射
射
弓で矢を射る爽快感は格別です。安全が配慮された青空を飛ぶ矢の音は心に残る風景です。日本の伝統の射には弓箭と身体の合理的活用で実践された事実とその射法理論が4、500年の歴史に培われ弓術書に明確に伝わっています。弓術書の一言が実践で納得される達成感も途切れることなく続き、為すべき筋道を具体的に示された先哲の偉業の凄さを実感しつつ稽古できる日々を感謝しています。先哲の示唆される
「射法射技の本は一つ」
「他との比を見ず功拙を意とせず私意を弄せず一途に己を尽くす射を為しなさい」
とこころして悠々たる一射を思い描き射をする日々の稽古の楽しさが心身を潤してくれる私の射の自画像です。
はじめに
弓を手にして半世紀以上過ぎました。普段の健康と体力で家族とサラリーマン生活を営みつつ弓に親しみ、本多利実師著「射法正規」に記述される、誰もが扱える「普通の弓力:六分五厘(約30㎏)の弓」、日弓連 教本一巻(改訂版)に記載されている「六分数厘(25kg程度)の弓」の射こなしを目指しています。
「学ぶ心に創造の芽を育て自立を促す伝統のわざ」と「はじめに」の項で述べました。しかしながら、伝統の技は全く反対の世界が生まれる事は歴史が示し、偉業を成した先哲は皆その書に指摘するところです。伝統を学ぶときに心すべきことは、横着して「かたかたちわざ」の表面だけ真似る癖が付きやい事実をはじめにこころしておく事です。それ故、指導は恰好ばかり教え学ぶ者の可能性の芽を摘み取ることの無き様にして、学ぶ人の創造性と自立を促す事になります。之は一つ伝統の技にかかわらず人の成長と発展の基本と思います。寧ろ、偉業の為した先哲各師は生涯学ぶ者ととして謙虚に心を開いています。射の筋道を開いた先師は皆其の事をのべています。
可能性を求めて学び
指導は只管ら「法」を学び、芽を育て芽をつまず自立を促す
弓を引く動作を「射」と云いますが、日本の射は「自然の理」に適う「骨法」が4,500年程前に創意工夫され、現代に続く「射法八節」があります。
「法」を無視して無闇に弓を引くのではなく
射法射技の理「骨法」とは何かと学び考え自ら究明し
「射の理」を確と想い描き一射を行じ
知と実践の両輪を回して修練します
「先哲の射が顕現する事実と真意の示唆」をリスペクトして行射するうちに顕れる心象と事象を、「射の理と先師の実践」に謙虚に照らして「骨法の射」の体得を進めます。自身の想いと行射の事実は「射の自画像」に顕れ、「骨法」を無視する事無く自然の理に適う姿に至る筋道に沿う人それぞれの「射の風景」が、時を重ねる事で生まれる創造的な伝統の技と学べます。
射法八節は「骨力」を主に動作する射技によって現れた姿・形を、八つの部分に分けて、その姿・外見を記述した射法です。それ故、射法八節の姿・形を知っても、外見が生まれる「中味=骨力の動き=骨法」を理解せねば役立ちません。いつの時代にあっても、又歳をとっても、誰もが25㎏ほどの弓が引けるのは「骨法に適う八節の射法射技」によると理解できます。引け無いのは
「射は射て成る事と思い、骨法の然る所以を知らず。
故に、射る程 益々病い深く骨に入りて 終いに射の理に遠ざかるは哀れむべし」(注※)
と近代社会の夜明けの時に本多利実師が断言される事に明白です。
「骨力」をもって弓を射る方法を創意工夫して発明した達人が書き著した「射法八節の射技」は「誰もが25kg程の弓で矢を射れる動作である」ことを思えば、「弓術書にも載らない弱い弓で、筋力を使って射法八節の姿を真似て矢を射て15間先の紙的に当てて」も達人の様に矢が射れたと想うことはできません。「射法射技の本は一つ」と本多利実師が云われる背景は、矢を射る姿には筋力を主に使い弱い弓で八節の形を真似て美しく引いて紙の的に当てる「骨法の射とは異なる射に似た別の姿」が必ずあらわれるからです。事実「六分~六分五厘(25kgほど)の弓は古希を過ぎても射こなせる」と云われる先哲の教えを実践されるひとは稀と云われる現代です。
