節の意味:連続性とベクトルの方向の変曲点
八節のなぞる形には意識されにくく、骨力で押し広げる動作に意識される事
節の意味:連続性とベクトルの方向の変曲点
八節のなぞる形には意識されにくく、骨力で押し広げる動作に意識される事
八節の”節の連続性”の吟味
1 骨法の道理の一貫性
2 大三の事
を取上げます
射法八節は弓を使って矢を射る「連続した一つのわざ」
を八つの部分に仮に分けて説明した「型」であるので、
八節の型と形を学んだら、それぞれの「節の連続性」の
吟味こそ、注力すべき事と思います。節々の間の八つ
部分を考え、之を主体に動作をすれば筋力で弓箭を
操作する事になり、節の連続性を吟味すれば骨力
の連続性(力の方向性)を意識する事ができると理
解できます。前者は見られる姿に意識があり、後者は
内なる力に意識が向けられ、その結果が外面・姿に現れ
ると学べます。
1 骨法の道理の一貫性
八節を遡れば、離れは会に連続しており、
会は引き分けの延長です。したがって自然
の道理に立てば”打起の終りから引分けの
起りに、離れに生じる同じ押し開きの骨力
が、両肩から両上腕の骨の方向に、左右同
時に等し力で弓と弦とを押し開く”事になりま
す。
更に遡って、引分けと打起の境:打起の規矩と
打起の骨力の状態、打起と弓構の境:弓構の
規矩と弓構の状態、弓構と胴造りの境:の連
続性も考えねばなりません。
先生から、取り懸けの始まり左右の結びつきにあり、
両手の内が左右から合う事で、馬手だけ寄るのは
正しくありません。と最初に云われ私の「失」を注意
されました。
「直」なるを「直」に活かす事。
「骨力」を以て弓を押し開きなさいという竹林坊師、高穎師
の記述を吟味すれば、当然、取懸と手の裏が弓・弦の触れ
た瞬間も”弓・弦を押し開く動作である”と意識するので在れば、
縦軸と横軸の伸びの中の胴造りの連続として動作をすべきと
理解できます。つまり、射手と弓箭との力学的関係が具体的
(力のベクトルの方向性と骨力が「直」と竹林の骨法の理)に始まる
と考えるべきでしょう。その骨法の理の姿がカケ口十文字であり
内一文字の姿と云えます。それが無ければ、外から見た姿に合
わせて十文字を作りますから、絵を描くとき直線えお定規引かず
手で少しずつ線を継ぎ足している、一見、直線に見えてもヨレヨレ
です。八節の形をなぞる引き方は「直」を為しません。
自分の中「直」を意識してその強弱を知覚して、その意思が筋骨
をして「直」にならせます。
2 大三の事
尾州竹林派弓術書の「七道の骨法」の規矩は
射の始中終の骨法射形伸びて縮まざる」こと
です。常に弓を押し開いている動作をする事と学
べますので、行射中に顕れる「失」の要因は射の
始にあると理解できます。
本多利実師と梅路見鸞師の打起の終りから引分けの始めの示唆を
具体的な技として著された記述は、本多師系譜の教本執筆師:高木
師、神永師の記述される一射の連続性が意識されます。
又斜面打起射法では、尾張系譜、尾州竹林派富田師の羽丈以上開
かない斜面の弓構と打起と大三(打起の頂点)記述から射行の動作
の内容には正面と同じと理解できます。
また、尾州竹林派弓術書を学べば、紀州竹林派吉見順正師の「射法
訓」と同じ文意が理解される事からも、斜面と正面に於いて射の本質
においてその同一性を感じさせます。
それ故、射法の扱いは理念によって異なると云われる梅路見鸞師
の「武禅」の言葉を理解する事ができます。「弓」を以て「道」に進む
信念なら、まず「正しい技」をとおして自らに問うべき、と学べます
1 骨法の道理の一貫性
八節を遡れば、離れは会に連続しており、
会は引き分けの延長です。したがって自然
