物理的に骨は身体に内在する変化しない「道具」と思います。

人間は死後「骨」が残ります。数万年前の地層から当時のままの形で現れます。重力下で活動する「自然の理」に則した生物の形態骨格をなす「道具」を創造しました。生物の中には骨の無い生物もあります。骨は生命の存在理由の絶対の条件ではありませんが、「かたかたちわざ」を構成する基本の要素で、形体と力学的要素は変化しない「道具」と考えることが出来ます。

このHPに表す「射の技」ではすべて「骨」を基準に技は組み立てられた射法で「自然の理」に即します。きわめて科学的に合目的な技法と云えます。

もう一つの道具「意識」も心に想起されます。『意識は無意識の領域から生命の記憶と記憶された「かたかたちわざ」を引き出す機能』を持つ「道具」と云えます。

意識するヒト以外の生物や生まれたばかりの乳幼児に無意識に備わっている本能的な行動には、「かたかたちわざ」に由来する再現性や正確性など存在しないと云えます。それは、それは自他を超えた生命体の本来の姿と云えます。本能にある様式などは、外から見る私たちの視点から見れる「かたかたちわざ」の範囲に規定された、あらゆる生命体にある多様性を認識する意識から生じる後天的な意識と云えます。 意識は人が”無意識の中から獲得した意識する技によって獲得した「道具」と云えます。その道具を用いるの「」です。

道具の「意識」その道具を使「技」、例えば科学的思考方法と数理などの論理を身につけても、それ 以前、生まれ出でる以前から備わっている「生きるという能力」「又は生きて  いる無意識の行動」という事実を意識すれば、私達を取り巻く既存の「型形技」は常に変化する意識とと意識を含む心から「かたかたちわざ」の事を見つめて考える事が必要で す。