弓箭の有用性と多様性
弓を用いて矢を射る行為に内在するもの
弓箭の有用性と多様性
弓を用いて矢を射る行為に内在するもの
テレビも無い時代に子供時代を過ごした私には、竹を細工して弓を作る等は普通の事でした。矢を射る楽しさは今でも、遊び過ごした情景が浮かびます。何故、弓箭の有用性と多様性等の課題を上げますと、今は、何か公共の施設で声も出さず、体配が主体の射が指導者の管理の中でもくもくと行われる姿ばかりが心に映るのは、歳老いた目なのであろうか。
土地土地の神社の祭事などに弓の行事はたびたび紹介される中には射法等かかわりなく矢を射放つ心の風景が沢山ある事を思います。そこには心が解放され癒される何かが他の道具と異なるモノがること思い起こします。それは誰もが「射法」とは別に見まねで矢が飛ぶ面白さ、的中の驚き等々、それと行事の運行の工夫のよって、それぞれの価値観ともいえます射の風景があります。射法の在る弓道の近くには四半的や流鏑馬などは能く目にし耳にします。いずれにしても、誰もが弓を手にして矢を射放つことで心にすがすがしを生みだされるのが射と想い、その有用性と多様性の一部に「法」の有る射がある事がたいせつです。
先哲が工夫し具体的な書と実績に示される伝統の射は誰もが、自己の身体活力を利用できる自然の理に即した射法である事は今も変わりません。それはこれからも変わりません。しかしその型、技を用いるか否かは自由です。寧ろいろいろな局面の一つと考えるべきでしょう。的前を離れれば、遠矢や指し矢や要前などは骨法の内にありますが目的は異なります。たまたま骨法の話をしていますが、指導される方には骨法など全く無関心で、先哲の実績や事実も関係なく、まるで別の世界を主張されますが、いざその価値観を問うその所在は分らず段の上下のみに拘泥します。指導者が強い弓を強要することなどももってのほかです、初心者や10kg程度しか引け無い方に矢束一杯引かせたり、12、3㎏の弓を引かせなどはありえない事です。しかし指導者が10㎏台で良しとする事は先哲の示唆からありえません。その事が、射の有用性と多様性をかえって限定的にしているのではないかと危惧されるからです。
稽古には弓を射る事が好きな10代から90代のいろいろな世代の方々が集い、稽古のことはもちろん、弓を離れて話題となる事を見聞きします。サラリーマン生活を過ごしていた私には仕事を離れて集まる方々から、いろいろなことうかがい考えさせられ、思いが遠くに馳せてゆきました。上下関係など無縁です。
協会の目的を見ればわかります。弓を愛好し親睦を励む事が目的です。段を競い的中の多寡で上下を付けたり、礼の序列をつけるものではありません。特に定年になって初めて弓を手にされ学ぶ方々の心に接すれば、先ずは、新しい事に挑む勇気にむしろ励まされます、その方に礼に仕方など指導する姿勢に時には疑問をもちます。本多利実師が何故、明治22年「弓道保存教授及び演説主意」の冒頭で「進退周旋悉く礼に当らざることなし」と述べられたことには適わないと思います。
射の稽古は勿論ですが、休息の時、射を愛好する人々と交わした普段の会話から思い起こしたこと、心に廻ってきて調べたことなどは、私の射の取組みにたくさんの糧を与えて戴きました。其の事によって、歩んでいる自分の方向を映し出しながら、私の射の稽古が「正しい技」を求める道筋に居るのかを自覚すること役立ちました。寧ろ、お話したことを「自分が正しく成して無い事」に多く気づかされ、気づいたことで一歩前に出る事は、射に新しい事は無く、自分の姿勢に新しき事がおこる事と思います。
昔の事思い起こします。先生は、その事をとても大切にされ度々お話され、自らの経験も踏まえ、文章に起こされて見せていただきました。そのような会話が弾むよう、老若男女の違いを踏まえて垣根を取り払い、学歴や経験の垣根を取払い、指導する方学ぶ人々の垣根を取り、むしろ指導され方の素直にして謙虚な姿勢によって誰もが心を開き、自立する環境を作る事に努力されていました。時々、誰彼となく「射を見てくれ」と尋ね、一射を行じておられました。
一番厄介と思われたのは、段を取るに従って比較差別で接する高段者のふるまいであった様に思われます。自立を奪い他力にゆだねる姿勢を、暗に強要する姿と云えます。段は自分の励みのために受審する事を薦められ、低段者の審査には先生自ら赴き、受審者の不安を取り除かれていました。段が進むと、段取り競争の欲には勝てず「正しい技」の追求よりは、受かるための稽古にまい進する高段者が多く、類は類を呼ぶと嘆かれておられました。
多様性が価値を持つ現代、ひと工夫していろいろな価値観の基ずく分野を作って、何処の入り口から入っても相互に行き来して歩め、つまり入口は沢山あって射の文化が大きく膨らむ中で日本の伝統の射の文化が時代と共に常に再生する方法は射の中にもともとあると理解できます。
想いは「本多師と梅路師の射の系譜」をたどることです。