「草菅勝穀」
「草菅勝穀」
竹林坊如成師、高穎淑師、本多利実師、梅路見鸞師の四師が共通して取上げています。
「射の草菅穀に勝つと云うは耕作の田地に草菅などまじれば必ずまことの穀は痩せて草菅多く栄え穀に勝つ也 日々に草菅をとり捨つれども猶後より又生じける也 されども日々に怠らず草菅の煩悩を去る時は其の内に穀は育つ…(尾州竹林派弓術書(生弓会蔵)版ヨリ)」
「射形の迷い」は「輪廻の弓とて射行い難し」と竹林派弓術書に在る様に、射の技を学ぶ心を深く蝕む病なのでしょう。否、型形技を学び自己実現をせんとするあらゆる藝に棲みつく病と思えます。その病の芽を摘むのにこの言葉は使われています。
明代の射学正宗、尾州竹林弓術書に現れ、本多利実師の著作に現れます。この病は一本、一本の稲の生長と射の病や癖が射手全体の射形となって姿は射に似ているが、射とは違うモノである事に注意して、病や癖を日々直しなさい、と警告していると学べます。さらにそれが田畑全体、つまり射の世界全体に広がって、射とは異質なモノとなる事を梅路見鸞師は昭和十一年の「武禅」に病の本質を書きしるしたと愚考しています。本多師が明治の始めに弓界の実情を伝え「今の人、射は骨法の然る所以を知らず」と云い切った事実と重なります。
竹林坊如成師、高穎師、本多利実師、梅路見鸞師に脈々と流れる「射法射技の本は一つに潜む、一つの射の病根」である「自然の道理:骨法から逸脱する世界が必ず生ずる事」を同じ比喩を用いてあぶりだしている格言と学べます。
以上
射学正宗
嘉穀を植うる者悪草除かざれば勢い必ず蔓延して嘉穀廃するが如し故に善く嘉穀を植うる者は必ず先ず尽く稲を害するの草を捨て嘉穀自ら茂る
「弁惑門の序」には高穎師が射法を弁えずにつけた癖に苦しんだ経験を詳細に自戒して、何故その癖になったか詳らかにしています。その経験を十二ケ条に記述しています。「弁惑門総括」では、穀をむしばむ草と菅を病の喩えにして正しい射法射技を育む稽古をする心掛けを私たちに伝えています。
「武経射学正宗同指迷集譯解」:昭和2年7月25日発行小澤瀇著 廣道館発行
弁惑総括
「 夫れ射の惑ただ一端に非ず僅に其十二条を挙ぐるは此れ皆相も承け相倚りて射中必趨の弊惑の大なるものなり此に一つもあれば必ず且に誤りを以て誤を成し弊端互に起りて射法紊れんとす猶ほ嘉穀を植うる者悪草除かざれば勢い必ず蔓延して嘉穀廃するが如し故に善く嘉穀を植うる者は必ず先ず尽く稲を害するの草を捨て嘉穀自ら茂る射に工なる者は必ず先ず尽く迷心の惑を去て射法始めて純なり況んや射の巧至微にして至精心に発して手に応ず…」
尾州竹林派弓術書(財団法人生弓会蔵版)
尾州竹林派弓術書に現れる「草菅穀ニ勝」は、射形に惑う心の病に向けられています。六道の指摘する病は手にする弓の弓力に現れる事が日々の稽古の中に見られます。突き詰めれば先哲四師が云われる様に八節の型が何故その射形・規矩になるかその道理「骨法」の理を学ばない事に起因すると愚考します。
尾州竹林派弓術書(財団法人生弓会蔵版)本書 第二巻
六道の事 六道と云いて弓に苦みあり輪廻の弓とて事行いひがたし輪廻の弓は射形の迷也 離れがたき事也故に事行ひがたしと云へり
一 地獄の苦み 射形に苦み安く射る事叶わざる事を云う
二に餓鬼とは強き骨を弱くあつかひ力の無き故悲しきを云う也餓鬼とは骨法の強き生れ付きなるを求めて弱くあつかひ己の力無きと思い悲み嘆くを云う
三 に畜生は矢束を無理に引きたがり上手の事を似せたがるを云う也矢束を無理に引くと云うは引く矢束引かぬ矢束と云う二つの理をも知らずして無理を以って引く矢束也上手の事を似せたがるは至る所を知らざるによって我が芸の愚かなるともしらず故に上手の事を似せたがる気象離れず我知らずしてむさぼる心あるを畜生と云う
