矢束一杯に引かない病
矢束一杯に引かない病
矢束一杯に引かない病は「技に係る」こと、先生の「指導法」に因る事、射手の「心に病」の三つの面から向き合うのが良いと学べます。
技に係る事は「引かない」のでは無く、「引け無い」と理解すべきでしょう。主たる原因は射の理に理解にある事とおもいます。
先生の指導法に係る事は先生が「引きすぎ」と云って「引かせない」ことに因る事が多いと思います。主たる原因は、本多師が言われる如く骨法の理を先生が知らない事に因るとおもいます。当然、指導される方も矢束一杯に取らず、歳をとると右肘は肩線より前に出て安定せず、射形は乱れます。弛めた当りが多くなり射形がみだれます。
「心の病」は「弛めて当ててもアタレば良い射で射形は規矩に適ったと思い込む病」といえます。之も本多師が言われる如く「射は射て成る」と信じて「射法は表面的に知っているが、骨法の道理等学ぶ気は無い、若しくは無関心」です。この病に限らず、「正しい事」は的にアタル事で、外れた時に「正しい技」は何かを問わず、どうしたら当たるかを詮索し、やがて癖の技を繰り返し器用にあてると高穎師や本多師の述べる射手になります。
技の病
その病は右手首の手繰り現れるのが普通です。その結果、右肘が浮いて弦道を自覚できません。できなければ矢束一杯に至らない事は竹林派弓術に明確です。
その課題は二つの技が考えられます。一つは「取懸け」の課題。もう一つは「打起の終りから引分けの始めの連続性の理解の仕方と技の内容」です。ここでは後者の課題を吟味します。
骨法で最初に知ることは「両腕上腕の向きに左右相応して押し開くこと」と思います。打起の終りから引分けの初めに右手上腕は押しになり、右拳は自然に弓手に引かれます。手繰る原因の殆どが、ここで自らの意志で右肘を折る癖を身に着けます。その原因は矢の水平性、矢の平行性に気がとられ、一意に左右押し開くと云う意志を棄てるからと学べます。
これは初心の初めに習うことです「右拳は弓手に引かれる」と教えられます。しかし、すぐに忘れ、数十年の経験者になっては無意識に折り曲げパブロフの犬のように引分けに入ろうとする時に条件反射のように曲げます。そのため「弦搦」は起らず、弦道を 自覚できず、当然矢束一杯等経験しません。
意外と押し開くだけで射形はととのいます。それには弓を硬く握らないと云う教本の示唆から始めれば良いし、右手は打起から大三に行くとき馬手拳は弦に任せ、自分で操作して曲げないことから始まります。その事は要の技「弦搦」を自覚する事になります。私の射の風景は、打起と打起から引分のはじめに射の成否があると云われた先哲の言葉に従って、神永師と高木師の技をけいこしています。酷い手繰りで矢を引き込んだ癖を骨に浸み込ませた事を自戒する身には、本多利実師の以下の示唆は常に初心に帰って稽古する勇気をもらえます。自分の射の風景では善き師は、今は、先哲の書になります。
本多利実師 「弓道保存教授及び演説主意」より
故に射の業を習う人は、能き師を求めて学ぶ時は
ひと月にして骨法を知り
ふた月にして射形調い
み月にして弓力増し
よ月にして味わいを覚え
いつ月にして調子を得
六つきにして真の中りを知る。
然して累年の上、妙手を得る也
指導の事
根源的な病が蔓延する原因
「矢束一杯に引かない癖」は「矢束一杯とは何かを知らない事」、「矢束とは何かを問わない事」に因ります。
4,500年も昔から続く武士も、明治の時代になっても ”矢束一杯に引かない癖”は、誰もがかかる大変、根深い「病」であると、先哲本多師と高穎師が指摘している事を、素直にして謙虚に指導者も学ぶ者も「正しく」受け止めるべきでしょう。
「技の病」の冒頭に記しました如く、本多利実師や高穎師が指摘する様に『伝える側が骨法を理解したうえで、矢束一杯の必要性を「正しく伝えない」、又は「講じ、説明でき無い事」にあると学べます。高穎師や竹林坊師が創意工夫した「射法の理の記述した時に、並行して、その弊害を警鐘している」のにも拘らず、本多師が千を超える弓術書を精査した上で「幾百年変わらない事実」と云われるのですから「射に根差す根源的な癖、病」と学べます。
初心者の癖と指導
