射法八節の型の礎
竹林坊師、高穎師、本多師の書からは”骨法が自然の道理からなる射法である事を知ることができます。骨法の道理が射の形に現れた型が七道であり、五法であり、射法八節と学べます。 此の先哲三師によって具体的定義、具体的な技 が詳細に述べられております。骨法と云う用語は教本二巻、月間弓道に表れます。教本の用語の多くをこれら三師の著作にも見 る事ができます。
射法八節の型の礎
竹林坊師、高穎師、本多師の書からは”骨法が自然の道理からなる射法である事を知ることができます。骨法の道理が射の形に現れた型が七道であり、五法であり、射法八節と学べます。 此の先哲三師によって具体的定義、具体的な技 が詳細に述べられております。骨法と云う用語は教本二巻、月間弓道に表れます。教本の用語の多くをこれら三師の著作にも見 る事ができます。
「骨法」の事
定義:尾州竹林派弓術書の「骨相筋道」
「射の技」の”自然の理=”骨法”とは何か
何故、射は射法八節の型なのでしょうか
理の修行、事の修行は車の輪の如くなるべく候:不動智神妙録(沢庵禅師)
「技の理」を求めて勉強しつつ、実践して技を究明し続ける事
骨法の理と実践:「素引きと矢番え動作の違い」(高穎師、本多利実師)
尾州竹林派弓術書 本書第一巻 (財団法人生弓会蔵版「本多流始祖射技解説」)
一 骨相筋道の事
「骨法の直なるを直にそだて、曲がれる骨おば其の理に随いて然るべく筋道を正しくよろしき所に至るを云う也心は七道の五部の詰 又は 始中終の骨法射形伸びて縮まざるを骨相筋道と云う也 矢束も爰にて知る事 之あり 口伝…… 」
骨法の定義
射の「骨法」の定義と思います。日弓連「月間弓道」連載「尾州竹林流”四巻の書”講義」にも当然記載されています。
「射学正宗」には「骨法」の文言は見られませんでした、高穎淑師が述べる五法「審彀匀軽注」の射法が竹林派と同じ射法理論である事は、両書に「骨力」を旨に射を行ずるの一言をもって全体を俯瞰すると「五法」は「骨法の理」であると浅学ながら確信します。
「骨相筋道」の文言は諸流派に見られますが、竹林派弓術書の記述が具体的と思います。尾州竹林派弓術と同じく「射学正宗」のは日弓連「月間弓道」にも連載されました。「月間弓道」連載尾州竹林派弓術書は尾張系譜で定義は本多利実師系譜と同じと解釈しています。尚、紀州系譜の竹林派弓術書は断片的にしか目にしていませんが「射法訓」は紀州竹林派吉見順正師で竹林坊如成師系譜で、この定義で学びます。
「骨法と”的中”と”弓力”」について考えを巡らしています。当然、骨法の定義は射法八節の全てにあてはめられます。その論理の具体的射技を「尾州竹林派弓術書」「射学正宗」から知る事ができます。また、「射学正宗」の口語訳と本多利実師「射法正規」を合わせて読みますと、「骨法の基になる法則が自然の理に基ずく」ことが理解できます。その事は体配の基になりますし、会から離れの静態は私たちの日々の動作のもとの理解につながると考え「かたかたちわざ」に展開させてゆきます。
「自然の理」の側から意識すれば「射技と人の行動や人の精神活動を一元的に捉える様な認識」が思索できると仮定すれば、書によく著される「人の能力の無限の可能性」などの論議につながる思いもします。以下思いつくままに記します。細目と重複します。
内にある道具「骨」に意識を向けて
昔、強い弓など意識に無い時、講習会や称号者から本多師の骨法にかかわる資料を戴きましたが「骨法」と云われても実践に結びつける事が出来ませんた。今は「骨は人の持つ道具」として位置付け、高穎師、竹林坊師の「骨法」の理、骨力を弓弦を押し開く役割、筋肉・筋力は「骨格を動かす役割」と考えました。「骨法の」の要素として三つ考えました。
要素①「骨」は体の中に在る道具
要素②「弓箭」は体の外にある道具
要素③「意識と肉体」は要素①と要素②を結ぶ道具:
『「肉体」は「筋肉、筋膜、筋、皮膚、体液、呼気」と「不明の”気”」』
