無意識

”いのち”を育む生命体は睡眠や食事等、繰返し同じように働く仕組みが自身の体内にもとから在って、その仕組をなす器官の性能と器官の外共に変化している事を無意識に、あるいは生命体の仕組みとして受け、反応しているのでしょう。同様に、技をなす人の卓越した瞬時の的確な判断には、脳にかかわる意識と無意識以外に、心には事物と接触したその瞬間、意識や脳を介在させずに直接、身体に働き、生体でしか為し得な瞬発的な動作を無意識の世界を想起させます。

それは、自律神経や交感経のバランスの中などに留められる記憶の様な機能、反射神経に当たるのでしょうか。体内と外界の変化の予知・予見は想像を膨らませば無意識の世界と意識の世界のハザマ、ないしは別の考えも想起にさせます。丁度、植物や動物、細菌やウイルスなどの動き・働きを私たちの人体の進化の歴史に当てはめれば、人体は細胞以下ウイルス的な生物の集合体で、生体のあらゆる単位に変化と相互の変化の関係性があって、かつ統合されていると想定もされます。

意識は無意識の中から人体の活動に必要な記憶の要素を引き出す道具で、その引き出し方に「心」が作用していると考えます。人体が物質的隊総体であれば、心は自他の関連性の総体として見る事が出来ます。

記憶

心は自他の関連性の総体と見立てて、その心はどこに在るか等と詮索すれば、とりあえず心の所在の一例として一人一人の体内に置いて見れば、物理的関連性の最小距離をウイルス以下生物と同等のサイズとし、最大距離は頭の天辺から足先になります。それで意識は科学的に認識する宇宙空間に置き、無意識は自他を超えて一人一人に想起される感覚的関連性と見立てます。

生命をさかのぼれば、現代科学知識は45億の地球を超え、120億年の宇宙を巻き込みます。、脳は電子エネルギーが行きかう様子でその機能の研究が進めてられるようですが、人体の全てに細胞やその構成する分子のレベルにも電子的な作用が深く関与してるとすれば、心が所在する中のある器官と他の器官の距離を想定すれば、最小物質のサイズから最大の人体の距離を天文学的に(※1)離れているのでしょう。

(※1)素粒子を10のマイナス19乗mとすると、足先の素粒子から頭の天辺の素粒子までの距離は、2mの身長の人は、太陽系の距離:45億㎞より遠い。足先の電位化の変化は頭の天辺の変化にどのように作用するのであろうか。等と気功や経絡の思想を思い起します。

意識は記憶に法則や規則の道具を使って無意識の世界から記憶を引き出し行動し、無意識の知覚は、其の知覚を感受した各器官の細胞、分子や電子の関連性の中に記憶され、脳とは関係なく化学反応的な無意識の域の動作なる等と、自他を分離した意識から自他を分離しない状況などが勝手に出て来ます。正確無比な反射的で瞬時の動作、卓越した技と意識と心はどのよう培われるのでしょうか。機械では出来ない生体の総合性の為せる可能性に思馳せます。

現在に続く未来を誰もが意識するのでしょうか

変化を事前に感じ又は反応する行動は生物の必然的な機能のの一つなのでしょうか。動く獲物に身構える動物の仕草を見ると獲物は変化すると云う記憶が動物に在るのでしょうか。記憶が意味在るのは変化が連続する事であって人とモノと取巻く環境の関連性に、大なり小なり変化の連続性の上に来るべき未来を予知して事前に行動を定めるのは、集団で生活を営む社会生活ではお互いの基本的な要素なのでしょう。そもそも予知など科学的な所産を捨てて、予知等の行動も意識も無く、普段の行動の無意識の中に当然の帰結として覚知され予感のするような何かを心におきますと、当たり前のことですが科学的意識と記憶と手法とは別にある意識によって、前近代的と科学的認識をを絶対としない世界もまた無意識の世界から科学的欲望の世界に出でて、科学的欲求の世界と共存する世界が在るのでしょう。                  


                                          以上