の及ぶ範囲のある有効性と有意性に認識は限定される矛盾があります。