「呼気」は体内の空気で骨格の安定に大切と考えれば要素④としてとらえるべき事とおもいます。
「意識の安定」は重視され精神的に見られますが、「物質的に骨の位置の安定」に大切な要素と思えます。
「骨法」を学ぶ事は、先哲によって工夫発明された射法八節の動作の理を知ることですから、「弓箭」を動かす、要素①と③からなる「身体」の動きを、「関節と骨格」の「自在性と限界性」の法則を射の目的に沿って理解する事になります。
「射学正宗」で高穎師は「的中には何を基準にすればよいか、それは形も寸法も変わらない自分の中にある骨を基準にする」事とは強烈な示唆でありました。「骨は自分の中にある道具」と思うえば、射に関わらず「人のすべての動作」に考えはめぐります。
そこで「意識をもう一つの道具」として、ここでは検討します。「無限の広がりと可能性を有する無意識と記憶」から「筋肉や器官を動かす意識」と云う「記憶と無意識を引出す道具」といえます。池田先生は「意識を変えなさい」さすればすぐにできます。本多利実師は「為せば成る」と「射法正規」に述べています。つまり、すでに自分の中にある何かに目を向けないさい、と学べます。
稽古を重ねれば、「骨法の理」「自然の理」について理解できますが、八節の技を知った初心の方には難しい事です、それで、はじめのうちから「骨法」について、実践の中で常に問いかける工夫が指導者に求められる事と思います。本多利実師が明治の始めに云われた事と思います。学ぶ者は、初心から経験を積み、骨法の射を体得し、意識の世界を問うことになれば、骨と弓箭の法則を当然、無意識に行ってこれを凌駕して射を為していく先、つまり筋肉と意識と弓箭の関係に集約されるのでしょう。更に、その先へと射は導くのでしょう。
昭和の初期、梅路見鸞師は導師として「弓道」を明断し「道」を示し「道法」を明らかにして実行されました。骨法は自明として「意識と筋肉」について技の要諦を示されてた愚考しています。戦後の書に、射は筋骨を以て力行するとの記述に会うと、梅路師の射法七要諦に「骨」が無く「筋肉を自由に自然に働かす」云われる事を兼ね合わせて射の力の本を尋ねています。
以上
余談
射法八節を「骨法」から考え、その本である「自然の理」を問えば意識は広がります。「自然、原子、分子宇宙など自然科学の現象」の事、「精神や心理、呼吸や命、生命は物質と生命の狭間」の事、「歴史や文化文明」など人文分野などの事に目は着きます。「本より型かたちは無い」云われる偉人の示唆や事物に「自然に成る自然の理」の課題が浮かびます。飛躍すれば、実践する射の現在身の認識論、二元論から一元論の世界の課題にはいります。翻って、再び「射技」の本質を考えさせることになります。地球に生きる過程で地球の重力に抗して”座る・立つ”かの欲求と共に、人の道具の骨とも生成したことと思い来たります。問いは続きます「何故、欲求し骨を持ったか」何故、癖がつくと骨がゆがむのか、地球には重力があるのか等宇宙の中で身体や意識にも考えはめぐります。
何故、「直」なのか
射法に従って弓を用いる効果と骨法を考えます(詳細は「中る事と骨法」に関係する項を参照して下さい)
放たれた矢の性能・効果は、正しい的中、矢の速度、貫通力、飛翔力、所謂「飛貫中」いえます。的中には「正しい的中」をつけました。何故なら射法に則って矢を射ます事が理由です。
射法射技の目的は、繰返し正確に「中る事」 と 出来る限り早く「遠くに射やる事」と学べます。「中る事と骨法」を考えれば
「中る」ことと「骨法」
「骨法」の射 : 矢束の正確な再現性を保証
「骨法」の射 : 離れの正確な再現性を保証
「骨法」の射 : 身体力を一点に集約する事
寸法変化しない骨で
射手に定まっている唯一の弦道を自覚した射行で
関節の自由可動性の限界で組まれた矢束一杯の骨格構造の中を
射の始めから連続して「直」に延伸する骨力の動態による総十文字の骨格機構から
常に同一の離れの生じる動作
と理解できます。