の道理に立てば”打起の終りから引分けの
起りに、離れに生じる同じ押し開きの骨力
が、両肩から両上腕の骨の方向に、左右同
時に等し力で弓と弦とを押し開く”事になりま
す。
更に遡って、引分けと打起の境:打起の規矩と
打起の骨力の状態、打起と弓構の境:弓構の
規矩と弓構の状態、弓構と胴造りの境:の連
続性も考えねばなりません。
先生から、取り懸けの始まり左右の結びつきにあり、
両手の内が左右から合う事で、馬手だけ寄るのは
正しくありません。と最初に云われ私の「失」を注意
されました。
「直」なるを「直」に活かす事。
「骨力」を以て弓を押し開きなさいという竹林坊師、高穎師
の記述を吟味すれば、当然、取懸と手の裏が弓・弦の触れ
た瞬間も”弓・弦を押し開く動作である”と意識するので在れば、
縦軸と横軸の伸びの中の胴造りの連続として動作をすべきと
理解できます。つまり、射手と弓箭との力学的関係が具体的
(力のベクトルの方向性と骨力が「直」と竹林の骨法の理)に始まる
と考えるべきでしょう。その骨法の理の姿がカケ口十文字であり
内一文字の姿と云えます。それが無ければ、外から見た姿に合
わせて十文字を作りますから、絵を描くとき直線えお定規引かず
手で少しずつ線を継ぎ足している、一見、直線に見えてもヨレヨレ
です。八節の形をなぞる引き方は「直」を為しません。
自分の中「直」を意識してその強弱を知覚して、その意思が筋骨
をして「直」にならせます。
八節の”節の連続性”の吟味
1 骨法の道理の一貫性
2 大三の事
を取上げます
射法八節は弓を使って矢を射る「連続した一つのわざ」
を八つの部分に仮に分けて説明した「型」であるので、
八節の型と形を学んだら、それぞれの「節の連続性」の
吟味こそ、注力すべき事と思います。節々の間の八つ
部分を考え、之を主体に動作をすれば筋力で弓箭を
操作する事になり、節の連続性を吟味すれば骨力
の連続性(力の方向性)を意識する事ができると理
解できます。前者は見られる姿に意識があり、後者は
内なる力に意識が向けられ、その結果が外面・姿に現れ
ると学べます。
1 骨法の道理の一貫性
八節を遡れば、離れは会に連続しており、
会は引き分けの延長です。したがって自然
の道理に立てば”打起の終りから引分けの
起りに、離れに生じる同じ押し開きの骨力
が、両肩から両上腕の骨の方向に、左右同
時に等し力で弓と弦とを押し開く”事になりま
す。
更に遡って、引分けと打起の境:打起の規矩と
打起の骨力の状態、打起と弓構の境:弓構の
規矩と弓構の状態、弓構と胴造りの境:の連
続性も考えねばなりません。
先生から、取り懸けの始まり左右の結びつきにあり、
両手の内が左右から合う事で、馬手だけ寄るのは
正しくありません。と最初に云われ私の「失」を注意
されました。
「直」なるを「直」に活かす事。
「骨力」を以て弓を押し開きなさいという竹林坊師、高穎師
の記述を吟味すれば、当然、取懸と手の裏が弓・弦の触れ
た瞬間も”弓・弦を押し開く動作である”と意識するので在れば、
縦軸と横軸の伸びの中の胴造りの連続として動作をすべきと
理解できます。つまり、射手と弓箭との力学的関係が具体的
(力のベクトルの方向性と骨力が「直」と竹林の骨法の理)に始まる
と考えるべきでしょう。その骨法の理の姿がカケ口十文字であり
内一文字の姿と云えます。それが無ければ、外から見た姿に合
わせて十文字を作りますから、絵を描くとき直線えお定規引かず
手で少しずつ線を継ぎ足している、一見、直線に見えてもヨレヨレ
です。八節の形をなぞる引き方は「直」を為しません。
自分の中「直」を意識してその強弱を知覚して、その意思が筋骨
をして「直」にならせます。