四 に修羅とは無理に強みをあらせて位へおそき事を云う也まことの強みにあらず無理にしてよくりきむと云う事也
五 に人道と云いてあまりにゆるゆるとのびがちにばかり心得て位へ付かざるを云う也たしかなる所無くつつまやかならず取り留め無きさまを云う也
六 に天道とは美しく射る事のみを願うを云う也
右六道に迷う病は草菅穀に勝つにて癒すべし
草菅穀に勝つと云うは耕作の田地に草菅などまじれば必ずまことの穀は痩せて草菅多く栄え穀に勝つ也 日々に草菅をとり捨つれども猶後より又生じける也 されども日々に怠らず草菅の煩悩を去る時は其の内に穀は育つ也 右に云う六道の病は離れ難き事なれども草菅を去るごとく日々に去り捨てよ終いに其の芸の育つに随いて 彼の六道の迷 離るるぞと云う心を云わん為に草菅穀に勝つとばかりにあらまし云うて知らしむる也
本多利実師著「弓道講義」(国立国会図書館蔵)
「地獄ということを弓を射ることに就いて申しましたのは、未だ巧者とはいわれぬ初心の内から、兎や角と自分の射形を気にして迷い苦しみて安じて弓を射ることの出来ぬ様を申します。…之れ仏語で申す六道輪廻の中の地獄であって、常に迷い苦しむ人につきて申します。…」と本多師はのべています。
「初心の内から」とありますように、これは指導する側の射に向かう姿勢によって、病の根本が取り払われるか、根付いていくか、道は全く異なると本多師は警告されていると愚考します。本多利実師が「骨法の理を学ばず、射形に捉われ形ばかり教える流派の指導者を断じた」その基が竹林坊師の言葉にあると学べます。
本多利実師著「弓道講義」(国立国会図書館蔵)第三編射術細論 第三部括論
第三章 「六道輪廻」 より
弓も六道にはまったならば何分上達が出来ぬという譬を申したので御座います六道輪廻とは僧侶の申す仏語で御座います。 然らば六道とは何かと申せば、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、天道の六つを申します。此六つは能く僧侶の説教などに用うる言葉で御座いまして、其例を取りて弓の癖や病に名をつけたもので御座います。兎角弓は毎々から申す通り精神が七分で形が三分であります。則ち精神の方を重に使います。従って精神から起こる病癖も多いの御座います。それ故、これを悟った上はこれを未然に防ぎ、又は矯正せねばなりません。
一 地獄 地獄ということを弓を射ることに就いて申しましたのは、未だ巧者とはいわれぬ初心の内から、兎や角と自分の射形を気にして迷い苦しみて安じて弓を射ることの出来ぬ様を申します。誰でも自分の悪いというをが知れるときは、彼方か此方かと考え、彼れ此れと気を揉みます。之れ仏語で申す六道輪廻の中の地獄であって、常に迷い苦しむ人につきて申します。弓にしても同様で碌々未だ修行も積まぬ中から射形などばかり迷い苦しむ人を戒むる為に設けましたのであります。
二 餓鬼 自分では立派な骨格を持ちながら、夫れを己はさほどには思わずして、却って自分は力なき様子をして、力相当よりは弱き弓で無ければ引けぬ様を致すことを、この弓の方に餓鬼と申します。即ち、充分の力を持ちながら弱き弓を好み、何か高尚らしくして申して修行に苦しむのであります。技術の修行が積まぬという事は顧みずして、ただ自分の体力の足らざる事のみ思い悲しみ嘆くを申します。