それ故、「本は一つ」と云われる事には、弓箭を扱う姿に「二つの姿が在る」事をはじめに知って稽古を積まねばと理解できます。「射」に限らず、伝統の文化や技を学ぶ時「うわべの姿ばかり真似るのでは無く、何故その姿なのか、その本質をとらえなさい」と常に云われる事です。
弓箭を扱う姿に「二つの姿が在る」事は弓箭を手にした時から顕れます。
初めて弓を手にしてすぐに矢を弦にかけて射放つことはしません。先ずは矢を弦にかけずに、弓だけを骨法に随って弓弦を押し広げます。これを素引きと云います。
この動作を大凡、身に付けたなら次に矢を番えて弓を押し広げ射放つ稽古を始めます。これを矢番え動作と云います。
実践してみると「素引きの動作」と「矢番え動作」は同じようにしているつもりでも、同じようには行きません。ここに「二つの姿」が顕れます。そのときに「学ぶ人と指導する人が「骨法」を通じて学ぶ意識が通ずるか否か」が「二つの姿を生み出す本」になります。それ故、本多利実師は指導者に向けて多くの警鐘をならしています。
指導する人が「骨法」等勉強してこなければ指導は表面の形ばかりになり学ぶ者は形を作る癖を育てます。「骨法」を学び、骨力で弓・弦を押し開く意識で弓箭を自然に働かし、「弓箭を扱う射手の姿」が「骨法の技」を積み重ね射法八節の姿に適う人の指導であれば、学ぶ人が「八節の規矩が、何故、そのような規矩なのか」の問いに骨法の理に随って応え、骨法の理と実践の両輪を学びつつ正しい射技を実践稽古する姿勢が育ちます。
初心を過ぎ数年の経験者や熟達者が、射の動作の二つの姿を意識しても、表面的にはなかなか見分けは尽きません。
15間先の的前のアタリハズレではわからない事は、経験の少ない若い方が熟達者や高段指導者より良く当たる事を見ればわかります。唯一、見分けがつくのは扱う弓の強さです、一概には言えませんが十数㎏の弓しか射こなせなければ「骨法」に適う「正しい射技」を修得していると云えません。骨法に適う射の姿は、骨法の理解が進み実践してその道理を自得すれるにつれて、弓力は上がり続けます。普通の体力の人であれば、「骨法」に適うその弓力は「骨法」を記載する「射法正規」や教本に記載される「普通の弓の強さ:20数㎏程度の弓力の弓を矢束一杯に射こなし」且つ「八節の規矩の筋道に適う又はその方向に在る姿があらわれる事」が目安になると理解できます。
先哲の教えを基に「射」を考えるこのHPの手法に随って、以下に本多利実師と高穎淑師の示唆をここに取上げます。
本多利実講述「弓道講義」大正12年大日本弓道会編:国立国会図書館蔵(又は明治42年本多利実著「弓術講義録」)
「第一篇 総論、第二章修習の順序 第二節 素引」
「…つまり矢を番えて引くのと素引きとは大に具合が違うから、之を素引きのときと同様になるまで練習せねばなりません、それで矢をかけて引いても全く素引の通りに引ければ、規矩にもはづれず、姿勢も自然出来るのであります。…」
高穎師著「射学正宗」:廣道館発行「武経射学正宗同指迷集譯解」大日本武徳会弓道教士小澤瀇譯著 弁惑門序ヨリ
「年 力 未だ衰えず 而して 弓を引くこと満たざる(※矢束一杯に引け無い)者は乃ち 俗にいう毛病(癖)にして 力衰えるに非ざるなり 年老いて 力衰えて 弓引くこと満たざる(矢束一杯に引け無い)者は 空引き(※素引き)も亦満たず(※矢束一杯に引け無ず) 的に対して矢を発つも亦満たざるなり 若し 毛病(※癖)を犯して満たざる者は 空引(※素引き)は即ち満ち 的に対して矢を発つ時は即ち満たす事能わず 此を毛病(癖)と為す 極めて去り難し 今の人 此の病に坐する者 最も多し」
(※)は弊意訳。
以下に全文意訳します。
若く体力もあるのに矢束一杯に引けないのは力が無いからではなく、骨法の正しい技を理解し無いからです。熟達者が歳とって矢番え動作で矢束一杯に引け無い人は、正しい射技では無い癖の動作が身に染みて正しく弓が引け無いのです。ですから癖がついては、素引き動作にも癖の動作が出て矢束一杯になりません。
