浩茂:射の事
浩茂:射の事
矢を番え弓を押し開いて射る技には決まり事「法」があります。
500年程前
弓で矢を射る技は「射法八節」と云う「型」が発明されました。
弓箭を手にしたら「一心に弓を押し広げる意志で現れる姿」を表したものが「射法八節」です。その一心で矢が射はなさたれる感覚は実に爽快です。
一心に弓を押し開き、射法八節に適った姿勢が顕われれば、約15間(28M)先の的に自然に「中る」法則を表したものです。諸武術で「法」が在るのは、唯一、射術だけと思います。
その「法」が生まれたことわり(理)を自らを紐解き・其の真理を学びつつ実践する一射(弓箭を手にして矢が行きつく行程)のうちに、自身の心を自得、又は覚知します。姿形だけ綺麗に真似て当てる仕草は児戯と同じ、と先生に云われます。手にする弓が、その人の心の「正雑」・「正邪」を実践の中に指摘し教えます。
身体の力は骨の力:骨力を主に行います。
骨法の定義は「竹林派弓術書」に明解で、ここではこれをもちいます。
骨の使い方なので「骨法」と云いうと私は理解しました。
骨法の動作は「自然の理」に則して述べられています。
射の動作は「骨力の方向性」と理解できます
筋力で操作し外見を作る意識ではありません。
骨力は理解出来にくいと思いますが、足の骨を思えば良いでしょう。骨は数時間立っていても自分の体重を支えます。骨力の凄さは一日30㎞程行脚を千日為す叡山の千日回峰行を思い浮かべます。
腕の骨力も同様です。
三十三間堂の120M程の軒下で27,8㎏程の弓を一日一万射超える矢を放つ実績から骨力の凄さが分ります。射放つ数は別として、25kg前後の弓力は普通の弓力で性別、年齢、筋力の鍛錬度程には差は無いと教本を含め各弓術書から理解できます。
骨力は身体と弓弦の力の剛弱を覚知させ姿勢を正します
弓力が射手の姿勢の不具合を知らせます
骨格を貫通する骨力が関節の歪みを剛弱として知覚させ、射を射る姿勢がただします
「弱い弓は骨法不行き届き」故、常に剛きを求めて稽古する事
と先哲は警鐘をならし、弱い弓を求める病を明記しています
「骨法」にはもう一つ大事な事が在ります。
骨を第一に用いるのは「繰返し正確に中る射」の絶対的な要素なのです。
何故なら、「骨は伸び縮みしませんので、弓を同じ長さだけ繰り返し正確に引く事を保証する」のです。
さらに、
その極限の骨格構造が「矢が離れる瞬間の動作を繰り返し正確に生み出す必然の骨格となります」
常に正確な筋骨の動きで、同質の離れを自然に生じさせる事を骨法が明らかに示している事と理解できます。
これらの事は400年も前、日本と中国で理論化された射法です。
現代の射の礎であることは先哲の書、日弓連の教本や月刊誌にも明らかです。
弓箭は体外にある道具、骨は体内にある道具
”弓箭”と”骨”の二つの道具の動きは、筋膜と筋と皮膚と体液と呼気と他の臓器の物理的関係にあって、
神経と心で制御されると理解できます。
400年前先哲が明らかにし、本多利実師が「弓は一技なり」と云われる骨法に基づく射法射技の目的は
弓箭と骨、この二つの道具を用い、「骨法の理」に随って八節の射法射技を正しく用いれば
”矢を射放つ以前に中(アタル)外(アタリハズレ)の変化の理が判る”という
唯一無二の方法、と理解できます。
学べきは
外れの理を知る事と云えます。それによって筋道を正します。
「弓箭の力」と「重力の力」を受けて、骨力を主に筋力を従に身体能力を最大限合理的に用いる方法は骨法の他には無いと理解できます。先哲が「一技」と云われる由縁は、八節の射法射技は現代の科学的な手法、つまり力学や 関節の自在性と可動限界の骨格の構造理論とも附合できることは現代の弓術書にも明らかと学べます。
それでも先哲各師は
飛び道具のアタリハズレは「技(姿勢)が三で精神が七」
といわれます。
「技」には「正しい技と癖の技」の二つがあります
「精神」も二つの心象があります。正しい技を求める「欲求」と勝負・名声・当り等比較差別に捉われる「欲望」です。前者は「練膽」に関り、後者は離れと権威の威圧や場馴れに係る「七情」です
子供や初心の方にはアタレば良い事と思いがちです。「射法の理」を知って正しい技の筋道に生ずる「中り外れ」と、「骨法」の中味を学ばずため筋道の無い癖の技と七情の精神に依拠する「当りハズレ」の、二つの様相の違いを心に銘じて弓箭を手にする前提となります。
今の人