此のHPでは力学のベクトルを用いて理解を試みています
八節の型の礎:骨法
竹林坊師、高穎師、本多師の書からは”骨法が自然の道理からなる射法である事を知ることができます。骨法の道理が射の姿に現れた型が七道であり、五法であり射法八節と学べます。 此の先哲三師によって具体的定義、具体的な技が詳細に述べられております。
「骨法」「骨力」は教本二巻、月間弓道に表れます。教本の用語の多くを竹林坊師、高穎師、本多師の三師の著作にも見る事ができます。
先哲の示唆は「射に力・筋力を用いない事」に集約されます。
和弓を用いた数百年続く射法八節に示される技を実践しているのに、現代は普通の強さ(25~30kg程度)の弓を忌嫌い、10数㎏の弱い弓、弱い弓へと志向するように思えるのは何故なのでしょうか。
他は知らず、疑義を意識すれば、少しでも強い弓を手にして「正しい技」続ける事は、先ず「骨法の射の理」を自ら学ぶ事と心に定め、先哲の示唆、弓術書の記述に何故と問い、ここに載せます。
何故、
弓を引くのに”両手だけにその仕事をまかせ、他方腕と肩の筋肉はどこまでも力を抜いて・・・” と阿波見鳳(研造)師はオイゲンヘリゲル師を教授するのでしょうか。何故、日弓連の教本には「力を用いず弓を開くところに射の美しさがある」とヘリゲル師の言葉に依拠して記述するのでしょうか
何故、
梅路見鸞師は一、正雑二念の平衡を保つこと、に始まる射法七要諦を示し、一、筋肉を自然に働かすこと、一、弓箭を自然に働かすこと、と述べ、「上下前後左右、正等にして不動なること」など等の姿・形などの外見ではなく、射の内実を示されるのでしょうか
何故、
竹林坊如成師、高穎師、本多利実師、梅路見鸞師、阿波見鳳師、等先哲は”形にとらわれるな”と示唆され、竹林坊如成師が”射の病”のはじめに「輪廻の弓と云って射形の迷い」と断じ、「見られる姿かたちに捉われる精神の病」を警告されるのでしょうか。
何故、「射形の迷い」は”弱い弓、弱い弓へと志向する病なのでしょうか。
何故、先生は”強い弓を引かねば射の事は分からりません”と云われるのでしょうか。
課題、普通の強さの弓:六分数厘の弓も射こなさずに「弓道の真理」に至る「道」はどのような世界なのでしょうか。
力を用いない事:梅路師、阿波師に示唆
本多利実師から見鸞見鳳の号を戴いたとうかがった阿波見鳳師と梅路見鸞師の記述から、射行における「力」の感じ方の記述が学べます。
「弓と禅」オイゲン・ヘリゲル著 福村出版 稲富栄次郎・上田武訳1981年刊
3 呼吸法
…略…
それからいよいよ師範(阿波研造師)は教えてくれた。「あなた方も同じようにして下さい。しかしその際、弓を射ることは、筋肉を強めるための者ではないという事に注意して下さい。弓の弦を引っ張るのに全身の力を働かせてはなりません。そうでは無くて両手だけにその仕事をまかせ、他方腕と肩の筋肉はどこまでも力を抜いて、まるで関りのないようにじっと見ているのだということを学ばねばなりません。これができて初めてあなた方は、引き絞って射る事が”精神的に”なるための条件のひとつを満たすことになるのです」こういって彼は私の両手をとってゆっくりと、これから彼は私の両手をとって、ゆっくりと、これから私が自分の手で行うべき弓射の諸動作を、ひとわたり指導してくれた。
…略…
この事を証明しようとするかのように、彼は彼の強い弓を引き絞り、私にかれの腕の筋肉をにさわって見るようにいいつけた。その筋肉は実際、何らなすべきことがないかのように、全く力が入っていなかった。
…略…。
「無影心月射儀」 梅路見鸞師
右手
…略…
射の成否は、引分けの起りに於いて決するなり、故に引分け第一段に於いて、其正しきか否かを覚知せずしては行い難きものなり。今その正しきと然らざるものを挙ぐれば