骨法を知らず又は骨法を無視して形をなぞる癖の技をつけては、素引き動作は矢束一杯になったとしても矢番え動作では矢束一杯になりません。骨法の基本である「矢束一杯にして正確で再現性のある中りを生む射法射技」を修練せずに、矢束一杯に引かないで「当てる射」の癖は極めて治すことができない癖なのです。射を学ぶ人の最も多い病です。
(注:矢束一杯とは射手の持つ「寸法変化しない骨」がつくる「骨格の長さ」による「繰返し正確に再現される弓と弦の巾の長さ(間隔)」で「物理的数値による定義」であって、精神的な表現ではありません。その射手に与えられた生来「定まった、変化しない矢束」と理解できます)
「八節の射法が骨法から成る事」を弓術書から自ら学び、先哲が実績で示した然るべき弓力の弓で実践して「正しい技」を自得究明する稽古を重ねること、と本多利実師の著作、また明の高穎淑師著「射学正宗」から知ることが出来ます。
呟き:少しでも強い弓を引くと、指導者から「弓二張りの肩入れできますか」といわれ「弓二張りの肩入れが出来る半分の力の弓が相当」の話を言われます。しかし教本には「いわれている」と記述が続きます。一体、誰がどのような根拠で云っているのでしょう?。「射法射技の基本」その第一の重要な記述にも拘らず、指導される方の説明はありませんし実践もあまり見ません。適当な弓力は「射学正宗」や「射法正規」や「尾州竹林派弓術書」にも記述されています。これらの記述は「弓を握れない弓二張りではありません。実践と同じ弓一張りで方法も異なります」。15㎏程の弓を使われてそれを二張りで肩入れを実践されている方にお会いしません。ましてや教本にある20数kg程の弓二張りなどできる方を想定できません。教本は多くの流派の経験指導者が記載されている事が良いです。「いわれている」の根拠は何にで、どの流派でしょうか。
初心の気持
偉人達人が発明した射の技と姿を見て弟子が真似ることは当然の事といえます。初心の方が良くあてる競技の勝者や、肩書の有る指導者の射を見て学ぶ事も普通の事です。
良く当てる人の外見の姿・射形を見て「其の姿を真似て、的狙いのアタリハズレの稽古に拘泥し、競射や集団の上下を競いあうだけの射」を繰返し稽古しても「骨法の理による正しい射法八節」を身に着けることはできません、と高穎師や本多利実師はその著書に詳しく記述されています。
何故、その射の姿なのかを考え、その姿になる「理」ことわりを学び身に着けねば、偉人達人と同様の射法に適う技を発揮したとは言えません。両師はその違いを「骨法」に則して示し、以後の多くの指導者が両師の射を学んだ指導される方の履歴から知れます。
偉人達人とは「新弓術:現在の射法八節」のことわり「骨法の射」を発明した500年程前の日置弾正正次師と石堂竹林坊如成師です。
竹林坊如成師は「輪廻の弓と云って射形の迷う病が必ず生まれます」と述べておられます。この病にかかると生涯離れられず「終いに正しい射が行え無くなる(本多師の言葉をおかりすれば「故に、射る程 益々病い深く骨に入りて 終いに射の理に遠ざかる」)」と断じています。25~28㎏ほどの弓を用いたと云われる堂射で、一日で一万射を超える射を為した三十三間堂の指し矢の名人で「射法訓」を著した紀州竹林派祖師吉見順正師の始祖は竹林坊如成師であり、竹林坊師は本多利実師の始祖でもあります。
「射の技の本になる考え方」など初めて弓箭を学ぶ初心者には不明の事で、指導される方が「射の理=骨法」を説き、「然るべき弓力(六分から六分五厘程)の弓箭をもって実践で示し」、射を学ぶ者に代々伝え来ねば、今の私達には「骨法」など意識にも上りません。『先哲の発明した「射法八節の理:骨法の然る所以を先哲の実践した弓力で究明しなさい」究明せねば「姿は似ても、正しい日本の射法射技とは似て非なるモノ」になります』と、先哲諸師は主に流派を継ぎ指導される方々にむけて警鐘を鳴らすのは当然の事と理解できます。