三 畜生 これは餓鬼とは異なりて、自分の修業の積まぬを顧みずして、無理に矢束など引きたがり、頻りに上手を真似る風のあることを申します。つまり我芸の未だ熟せざることは知らずして、唯に巧者の人の真似をする考えにのみ心を注ぐことで、即ち貪る考のあることを畜生と申します。
四 修羅 彼の仏者の申す修羅と同様で一口に申せば殺伐の有様を申します。即ち餓鬼とは反対で自分の力にあまる弓を引きたがり、自分の力では届かぬ處へまでも矢を飛ばしたがることなどを申します。何れも心おだやかならぬ弓の病ではありますが、此の方は色々に気を揉みまして、遂には怒り出すという様な気味のある弓の病で御座います。
五 人道 人道とは余り活気もなく、心ゆるゆるして居て、凡て延びやかにのみ心得ておりまして之れと確かな處なく愚図愚図して居ることを申します。 矢数を多く引き修業を積んで早く達者になろうという心などは更にないことを申します。所謂優々閑閑として唯弓をてにするというばかりで、定まりつかぬ人を申します。物にあせらず、せまらず、むしろ無頓着なものを申します。斯様な訳では弓の成熟するあてもなく、結構なる弓の発達は見られません。唯優々閑閑と射る丈けに止まります。依て適当なる名の付けようもありませんから、仮に人道と申すので御座います。つまり形の上ばかりを真似て、精神をこめて法則を考えてこれに據るという様なことは更にありません、之も誠に悪しき病で御座います。
六 天道 天道とは至ってはや、すなほなものであります。之は技は人道に似て居りますが、其精神は人道とは大きに異なっております。人道の方は唯弓を引くというだけありますが、天道の方はそれに付け加えて、すべて延びやかになり過ぎて弱くなる気味が御座います。且つ綺麗に射て見たいという念慮の離れぬ事を申します。一つ好き強みのある冴えたる矢を放して見ようという考えは無く、唯一心に美しく美しくとばかり思い煩うことが天道の病で御座います。
以上は弓を習う間に起り易き病癖を仏語の六道に言葉を借りてお話し致したもので御座います。即ち弓の射形に迷うものはいつも気分落ち付かず、タエズ益なき苦労に心を悩まします之を直すには、次章に申します所の草菅勝穀にていたします。
第四章 「草菅勝穀」
草菅を文字の通りに解釈いたしますれば、くさやすげでありますが、此處では草菅ということを雑草即ち田畑の稲苗を害し荒す所の草を申します。この草は稲よりも生長早くして、採っても採っても生いる誠に厄介な草であります。されば常に抜いては捨て抜いては捨て少しも油断なく此草の根を絶やすように務めねばなりません、稍ともすると草菅の方が蔓延して大切の穀草を枯らして仕舞うか或いは枯れぬまでも痩せ衰え見る影もない様になります、そこで草菅勝穀と申します。弓に於て病癖が即ち唯今申す草菅で御座います。此雑草の名も大抵お話致しましたから、弓に就いてどれが作物であるか、又雑草であるかの見分けも付くことと存じます。そこで雑草を知ったならば、一日一穀も早く抜き去りまして、弓の成長に妨げをさせぬ様に勉めねばなりません。・・・・・・
梅路見鸞師「武禅」ヨリ
武禅 第三巻 (昭和11年11月13日発行)「説苑 弓道の危機」梅路見鸞師
の冒頭の記述
「弓道は其數の増加につれ漸く繁ならんとしている。従って統制と向上とに必要とせらるる種々な方法が行われているが、就中、進級制度の設定、射形射法の統一、教者の選擇等が其主なものであろう。勿論これ等の方法は弓道の理想とする、弓道一如とか、射即人生とかの目的現成の為に実施され、既に相当な年月を経て来ているが、果たしてその期待の如き成果を収め得て いるか無かを、現弓道界の実情裏に求めて見ることにする。