射の何たるかを知らず、唯射は射て成る事と思い、骨法の然る所以を知らず(※)
と云われ「射の理、骨法を先ず勉強をする事」ですと本多利実師は云わている事と学べます。「唯射は射て成る事」とは射形が調う道理を知らずに形だけ真似して当りが多く成れば「骨法の八節の射法を体得出来た」ということではありませんと理解できます。
(※)本多利実述「弓道保存教授及演説主意」明治22年
射幸心と云われる程、射の世界は様々な欲がはびこりやすくその欲を糺すために、「正しい技」をしなさいと「人の心の道」を理念に掲げ、書に記述されるのでしょう。
射学正宗で高穎師は繰返し警鐘されているのは「癖の技で競技や肩書などで他者と勝ち負けの比較差別欲望に拘泥している自覚も無いまま、”正しい技” と云って実践、指導されては、虚実は混然として初心の方は惑う」と理解できます。
射を行う目的は江戸初期の頃から変わってきましたが、競技や名声の欲が絡み「形だけを教える」形骸化が進み、その実態は明治期に現代弓道を再興された本多利実師の思いとはかなり違ったものでした。
「今の人骨法を知らず」と筋肉を頼りに弱い弓で”見られる格好とアタリハズレの勝ち負け”に拘泥する風潮を指弾されまました。自然の理から生まれた骨法のプロセスの”射のかた・かたち・わざ”の説明に”何故”と問い、その理を弓を手にして自ら実践して究める意識を持たねば、射とは名ばかりの偽物になると理解できます。
吾身を振り返れば、射の人生の半分は十数kgの弓を筋力を使って八節の形を作る姿は、射の様に見えても、日本伝統の射とは全く別のものであったと、日に日に深く思い来ります。
現代、弓箭の活用は一人一人の価値観によって異なります。
弓箭の活用は豊かで生活に多くの潤いを与えます。歴史や現代に活きる弓箭の文化に触れることができます。
個人個人の価値観に基ずいた弓箭の多様性のある活用こそ、現代に求められる射と思います。
その事をしっかり心にして弓箭を手に活用する方法、場が打ち出される必要があります。
本多利実師が「清き水に魚住まず」と云われる意味は深いものです。
「かたかたちわざ」の探求に誘う
「弓は身に随い、身は意に随うべし、意は業に志すところ也、意と云う根本は何ぞ」竹林坊如成師
尾州竹林派弓術書本書第二巻中王の事(生弓会編)(※)より抜粋
弓を「道具」に置き換えれば「あらゆる技・行動」に云える事です。
「意の根本は一心也」と竹林坊師は云われます。
技は意識の持ち方で姿かたちは180度変わり、意識と行為は新生します。
それ故「意識を変えなさい」と先哲は云われます
先ず、捉われている今の自分を正視しなさいと言われた、と理解しました
ひたすら正しい技を希求して、伝統の技を生涯修練、実践する刹那に何が起きているのでしょうか
「欲求」と「欲望」との狭間の「心」を映し出し、その「正雑」・「正邪」が照らし出されます。
自然の理に基ずく射の理:骨法は骨を基準にその射手に在る唯一無二の動作を示しています
それ故、動作は心に常に映し出され、意識は心に向いているのが射です
「技に捉われず、ましてや形に捉われず」と先哲の示唆があります。
誰もが、いつでも、真摯に行う一射の中に「かたかたちわざ」等の意識を超えた”何か”が射には顕れるのでしょう。
今日、科学的二元論的世界観の中で、
竹林坊如成師が「心身弓が相克せず一つになるわざ」の示唆には一元論的な認識の世界があります。、
実在の科学的な認識の限界に対し、意識と無意識の課題を超える実在の認識へと、弓を手にする実践の中で導かれる想いです。
(※)出典:財団法人生弓会発行「本多流始祖射法解説」に記載の『尾州竹林派弓術書(財生弓会蔵版)』この書には注釈があります。注釈者は私には不明ですの。このHPでは「竹林坊如成師」と記述します。
以上
日々の実践や行動に顕れる心を自覚して捉われず
伝統の”かたかたちわざの真理”と実践した先人の偉業に照らして
意識と心の「正雑・正邪」を謙虚に己に問えば、自立して修練する方向と道を感得できるのが伝統のわざの修練が現代に生きる由縁
と云えます。
伝統の技に触れ方・学ぶ方法によって「自己覚醒」とは全く反対の「欲まみれの心」も棲みつきます。
それ故、伝統の技を身につけたいと志せば、"伝統”と銘打った言葉や事物、人の真偽を見極める能力を培わねばなりません
権威や勝ち負けに依拠すれば、他力の中に自己が埋没し、その姿は伝統とは似ても、似つかない別物になるでしょう。