日置弾正師や竹林坊如成師など流派の祖師が工夫をした祖師の「理」を学ばずに、流派を継ぐ二代目三代目の指導者たちが「祖師の発明した形だけを伝承したことで「射の文化は衰退」したと諸流派の指導者たちの無責任性を本多利実師は断罪しています。「射法射技の本は一つ」との警句は、江戸期に様々な流派が生まれながら「名と形」だけの衰退した射の世界となっていた時代に遭遇した本多利実師が、明治の時代に再び「射の道に陽を射した至言」と思います。今また江戸期のようなことが無き様の自戒して稽古する事と学びました。
(注※)本多利実述「弓道保存教授及び演説主意」戸倉章氏写 生弓会刊「本多流始祖射技解説」ヨリ)
本多利実師と「射法訓」を述べた吉見順正師の祖師竹林坊如成師が
①「弱は骨法不行き届き」と断じ
②「中と矢早」は「射形の真」、「矢業(飛・貫通力)」は「射の真実」の二つを共に修得せねば射は理解できない述べています。
加えて、先生の示唆がありました。
③「歳をとっても射場の一射は25kgほど、巻き藁では30kg程度の弓が引けると良いです」
「強い弓(六分数厘程度)を引かねば射の事はわかりません」先ずは教本等諸弓術書に「何故と問い掛け」学びなさい。
「意識を変えれば会得できます」と示唆を受けました。
④「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も」と本多師は「射法正規」で古歌を取上げて云われます。
何故「弱は骨法不行き届き」なのでしょうか。
この言葉「尾州竹林派弓術書の中学集」に記載されています。「弱」とは弱い弓の事で「中学集 : 第三 剛弱の事射形に限りて万事に有る義也」の項に記載されています。
初心者と技量の有る熟達者・指導者
本多利実師とその始祖 竹林坊如成師は射を学ぶ根本的な病:「射形に迷う病」記載しています。この病は「弓力の強さ弱さに関係する病」と学べます。射法の理「骨法」を無視する病と警鐘を鳴らされていると理解できます。骨法を理解し実践すれば年老いても20数㎏の弓は引けます。引け無い人は「骨法」の技を身に付けていないと云えるでしょう。
現代の弓術書は誰が見てもすぐわかる病「初心者や技量の無い人が骨法など学ばず、身に余る強い弓で射形を崩して射る”射の病”」には必ず「初心者や技量の無い人」と記載しています。」
では初心者では無い、技量のある高段熟達者はいかにすべきなのでしょうか。
見て判らない病「骨法を無視して弱い弓で八節の形をなぞり美しく引いて当てる射の病」について記載する書は竹林派弓術書の他はまずありません。何故でしょうか。
すこしでも強い弓を射こなす事を心に定めて射を行う事
先哲は弱い弓で「骨法」を無視して当てる病をむしろ厳しく注意し、すこしでも強い弓を射こなす事を心に定めて行う事を示唆しています。一方で「骨法を知るには弱い弓から始めて、少しずつ強い弓に」して「生涯剛き求める稽古」を継続して「骨法の射法」に則って常に向上していかねばならないと示唆され、それ以外に無いと述べています。
「力が無いから」と理由を述べた瞬間に「骨法」を理解していない事を自ら明らかにされたと、学べます。
「骨力」など初めて弓を手にした時、私は耳にしませんでした。竹林派弓術書の冒頭の「序」に「生まれ持った骨力考えて射を為す」とのべ、明の「射学正宗」も「骨力をもって射を為す」と同様の記載があります。勿論、教本にも「骨力」という言葉は出てきます。
「骨力」と「骨法」
「骨力」の凄さをイメージする
「骨力」をイメージするために、私の射の風景では「骨力は立った姿の足腰の力、両足の骨力は体重を支えます。弓の弓力30㎏程は全く問題になりません」と話しています。「筋力はエキスパンダを開く力」と例えて話します。骨の力は叡山の千日回峰行の行者さんのことを思い描きます。一日中30㎞程の山道を3年間も休みなく修行することを可能にするのが「骨力」と思います。そのように想像すれば「25,6㎏ほどの弓を一日万射以上引きこなす堂射」の偉業も納得されます。骨力を基礎に置いた「射法八節」は無限の可能性を引き出す稀有な日本の伝統のわざと思います。
意識を180度変えて:射の自画像
