孔版型紙の世界
孔版型紙の世界
風土
豊富な水が育む私達の風土と文化の中で、孔版型紙を用いた伝統の和服は、長い歴史に磨き上げられた伝統の技と、多様で精緻な素材から生み出される、世界に唯一無二の装飾文化と思います。
南西の風が運ぶ梅雨、日本海がもたらす厳冬の豪雪は、森林を潤し大量の水を含む湿潤な風土をはぐくみ、事物を繊細にして四季に誘われた変質と変容する姿を繰返し生み出し続けます。
絶えず流れる水は、美し風土を創造しますが、地震と火山が創生した急峻な山峡を下る川は、人々の日常を瞬時に奪う災害を、幾千年も幾万年も毎年毎年、繰返し繰返し破壊と新生をもたらした事を多様な生命や風土、文化から知ります。
その摂理はここに生活する人々の感性に浸み込み、微細な変化を即座に感じ取る精神構造の基礎を成している様に思えます。
伝統の孔版型紙の技を学ぶ
巾約40㎝長さ数十㎝の型紙の絵柄を、十数㍍の反物の上に繰返し絵付けをする着物の型染め技術は、幾百年の工夫が結実し伝統の手工業生産技術となって今日にあります。
”作る人の心身”も”素材”も変化する手作業の生産工程の中で、横着をしないで段取りを重ね、心身を研ぎ澄まし、「正しい技を身に着ける修練を継続すれば正しい結果を得る」という手作りのモノ造りの基本を、伝統の技に触れる事で再認識させくれます。
彫りこまれた美しい型や、型を通して浮かび上がるレリーフ状の絵柄に心が騒ぎ、染色を終えて水洗する水の中に浮かぶ、色彩の輝きには驚かされます。森林の奥、透明な河川の光輝くブルーの中に揺らぐ反物がイメージされれば、その美しさは何と表現すれば良いのでしょうか。
「そのような着物が得られる型紙の絵柄を彫る技とその道具を活かす伝統の技」を修練する過程に、”変化に応じて技を為し、自立して決断する精神を培う” 力があります。
それは心身の膽錬に結びつき、その修練の継続は自他の乖離を意識から取り除き、やがて事象や時代の変化にも心の目が開き、自立して変化に応じる能力が開かれる道の入り口に導くと偉業を為した先人の姿を思い描きます。
型紙を彫る道具
型紙は”和紙三枚を柿渋で接合した渋紙”を”刀:ハガネでなる伝統的な日本の刃物”で柄(デザイン)を彫り抜きます。
通常、渋紙を数枚重ねて彫りこみ、渋紙を貫通する孔(あな、隙間)でデザインを形成して道具:型紙を作ります。
当然、刀の切れ味が型の性能を決めますので刀を研ぐ技能が大事です。カンナや鑿などと比べると研ぐ面積は手先に比べ著しく小さく、技の習得に研ぐ人の意識が明確に現れます。
刀に顕れる「かたかたちわざ」もまた他のかたかたちわざに内在する課題を教えてくれます。
変化に応じる能力
常に変化する環境の中で自然の理を深く見極める感性は、変化する環境を変えず、変化する環境に応じて道具と素材と段取り(作業環境)を調えて、変化に応じる練磨された技を身に着け、常に、繰返し高品質な製品を正確に生み出す心身一体の生産技術が、日本の風土に根ざした手工業の技となって、日本文化の礎として近代から現代の科学的生産技術の中に息づいていた、と思います。
高品質の和服を正確かつ多量に絵付ける「型染の反物の生産技術」はこの様な風土と文化に培われて、地域に則した生産の仕組みを育み、江戸期には比類なき「伝統の技」として完成された事は先人の偉業から確信できます。
明治に入って近代の黎明期以降、科学技術を加味した染色が進み孔版型紙の染色の技も変容しますが、伝統の技を現代に活かす方々によって、私達は先人が偉業を為した伝統の技に触れ、実践する事ができます。
伝統(伝える人、学ぶ人)
伝統の事物とそれにかかわる技は身の回りに沢山あります。
伝統の技を身に着け伝統の事物を作りたいと実践すれば、即座に、精緻にして強靭な精神に支えられた私達の先人の事物に触れ技を知って驚愕を受けた経験を抱かれたかたは沢山おられるのでは無いでしょうか。
四季の変化・日々の天気の移ろい・次々刻々と変化する温度や湿度環境、自然素材から成る現材料の品質バラツキ、作業する自分の技量の不確定性等、総てが変化しバラツク環境の中で、定量化などは程遠く、且つ後戻りできない連続技の伝統の手工業生産体制の中で、何故、素材を無駄なく使い、精緻にして再現性のある高品位な製品を生み出せるのか、其の事に目は向きます。