その姿を見て、見つめて、今見極めねばなりません。
道具の弓が教えてくれる射
4,500年前の先哲の理論と偉業を見つめ、射法射技の「正しい技」とは何かを問い明らかにし、弓を師として 稽古する姿を弓友他に問い、自身の心に問い続ければ、本多師が示唆される「年をとっても普通の強さの弓:六分五厘程度(20数kg〜30㎏程)の弓は普段に引ける」と実感できます。
「技に道」を唱えて弓箭の使用目的を「人の道を示す事」を弓道ならば、之を導く指導者はその「技の理」と「道:すなわち方法論をたて禅の修行の如く具体的な道法」を実践して示されると理解できます。当然、射の真理に基ずく「正しい技」を希求して生涯進む前提に「弓」の「道をひたすら進む」ので、竹林坊師が言われる「剛無理:剛きをひたすら希求する事にことわりはいりません」事を、先ず、心に置くべきと学べます。
「的中至上主義を排し、当たりは必ずしも正射にあらず」と云われれば、引ける弓の強さは、直に、その射が骨法に適うか否か示す事と理解できます。今日に伝わる弓術書や教本の記述から、当然、普通に引ける弓:六分数厘の弓の射こなしを目標に立て、当りはずれや美しく見せる比較差別する意識から離れ、「射ぬ前に中り外れの理を確と自覚出来る正しい技をひたすら希求する事」は、射の稽古で通るべき筋道の一つと学べます。
射の病の事
文化の行く末
竹林坊如成師が射の病の根本は射形・射の姿に捉われる心の病を述べ、六つ記述しています。本多利実師は加えて横着心が棲くう事を注意しています。
横着な心が棲みついて、心が利益や名声や勝負け等の欲望に捉われると、無自覚に執着する欲望心で射の姿・形だけ真似、癖でアタリを促成し ”伝統と銘打った疑似の姿・かたち”を我知らず演出します。一見、伝統の姿かたちの様に見えても、伝統の事物とは全く別の事物が現出することに意識を向けなさいと理解できます。
伝統の文化、事物の関心が高まりと反比例して、外見は似てていても、内実は伝統とは全く異なる事物が蔓延っては、学ぶ者は勿論、教える人も誰れも真実の伝統はわからなく成ると高穎師、本多師、渡辺京二氏が言われる事と理解しました。その事は道具のCPが一つの文明として姿を表し、AIが型技を担う時代の入った現代の課題の中に見える事と思えます。その現れる姿、行為のその時に覚知する人間と心にの心象の無意識の経験などはどこにあるのであろうか。慈しみや歓び、痛みや悲しみ、安寧と不安の無意識の中の意識が人の命の心に宿るなら、新たな文明の姿は何か。
口頭で伝承される時代から、書物や映像や文言で知識を獲得できる現代の射は、学ぶ者の意識を大きく変化させつつあると感じます。価値観の明確な多様性と、価値観の無い奇を衒う姿が混在する社会と文化の中では、「何故その型・形・技なのか」を自・他に謙虚に問う姿勢・意識を持つことが最も必要です。その事に指導者は、権威を離れて素直にして柔軟にかつ謙虚に応える姿勢が必要と本多師の西欧化する明治の開明期の示唆を思い浮かべます。
「弓は身に随い、身は意に随うべし、意は業に志すところ也、意と云う根本は何ぞ」竹林坊如成師が云われ「正しいとは何かを自ら心に問いなさい」と「かたかたちわざ」の中にいて射を学ぶ私の風景を述べました。普通の強さの弓20数㎏の弓を引かねば射の事はわかりません。何故、そういわれるのか。云われる前と云われた後を俯瞰できるようになりました。
本多利実師が「指導される方々の心の姿勢と実践の事実を問うている事」はこの言葉に自明です。形式と権威を身に纏い「形」だけで伝える「失」に気ずかない指導者と学ぶ者の迷いに関して、その根が「心の病」であることをどの先哲も其の書のはじめに述べています。伝統の技に触れる在り方・学ぶ方法によって「自己覚醒」とは全く反対の「欲まみれの心」も棲みつくことは日々自分の課題でもあります。
伝統の技を身につけたいと志せば、"伝統”と銘打った言葉や事物の真偽を見極める能力も培わねばなりません。それ故、伝統の”かた”や”かたち””わざ”が今日に息づくためにはその”わざ”の伝承のあり方に目を向け何故問う事になります。射は一技です。入口はどこにでもあります、何故と問えばそこが入口です。若い方に問われれば、自分の意識・姿勢を常に厳しく自・他に問われている事になります。それはいつの時代どの世界でも同じと、80歳に近い身に弓を手にする自分の襟を糺す次第です。