先哲をリスペクトし意識を変え、教本と教本に記述されている六分(22,3㎏)の弓を手にして数十年を経た今、私の「射法の視点」と「実践する動作する意識」は180度変化をしつつ、射の稽古をするたびに、日々、新たな発見があります。今の射の自画像であります。
ひとたび20数㎏の弓を射こなせば、稽古と共に弓力は増し、又10数㎏は骨力を主に射こなせ、下手ではありますが、筋力が衰えつつある今、時所状況に応じた相応の弓を扱えると自覚します。振返れば、筋力を主に10数㎏の弓だけしか引かずに、たまには当り・段も進めば「法」に適った射と意識することも疑う事も無く、先哲が云うが如く矢束も取らず緩んであてている自分がいると回顧されます。
「射は射て成る事と思い、骨法の然る所以を知らず」と云われる本多利実師は指導する者の責任を第一に指摘しています。本多師著「弓術講義録」と合わせ読めば、指導は「骨法」とは何かを明らかにして学ぶ人に説明され、弓の強弱をもって伝統の事実にそくして実践指導する事と理解できます。
「何故と問いつつ学ぶ事」を教本も示唆しています。射を成すには教本をはじめ諸弓術書を紐解いて学び、今より少し強い弓を稽古に加え、強弱共に射こなす努力を継続することと学べます。そこに何故と問い掛ければ「一つの本」に至ります。射法射技の全ては、先哲の弓術書に明解です。
2024年9月9日改訂 風姿浩茂
「繰返し正確に的中させる射法射技」のことわりを為す「自然の理=骨法」
体内にある「寸法変化しない骨」を用いる射法「骨法」
柔軟に可動する骨格を「常に同じ長さの矢束一杯」の「可動限界から矢を射放つ骨格構造の動的メカニズム」をなす
「自然の理=骨法」からなる射法八節の技
それ故、竹林坊如成師は「射手に唯一無二の弦道を行って、射手に備わった同じ長さの矢束一杯の骨格が伸び続け、胸を楔として離れる」といわれ、本多利実師は「矢を射放つ以前に中り外れの変化の理(ことわり)を予知する事が出来る」と云われる「骨法」は「自然の理」から理解できます。
自然の理をあらわす「射法八節」の基本:「骨法」
射は一技です。故に、射の伝承にあたっては骨法の理解に努め骨法に随って射法八節の射技を学び、是を説き先哲の示唆する弓力の弓を用いて実践して体得し示さねば伝統は潰えます
近代の先哲が記述された警鐘と理解できます。
「骨法」や「骨力」は教本にも出てきます。月間弓道の解説にも「射法八節は骨法に従う」と説いています。石堂竹林坊如成師に係る「尾州竹林派弓術書」も月間弓道に連載されましたので誰もが知るところと思います。
射学正宗の事
明の時代に高穎淑師が著した「射学正宗」も「骨法」に関し具体的に記載されます。日本の諸流派に大きな影響を与え「骨法」の道理やその技法と言葉が使用されています。技法のみならず精神の事や道具の事など射全般に論理的に展開されていますので本多利実師は「射法正規」でその重要性説いておられます。戦前にいくつか翻訳が出版されました。この翻訳に関連して月間弓道にも連載されました。
「射学正宗」は骨法を理解する上で基本の弓術書としとてこのHPに多く取り上げます。
高穎淑師の云う骨法
弓の強弱を以て骨法を学ぶ事
先哲諸師が「あたりは必ずしも正射では無い」高穎師は「競射で当りにとらわれた射に、理に適う射は百に一つと無い」と断言しています「当りの多寡や、名声をもって正射を談じては、初学の人を迷い道に誘う」と「射学正宗」に記述されています。本多利実師が「弓を射ん事思い、命中を思う勿れ」といわれ「極めて弱き弓にて射たのでは仮に中りても詮なき事」と述べられています。現代弓道が的中至上主義では無いのであれば、誰もが普通に射こなせるという25数kg程度の弓で「射法八節の規矩に適って日常的に射こなせるか否か」を自他に問う方法が誰が見てもその姿形が射法の規矩に適うか否かはよくわかり「骨法に随った正しい筋みちに適う射か否か自覚しやすい」と学べます。その上で竹林坊如成師・本多利実師・梅路見鸞師が言われる「中り」とは何かを問います。「骨法の射は離れる以前に中外(アタリハズレ)の変化の理を予知する行射である事を心して実践に臨む事」を要件に加えて「射の正否を行射の中で自身で覚知する事」が弓箭が無用の現代の射の稽古の風景と理解できます。