矢束一杯に”引か無い”、若しくは”引くことができない病”の主な原因は、八節の型と射形を覚え始める、出発時点にあると思います。つまり、初心者は指導者の姿勢にあり。少し過ぎれば、指導者と学ぶ者の姿勢にあるといえます。教本二巻の記述から学べます。
振り返れば、初心の頃、まず八節の射形を学びます。八節の型とプロセスを覚えてましたら、型、形は見せるためのものでは無く、弓を押し開く結果生まれる姿である事を理解して学びなさいと素引きの実践稽古を指導されます。
始めの実践・稽古は 少しずつ矢束一杯の稽古をします。矢番えして初めに無理に引くと必ず手繰り、姿勢を崩します。押し開きに徹して徐々に矢束一杯に入る事を学びます。良導の師は、姿勢を崩して矢束一杯など決してさせません。むしろ骨法を学ば無い指導者は、無闇やたらに引け引けと云われます。骨力を主体に弓を押し開く人は、連続する一射に従って徐々に矢束一杯になる様、筋道立てて教導されます。
暫くして、矢を番えると10㎏以下の弓でも引けません、体・姿勢も崩れます。また少しして、矢番えして射場に立ち、矢束も取らず姿勢も崩れ無いでアタリもすれば、指導される方は「それ以上引くな引くなと云われ」、「射形が崩れれば体を触って」なおします。以降、学ぶ者は矢束等お構いなく当てる事を探り、姿勢が崩れれば弱い弓を求めます。本多利実師が「指導する方の射に向かう姿勢」を問われた症状とおもいます。
本多師が「素引きと矢番え動作の違いを知りなさい」と近代の夜明けの始めに云われたのは「筋力で作る矢束は骨法の理に適う正しい矢束とならない」と指摘されていると理解できます。なぜなら、矢束一杯の正しい技(理論)と雑(矢束一杯の不備)のギャップを正しく認識せねば、骨法が自然の道理に適う唯一の射法であるとの認識に立てません。その事を射を学ぶ最初に、指導者が説き、実践して行い。日々の射場での稽古の姿を示す事と理解されます。
原因は何でしょうか
矢束一杯に引かなくとも当てて、競技で勝てるからでしょう。射学正宗で高穎師が指摘する処です。心の課題を問わねばなりません。矢束一杯の射形にこだわることも無く、射の連続性等無頓着にして、前後の関係等無視して引分けを修正しながら、無意識に筋力を使って当てる射です。本多師も高穎師も「弱い弓で実に器用によくあてる」と記しています。
勿論「射の法があり射法八節を知っているが、自分はそれに因らないと自負される射手の器用な当り」は全く問題になりません。しかし八節の射法にのっとて射を行う者は認められません。ましてや指導するひとが実践すて教導する事でもありません。矢束を取らず、弛んで当てて競射を誇っている姿を目にしては、疑問は膨らみます。
「根」は的を射る、まぐれ当たりに心が震える射幸心にあり、型形ある幾千年の文化をすぐに身に着けたいと思う横着心に、痛くもカイクモ無い遊び道具、弓箭はぴったりなのでしょう。射に理論を付けて癖当たりを重ねれば自然正雑は正邪は不明にの闇に入り、迷路をさまようのでしょう。仏教者と云われる竹林坊師が輪廻の迷いと云われた意味と、今は学びつけます。
矢束一杯を取れない弦道を生じる起因は「手繰りにある」事を述べました。これは「骨力」を理解せずに「離れ」のわざ「胸の中筋から離れる」事を実践しようと想起しない事に一因があります。弓手角見と右肘が張り合う射の理が、見肘で無く手首で張り合っているのに、右肘で張り合っていると錯覚するから」理解できます。病は「右肘が浮く」と言う事を学びました。当りのある人を見ると、緩みながら感覚でこの矢束にこたところで弓手を押し繰り返す調子を持っています。当りに集中する、否執着する事で所といえます。まず、私の射の風景を回顧すれば、骨法とは何かを問い、取懸けを見直し、弦がらみを自得を目標に、弓構からの弦道を「過去身から連続する一つの骨力と意識」して射を行じると、180ど意識を変えることとになります。
心の病:先哲の見解
高穎師は「射学正宗」 の中で ”素引きで矢束一杯引く人も、矢を番えて引く時は矢束一杯に引かないで当てる癖の人がほとんどで、この癖は、先ず治らない” と記述しています
本多師は「射法正規」 の中で ”矢束一杯引いては中らないなどと云う人は間違っている” と明言しています。