一つの生命:個体の集団 架空の話を進めます。
人の変化は集団の中で意識される。何もない世界の個人は存在も変化も意識されない。変化は集団の持続で生じ、認識は個体の集合に拠って備わる。文化と文明を築いた人の進化:集団の最小化による生命の自立生命体はいかがでしょうか。
集団の極大化による外界との連携と極小化における生命維持の変異。生物の行動を研究する分野の記述からは、予知に関する先天的な行動が見られるようです。先天的とは”いつから何を”と課題にせねばなりませんが、寧ろ、進化を前提にすれば、人の意識の前提、ないしは要素に、予知して行動する先天的な様式が定まっていて、その様式が無意識の中にあって、意識が随っている等と推定もされます。
おおくの細胞や原始生命体でなる個体の仕組み(組織)が科学的に明らかにされていく中で、変化する環境に対応する、器官や組織の連携の仕組み:集団化の仕組みが、恰も存在するような事象が、同時に、他の個体にも、つまり個体の集団:群れとして連動していると伺えます。つまり、明らかに 群れとして変化に対応する行動は生命の誕生ととに在る様に思えます。当然、ヒトから見れば無意識の部類:”本能”の仕組みなのでしょう。
その仕組みは人にも定められているのでしょうか。一つの卵細胞から数十兆の多細胞多機能の人としての個体ができる事を考えれば、一つ一つが独立して変化を受容してしかも同時に共同して変化に応じる仕組みは、個体が数十、否、数十万の集団となって共同して変化を察知し、変化に応じる生物の行動に類似しているか同じなのかを問われれば、同じと類推して話を進めたいと思います。むしろ、それが生命の持続の一つの仕組なのでしょうか。
細胞の中を更に見つめれば、多機能からなる多物質(多種多分子)がバランス(中和等エネルギー仕組み)して変化に応じのは、物質の変化の臨界点のようなモノがあらゆる生体にも在って、その状態が地球規模の生命体広がりが存在してあると意識を進めることが出来ます。
飛躍は更に続きますがしますが、それが生物の”気”のような伝達様式、つまり危険を察知して集団で一斉に方向を変える様な集団行動を理解する見つめ方も、型を類推して理解する帰結する一つの姿でしょう。当然、身体レベルで細胞や分子が心によって一つの中心外に向かった直線的なベクトル、電子エネルギの連携が在れば光の速度で瞬時に人体のエネルギーの総和が方向性をもって働くでしょう。
集団が熱狂してバランスを失い、危険を予知でくなくなる文化や文明の破滅する姿はその本質の部類に存在すると考える事が出来ます。