・・・
一、進級制度 …略…
一、射形射法の統一 …略…
一、師範の選擇 …略…
に始まる「説苑 弓道の危機」は、全文を読まねば時代の状況がつかめませんので 別途全文を記載します。ここでは「勝草菅穀」に係る記載を以下に掲げますかかげます。
昭和11年当時の弓道界の姿と課題を指摘し、自ら為すべきことを宣言して成し、当時の弓界の実態とその因果詳細に分析記述されております。その上で、”一見立派に見える稲の田が、雑草が既に稲を駆逐し違うものになってしまっている”という喩え以って、姿が弓道の様に見え、動作が射の様に見える姿が、形ばかりのものとなって蔓延り、終いには形式的な弓道になって病が繋がって行く事を指摘されたと愚推します。
武禅 第三巻 (昭和11年11月13日発行)「説苑 弓道の危機」梅路見鸞師 より
・・・
今、最善とされている諸方策の実施状態を見るに、宛も、粗暴にして労力を惜み、泥と草とに手の傷汚れを懼れ、而も肥料盗取の雑草を除き却ってこれを肥料として稲の成長を助け、秋の結実を得る事に於て真に徹底せず且つ責任を徹底的に負わざる人の田草取りに酷似している。泥の表面を極めて粗雑に軽く掻廻して行く、成程 真の草取りと同様に濁る。数日の後に見る、水は澄んで方に雑草は以前に倍して成長している。更に除草の方法を工夫する。この度は草が伸びているだけ多少か手にかかって切れるものもあるが、数日後には草は又成長している。又方法を案出する。この度は横向きに伸びし目立った草を一本づつ引きちぎって廻る。斯くする間に稲に似た草の成長につれて稲と草との区別は分ち難くなる。時日を経るに随って田畑は緑一様となる。
「ヤア 稲が繁った、この出来はどうだ!」と見て喜ぶ、
傍らにこれを憂いて、
「この田に茂るものは稲に似た草である、真の稲は既に草の為に枯れ今は幾株も残っていない、而も健全なものは無いと言ってよいくらいでそれも田草取り評定を是としなかった人々が、自らのての届くだけ少々草を取って置いたのであろうが、これとても今の中に周園に残る草を取って追肥を施さねば少量ながらも実を得る事は困難であろう」
と言って、草と稲とを一々区別しても、既に目が誤っている為に、容易に鑑別がつかぬ。傍人は思うが、今直下に草を取去ろうとは考えぬ、否取り去る事は出来ぬ。のみならず、稲に酷似せる草の良く成長しつつあるものに肥料を十分に施し、培えば稲になると信じている。故に除去の必要が生じても、僅に草の中の最も貧弱なるもの、質の稲に似ぬものぐらいを取り去ることしか務めておらぬ。憐れむべき愚鈍なる田草取りの雑草栽培屋である。
・・・
400年程前、骨法の理に基ずく射法射技が生まれた高穎師、竹林坊如成師の時代も、江戸期の射の興隆と衰退の後、各流派によって再興された時代にあっても「射の持つ本質に病の根が宿る」事を重大視して伝えています。近代に在っても「姿だけが射に似て中味が射でなくなる」と云う本多利実師の指摘は、大正から昭和の始めの状況を梅路師も「弓道」の観点から指摘したと愚考します。
「射法射技の本は一つ、今の人骨法を知らず」という事を諸先哲の示唆から考察すれば、各師の射法の基にある考えに一つの流れを感じます。梅路師は禅の導師でありますから、ここの冒頭の記載にもありますように射法射技の先にある、「自力で正行を為す人を現生する実践」がその理念の指すところ理解すれば、禅道の道法の一部として「骨法の射法」を用いられ、かつそれを含めた先の「自然合法の射」を提示されたと愚推します。その観点から「弓」に「道」を冠して実践する実態について述べられたと思います。
以上