一、正……引分けの意起りて行に移るに及びて、左手の内にに何等の碍げ無く、弓の力を感ぜず、 左手は次第に空間を雄大に前方斜に通け、気力上下に通じ、益々心気旺んなるを覚ゆる。右手は左手斯の如くあれば自ら正しく、自然に引く力起りて無限の空間を引き寄せるが如く、両々差異なく、押し引く力を更に感ぜず、識らず、押され引かれつつありて、聊かも肉の力を用いし気心せざるものを、正しきとなす。
一、邪…… ……略。
左右
略… また引分より大三に到って左右に肉体の力を感ずれば、弓を…
阿波氏の示唆はすぐにも実践できます。阿波師に師事し梅路師にも習った教本執筆範士神永師の技を活用しています。35㎏ほどの弓も力は来ません。阿波師梅路師の示唆は稽古の念頭に置いて進めています。両書も全文を読むことを薦めます。
骨法に立脚すれば歳を重ねても射は出来る事を本多師高穎師梅路師等先哲は述べています。十数㎏の弓の事を云っているのでは無い事は当然です。下手な私でも、40代から始めて80歳近くになって六分数厘の弓で矢束一杯を目指して射こなせます。
若い時に、筋肉を鍛えて30㎏程の強い弓を引かねば、年取っては強い弓は引けないと云われる師も目にしますが、先哲の書にそのような記載はありません。力を用いない骨法は誰もが六分数厘の弓を引ける事と今は、確信します。
要は「弓箭の姿、自分の姿」作って見せる射形から意識を変えて180度変えて、弓を押し開く事で射形が現れる射に臨むこと理解しました。壮年の人に六分の弓を進めると「力が無いから」とすぐにいわれます、本多師の言葉お借りすれば「骨法の理」を詳細に学んでない事の証明を自ら明らかにされた、と、今はおもいます。
骨法の目的 射手の力と弓箭の力を最大に活かす
無限の可能性と「骨法の先」にあるもの。
「中る射」の具体的で詳細な説明は竹林派弓術書「七道」と射学正宗「上巻」の両書に明確に記述されています。
「強い弓を射こなさねば骨法の事は分かりません」と云われる事の具体的な記述は竹林派弓術書には明確ですが射学正宗は総合的に理解しました。
竹林派弓術書と同じ文言で本多利実師は的中・矢早の的前の他に遠矢、指矢、通心などの射法射技を修得しないと「真の射」は理解できないと云っています。詰まり、骨法は中りだけでなく「射手それぞれが持つ心身と弓箭の性能を最大限に発揮する法」といえます。その法は科学的な合理を含む、科学的知識が無い文化でも認識できる「合理的な自然の理」に依拠すると理解できます。そこには骨法の射が人の力、精神と身体の力を無限の可能性に意識を導く力、道が在る事を自覚させると理解できます」
射法八節には人の力、精神と身体の力を無限の可能性に意識を導く力、道が在る事を自覚させると理解できます。決して10数㎏の弓で射て真の射が成る、とは理解できません。強い弓、強い弓、常に剛気ことを求めるのに理由は入らないと「剛無理」を記載された由縁と思います。その事が「法」のある日本の伝統の射が、時代を超えて活かされ、多様性のある射の活用に至る必然性と学べます。
ちなみに、本多師は50間(80m)程の遠的は的前と同じ垂直水平の立って横十文字射る的前射法で 繰り矢とは射法射技が異なりますと「弓道講義録」に述べていますので,項目を設け説明します。。
竹林と射学正宗の骨法の考えの比較、日本と中国との射の違いについて思う事
竹林弓術派の骨法と射学正宗の骨法の目的には、若干の相違があると思います。射学正宗は強い弓を用いて矢を遠くへ飛ばす事に趣き、竹林派弓術は貫通力と速度を持った微細の狂いも無い、再現性のある的中を第一に置いている愚考しています。其れが和弓と弩弓の違い、江戸期の日本の文化と宋、明時代の中国の文化の違いではないかと愚推しています。
竹林の骨法の射の技術理論は本書第二巻の心理的な理論と一元化され、骨法と云う型を超えて人に内在する無限の可能性を自覚する道をひらき、骨法の先に射の真理がある事を示唆して射ると学べます。それは、日本の射の文化が精神性を伴って現代社会に活かされて来た要因と思います。
射学正宗、中巻:弁惑門を比して見ますと「自然の理」を骨法の技の礎に置くのは同じですが、何故か、二元論的な見地を感じます。