正しい技を身に着け純真にその技を為せば正しい結果に自ずと行きつく事が長い文化と歴史に陶冶されて先哲か築きあげた素晴らしい伝統の事物として私たちの生活にいきずいています。その「正しい技」に行きつくまで、私たちの風土と文化の中で自然の道理と云ったになるまで先人の努力と工夫が「正しい伝統の技」と「伝統の事物」として完成させれ、現代の文化社会にに伝わり、その本が自然であるので無限の可能性を秘め、私達に創造と自立の世界に誘います。
その技に純真に向き合えば、そこに、己の心身を正確に働かせる技の鍛錬の仕組み(以心伝心なども含む技の継承の仕組み)が長い歴史を経て構築された、生活に資する製品が生れる仕組みと道理がある事をしります。
伝える側と学ぶ側のこの関係はあらゆる事物に共通の仕組みのと類推します。
同時に伝承される事物に限定的な仕組みでなく、実に、新たな創造に飛躍する精神も励起される仕組みである事が歴史的な事物から判ります。
伝統の事物と創造
伝統の技を用いた新たな製品を創作したいと志せば、伝統の技の表面的な形にとらわれず、その技が生れた必然性を究め、実践して確認せねば、作られた事物の姿は似ていますが、歴史に継続する伝統の技とは認識されないでしょう。
その伝統のモノ造りにある”かたかたちわざ”の本質は何か、変化を測定器で知る事になれている現代人にとって、変化を予知する能力を経験の積み重ねで心身に育成する手仕事の技、その技を伝承し育成する仕組みは何か、と現代人の目をもって問い、見極めたいと思わずにはいられません。その問いは、現代科学の効率主義に偏重した経済活動、メリトクラシーの価値観、AI技術の負の部分から抜け出ない社会行動がもたらす心のの課題に対する人間の姿勢の見直しにも結びつくと思います。
日本文明
明治時代、チェンバレンは日本文明に言及しています。日本文明と云うを言葉あまり聞きませんが「日本文明」から想起する事を述べます。
大陸から離れていますが、中国文明と深くかかわり続けながらも、距離を保てる自然の海域があったので江戸期には日本文明として捉えられる新しい概念を意識できると思います。
鎌倉期からの宗教改革に続き、室町時代に農業生産が伸び、戦国期から安土桃山時代に世界の覇権と科学的生産技術の前触れを手にして世界情報を入れつつ世界との交流を閉ざし、自給自足の社会体制と洗練された日本文化を約300年にわたって深化させる中で生まれた精神と文化には西欧文明から見るとまさしく特異で不可解な合理性を持つ文明なのでしょう。
物を無駄にせず、良くも悪くも、独特の感性から生れる創意工夫は、ある種の合理主義を誘発します。手工芸的生産技術のイノベーションを継続して生み出される「知力と精神力のが日本文化の中に再生産され、人々の習慣又は習性として社会と文化の仕組として”かたかたちわざ”が創られたと云えます。天文知識や数理の知識、土木・建築の技術と生産制度、身の回りの事物の手工業生産制度、多数の出版物の生産技術と制度、版画に観る絵画の量産技術等枚挙に困りません。
飛躍すれば縄文の文明に起源を発し、東北アジアと中国文明の影響を受けて、独自の思考形態が織りなす飛鳥以前と、以降、大陸と海洋の狭間にあって中国文明と深くかかわり、西欧文明の科学文明と深い交わりに緒に就いた時の鎖国政策によって二万年の歳月が江戸期に結実した文明と思います。
日々の創意工夫に独特の感性をもって人と事物の力を極限まで活用する道を開き、その精神が文化になって生活を育めば、生活は貧しいけれど清楚にして、西欧人に”微笑みの国 と云わせる一つの文明で在った事を知ります。
そこには、おおくの仕来りや因習が在っても、生き延びるための工夫が、繊細な技や特徴のある「型」や行動様式を生み出したといえます。
その様式は今に活きているのでしょうか?。グローバルで均質化する一方、多様性が生み出すダイナミズムに活きた日本の文明を伝統の技の修練から自覚されるのでしょうか?。
その事に、目を向けながら、伝統の技を学ぶ事が、決して「礼」等の言葉を利用して権威主義的な「組織」を作ったり、「恰好だけ似せて伝統のモノ等と人心を惑わした、過去の歴史等に戻ることなく、先人の偉業に触れて、謙虚にして素直に学ぶ心を見据え、自立して多様化する社会を育む事と確信できます。
伝統の技を実践し己の心を見つめる意識が、私達の風土と文化の歴史の中にいる己の姿を出して戴けるとおもいます。