相応の弓
冒頭に記載しました「手にする弓の強弱」を再度記載します。
手にする弓の強弱
「射法訓」を述べた吉見順正師の始祖石堂竹林坊如成師の「竹林派弓術書」は「強弱と共に稽古し修練を重ねて相応の弓を自覚する事」と学べます。繰矢の七分半の弓の記事がある。竹林派弓術を継承し、正面打起射法を現代弓道に据え正面打起を執る教本執筆者を指導された本多利実師はその書「射法正規」で六分5厘(約28~30kg)を普通の強さ弓と述べています。弱い弓から始めより強い弓を求めて稽古する事が必須で、強い弓強い弓へと修練する事を否定する理由は無いと記述しています。本多師も「弓術講義録」「弓道講義」にその事を記しています。
出雲派雪荷道雪は要前が主と理解します。弓と矢の相性を述べています。その弓は六分五厘から七分五厘の弓の記事があります。また六分の弓の効果の記事が見られます。
出雲派印西は斜面要前と理解します。弓と矢の相性を述べています。六分と七分の弓ついて記事があります。
印西派岡山系譜は六分の弓二挺を肩入れできれば其一挺は充分射こなす、すなわち射手の全力の二分の一と述べています。相応の弓には離れの条件が付いています。この系譜は虎口、掌根、彀など「射学正宗」と同じ語句を用いて射を説いていると思えます。肩入れは素引きの記述から斜面の方式と理解します。例として六分(約22-23kg)の弓二張り(46kg)を掲載しています。それ故、弓一張り23㎏が普通の弓と類推されます。
射学正宗は明時代高穎淑の骨法を射を記述した弓術書で日本の弓術と大きく関係しています。基本は「強弱共に稽古して自得する事」と理解できます。例として特に「臂の力が強い人」をあげ、「素引き百斤(約60kg)で彀まで入れば矢番えでは50斤(約30kg)を使う」と記述し、まだ半分力が残っているのでこれを出す事よりは出さない方を良しとすると理解できます。素引きは弓一張りで行います。この書には十斤から百斤まで記述があり、初心者は30数斤(約20kg)を使い徐々に弓力を上げるとあります。
小笠原流は手元の書からは弓力が不明ですが、小笠原流の教本執筆師は「六分の弓は弱弓」と述べている事から六分数厘以上が想定されます。
教本一巻には二か所に記述されています。
「弓二張りの肩入れの出来る二分の一が適当な弓力と云われている」との記述と、「約六分22~23㎏の弓を普通に上に六分三厘、下に五分八厘」とあり「大凡20kg~27,8㎏を対象に道具の説明」をしています。
教本は各流派の射法射技を取り上げていますのでその事を考慮すれば「云われている」とは紹介ととれます。上記斜面打起印西岡山系譜の方法と同様で斜面の方法と類推されます。「射学正宗」と似ていますが、「射学正宗」は弓一張りの素引きで手の内が調いますので射法と合致し合理的です。弓二張りは実践して試みると手の内は定まらず、正面ではかなり難しいと感じます。以上の事、及び日置流各流派の記述を併せて判断すると教本ではもう一つの記述・大凡20kg~27,8㎏が妥当と私は思います。
強い弓を手にすると指導者は「常に弓二張り」の事を持ち出します。その時「云われている」と記述された其の真意の説明は全くありませんし実践の教示もありません。初心者や骨法の技量の無い方にとっては弓二張りはとても出来ない例をみます。実際、斜面に比べ正面では更に難しい事はすぐにわかります。結果、弓力は落ちる方向にのみ進むと思われまれ、学ぶ者の意欲、可能性を削ぎ取ると思います。印西岡山系譜の実例は六分ですから約46kgの素引きを為す事になります。弓一張りでも困難と思えますが、指導者は普通に可能なのでしょうか。
「射法訓」を述べた吉見順正師と同時期の星野勘左衛門師の推定25kg~28㎏を弓(下鉾を少し詰めた弓)を一昼夜10000射の堂射を為したことを尾州竹林派系譜魚住範士が述べています。
以上の事から、誰でも扱える骨法の射が可能とする弓は、日々の修練は大凡20kgから30㎏弱程度の弓で稽古する事が「射法射技の本は一つ」に適うと理解できます。そのうえで時処状況に応じて自己相応の弓を選定する事と理解できます。私の射の自画像で云えば今は20~23㎏ほどが弓を若干弱いと感じるので扱いやすい処で、稽古は強弱と中の三張りを用意して稽古を楽しみます。