自然の射法と骨法
自然の道理に基ずく「骨法の射」もまた「骨法」の目的に捉われる事になる等の課題が浮上します。まだ技も姿勢もママならない初心の方の無我夢中の純真な一射はどう受け取れば良いのでしょうか。正しい技など完成しなくとも、若い方の真剣ない一射に、ある時、フト、離れて鋭い飛と強い中射をみます。骨法が無限の可能性を引き出すと学べると述べてきた背景には、骨法を体得して骨法にも捉われないその先の射法が最も自然と愚考されます。その自然の射は骨法の習得の課程に誰にでもいつでも常に顕現されることであればだれでも学ぶ事が出来る射法となります。
尾州竹林派弓術書本書第一巻から「七道が始まり」、その七つの動作に「中り」を目的する事が明記されています。弓箭が有用の時代にあって「的中」と「飛翔性能」の正確な再現性を誰もが育てられる技が骨法の目的となるのは必然的な事と云えます。
しかし、「骨法」という”拠りところ”をもっていても猶、、弓箭を扱うには「骨法」だけでは著せ無い”射”が精神を伴って現れる真実がある事も竹林派弓術書に示されている事を本多師も梅路師も示唆されていると愚推します。本多師と梅路師は、それが骨法に基づく八節の射法が現代に活かされる理と云われていると愚推します。
両師の著作や記述からは、4,5百年も前、時代の必然性に随って工夫され確立された「射法射技」を徹底的に究理してリスペクトし、自ら先人の射を実践して実証し、先哲の云われる「骨法」では云い尽くせ無い「射」を体現され、その射の本質が弓箭が無用の現代社会にこそ求めらる事と、本多利実師は現代弓道の礎と云える「射法正規」に 梅路見鸞師は「顕正射道儀」の教典を示し、多くの人材を育成されたと愚考します。
本多師と梅路師は各流派の流祖も骨法では云い尽くせない「射」を明示していると述べています。しかし、両師とも、その流派を継ぐ指導者らが流祖の示す「理」と「偉業」を正しく学ばず、表面的な姿・形だけ伝承していると断じています。本多師、梅路師を流祖として学び指導される方の為す事がいかなるものか、当然、本多師も梅路師も見据えて云われている事と理解できます。
本多師は”竹林派弓術の為すべき五つの法度、中、矢早、通心、遠矢、花形(蟇目鳴弦)の全て為し得ないと射の事は、失礼な申し條かもしれないがわかりません”と述べておられます。
梅路師は武禅に「自然合法の射」を記しています。「自然合法の射」が良師のもとで誰もが為し得る事を明言していますので、読まれることをお勧めします。阿波見鳳師と梅路見鸞師が骨法の限界を突き詰め、弓箭が有用の時代の骨法の限界を超えた可能性を、その実践方法と理念を、弓箭が無用の時代に提示して、実行された思います。
射法は骨法を礎にしていると学んできました。その事を書き置いて「骨法」をいい加減にする事も無く無視することなく、その道理を学び稽古にて体現し、再び学び、生涯歩む続ける事と自戒します。骨法の射は手にする弓のが幅広く楽しい稽古ができます。頭で考えれば、その使い方はまだまだ沢山でてきます。
弓箭の活用と矢を射る方法は沢山あります。
矢を射放つ爽快感と、思い思いの意識に適う自由自在の射行の多様性な姿はいつの時代にも見られます、その多様性こそが弓箭が現代社会に活き着き、生活に潤いをもたらします。
しかし、伝統の射法八節の技に、理念を据えて実践・射をなすのであれば、理念に適う「正しい射法八節の射技の理」とは「何か」を自他に問い、その理を究明して、その価値に応じる射行・実践をせねばならないと学べます。「正しきを己に問う事」と理解できます。
多様性は相互にそれぞれの価値観を明示して、その価値観に応じた技を実践して顕現されます。現れた行動が価値観と異なればその姿・形は中味とは異なる奇を衒った名前ばかりの事物なのでしょう。
したがって、今見るその姿・かたちに疑義が浮かべば、「何故!」と問いかけ、其の本を尋ね理を明らかにして、実践を通じて「姿かたちを顕した技が正しいか否か」、つまり正しい理論と実践の適否、間違いを射を行じているその時に自覚する事と学べます。
