阿波研造師の系譜
阿波研造師は本多利実師に師事しています。正面打起を基軸にした新たな射法射技を立てた本多利実師に師事していた石原善蔵師や大平善蔵師などとも親交がありました。
阿波研造師の系譜
阿波研造師は本多利実師に師事しています。正面打起を基軸にした新たな射法射技を立てた本多利実師に師事していた石原善蔵師や大平善蔵師などとも親交がありました。
阿波見鳳師と梅路見鸞師の親交については武禅に記載されています。
武禅に因れば阿波見鳳師が梅路見鸞師の道場を訪れた時におられたのは神永政吉師と吉田能安師と安沢平次郎師で三師は戦後の弓道連盟の発足時期に活動されたことが他の弓術書や教本からわかります。
教本執筆各師の経歴を伺いますと正面打起射法を執る方の多くが本多師の射法を学び、本多師と阿波師の系譜の方をみます。
東北大学出版協会「弓聖 阿波研造」池沢幹彦著には、阿波師の教導された現代弓道の射法射技や教えが多くの現代の指導者に反映されている事がうかがえます。
阿波師自身の修行研鑽についても同書に詳しく述べられております。同書には本多利実師に師事し教えを受けて研鑽したとあります。このHP.は本多利実師の射法射技を基軸に歴史を遡り、また現代に下っていますので「射法射技の本は一つ」と本多師が言われる事がどのようにつながれ、どのように変質していっているかを俯瞰する道筋をとらえる事が出来ます。
阿波師は旧制二高、東北帝大の師範となり学生弓道を教導し、一方で、本多利実師門下大平善蔵師や、長谷部慶助、鱸重康、と親交があった記載があります。本多師のもとでは石原氏と大平氏が皆伝印可を受けていますので、いわゆる大学学士連の系譜とは別に社会人系譜が明瞭に理解されます。前述したように教本執筆各師の経歴からは四巻に至るまでその系譜を見る事が出来ます。
池沢幹彦師に因れば阿波師と梅路師の親交が記述され、両師の理念と行動が同時代にシンクロして、また梅路師と石原善蔵氏の関係、及び本多利実師、竹林との射法射技理念の同一性を感じます。つまり阿波師と梅路師は「射法射技の本は一つ」と認識する観点からも、見鸞見鳳師の号が本多師にから受けたとの話は理解できことと思います。
それ故、本多師以降の指導される方は、本多師は「正面打起の射法射技の本は一つ」と警鐘を鳴らされいると心にせねばならない事と学べます。現代で云えば、誰もが骨法について学び六分数厘の弓を以て射を示し、弦を執って指導する姿勢と云えます。その活用、又伝統の射を利用するには四分でも五分でもいか様の弓力の弓姿勢で自由に、その射手の価値観に基ずいて時処状況に応じて行う多様性は守られるべきです。しかし日本の伝統の技の指導は本多利実師の云われる如く「一つの本」に従ってその実績をしめして行われるものと理解できます。