和弓を用いた数百年続く射法八節に示される技を実践しているのに、現代は普通の強さ(25~30kg程度)の弓を忌嫌い、10数㎏の弱い弓、弱い弓へと志向するように思えるのは何故なのでしょうか。
他は知らず、疑義を意識すれば、少しでも強い弓を手にして「正しい技」続ける事は、先ず「骨法の射の理」を自ら学ぶ事と心に定め、先哲の示唆、弓術書の記述に何故と問い、ここに載せます。
何故、
弓を引くのに”両手だけにその仕事をまかせ、他方腕と肩の筋肉はどこまでも力を抜いて・・・” と阿波見鳳(研造)師はオイゲンヘリゲル師を教授するのでしょうか。何故、日弓連の教本には「力を用いず弓を開くところに射の美しさがある」とヘリゲル師の言葉に依拠して記述するのでしょうか
何故、
梅路見鸞師は一、正雑二念の平衡を保つこと、に始まる射法七要諦を示し、一、筋肉を自然に働かすこと、一、弓箭を自然に働かすこと、と述べ、「上下前後左右、正等にして不動なること」など等の姿・形などの外見ではなく、射の内実を示されるのでしょうか
何故、
竹林坊如成師、高穎師、本多利実師、梅路見鸞師、阿波見鳳師、等先哲は”形にとらわれるな”と示唆され、竹林坊如成師が”射の病”のはじめに「輪廻の弓と云って射形の迷い」と断じ、「見られる姿かたちに捉われる精神の病」を警告されるのでしょうか。
何故、「射形の迷い」は”弱い弓、弱い弓へと志向する病なのでしょうか。
何故、先生は”強い弓を引かねば射の事は分からりません”と云われるのでしょうか。
課題、普通の強さの弓:六分数厘の弓も射こなさずに「弓道の真理」に至る「道」はどのような世界なのでしょうか。
射法八節が骨法の道理から成る事
一射は弓を押開き続ける力が連続した一つの技:射法八節はその姿・外見を仮に八つに分けて言葉で説明した姿
骨法が「自然の理」に即した射法であり、400年ほど前に具体的に「定義」され、六~七分(20数㎏~30数㎏)の弓で実践された事実は先哲の書(竹林派弓術書、射学正宗、本多利実師の著書)に明らかです。随いまして、学ぶ者が日々の実践の稽古で知る事、指導される方の云われる事に不明が生じ「何故?」と問えば、その答えは先哲の書に明解です。現代の弓術書では日弓連の教本、同機関紙「月間弓道」に「骨法」の文言が多く見られます。学ぶ者が「骨法の理に即した論理に適う射」は六分数厘の弓で実践して教示されると理解できます。
竹林坊如成師は400年も前に、弱い弓で美しく見せよう、修練もせずに横着して姿だけ真似ようとする病が射法を学ぶ第一の病と書き記しています。これは射の世界だけでなく、姿かたちを学び、技を用いる私たちの世界のどこにも見られる病です。
「素引き」先哲本多利実師と高穎師が言われる事 サブページに続きます。
「かたかたちわざ」と射の「型」
内にある道具:骨に意識を向けて思う事
「骨は人の持つ道具」として位置付け、筋膜、筋、筋肉、皮膚、体液、呼気と関節で、弓を手にして矢を射る「動態の骨格を組む創意工夫」には、身体に一定の重力が静態として常にかかり、「連続的に引き絞る弓力の位置と大きさのと接触点の変化」と「呼吸の変化、心気の動きなど」の動的状態が、射手と弓箭と大地の力学的系の動作状態と現れる姿に想定されます。会の状態は静態の中のベクトルの動態が身体の一点でバランスしており、離れは其の一点起こればその点は微動だにしません。このような道具を使う動作はみません。それによって弓箭を扱う意図が達成されればそこに「型」が意識すると思います。梅路見鸞師は「武禅」で大正の末頃から「射に起こる力の現象」を、単なる物理的解釈で終わるのでは無く、心理物理学という見地から専門学者に研究を指示している事を述べています。バックミンスター・フラーがテンセグリテー理論を提唱した時期に重なり、「かたかたちわざ」を考える範囲を広げています。