弓を手にして一年程で「骨法」を知る事
既に弱い弓で形をなぞる癖が身に付いては、この道は遠い事と思われますが、高穎師も本多師も「正しい指導を受ければ、弓を始めて半年から一年で知ることができます」と述べています。
「骨法」の理解に努め稽古を繰返せば、そこには自然の理に順う一筋の道「中る射に至る筋道の技」がある事を知り、射形を気にしたり当たりハズレの結果にとらわれて あれこれ技を探る迷い道に入る事は無いと学べます。それが高穎師「射学正宗」と本多師「射法正規」の云う「正しい射の道に入る門を叩く事」と理解できます。
”当りの多寡”で見るより「扱える弓の強弱」で日々の稽古の正雑を自覚する稽古は「正しい技を身につける稽古:骨法の修練」に正しく進んでいるか否を弓箭が教えると理解できます。
弱い弓で八節の形をなぞり動作する意識から、弓と弦を骨法の理に随って押し開く動作に意識を180度変えて事になります。
意識を変える事程難しい事はありません。弓箭はそれを射手に問います。
では弓箭は何を具体的に教えるのでしょうか。
竹林派弓術書の序には「骨力を知って動作すれば、射行中に弓弦から受ける力が連続して増大し、力の方向も連続して変わり、作用点も連続して変わることにで、射手は己の身体に生じたバランスの変化(諸関節の剛弱の変化)を自分で知覚できますので、次に一射にはこれに対応する稽古を重ねて直す事が出来るので,自然と射形もよくなり矢わざも中りも出来ます」とあります。
吉見順正師の「射法訓」は竹林派の祖師の教えと深く結びついている事を知れば、竹林坊如成師が「射の真実は矢業にある」と学べ「射法訓」の云われる射法射技の始めの実践稽古に於て弓の強弱をもって稽古する大切さがわかります。其の事が尾州竹林派弓術書の中の「中学集」に記載されています。矢業は飛距離、飛翔性、貫通力の事で弓の強さにかかわります。
射法八節の「骨法の筋道を学び続けているいる方」なら、弓の強弱を以て稽古すれば、良導の師が居られない時でも、日々の射に現れる外見の姿・形の正雑や良し悪しが「骨法の理」に沿って自他共に具体的にしてしあい判ります。加えて、志を同じくする弓友は、直にその正邪も見定める事ができ、射手自身も又、覚知する事ができます。その事は先哲諸師が皆書き記し、高穎師が「射学正宗」に具体的事例を挙げて詳細に述べておられます。それ故、謙虚、素直が大切とどの弓術書も必ずいわれていると学べます。
唯、一つ述べる事があります。「年老いては決して強弓(ゴウキュウ)は扱わない事」と本多師の示唆を心せば、歳を重ねた今、本多師が”強い弓”と云われる30数㎏”以上は私には素引きもママならない強弓(ゴウキュウ)です。伊勢貞丈師や本多師の云われる強弓(ゴウキュウ)とは40㎏、50㎏などを云うのでしょう。「初心者や技量無い人」と云われるのは「技量と引ける弓の強さは相対的な事」で、技量の無い人は20kg程度の弓を強弓と云われます。
このHPでは「骨法」を ”力学の手法・ベクトルで理解”につとめます。
「骨力に従って身体と弓箭が連動する一連の射行の姿」を八つの部分に分けて著したのが「射法八節の姿・規矩・型・形」です
その本になるの「骨法」の理解に、専門ではありませんが、初歩のベクトルを考え方を射技に適用して理解する事をみます。
「射は意と力の着くする所に従って其の強弱を生ずる」と云われる先哲の示唆を念頭に
剛弱点にベクトルの三要素を充て為すべき具体的射技を心に定めて稽古し
射場の一射に去来する射の姿と心の姿・風景を徒然なるままに射の自画像に書きおろします
徒然なるままに書き出しペイジごとに区切りました。重複する記事、転写しアチラコチラに嵌込文・言葉が多々あります。
私の射の風景
①本多師に師事された正面打起を伝える教本執筆師(主に本多利実師社会人系譜神永師)の射技が基本です
②本多利実師、梅路見鸞師・阿波見鳳師の射法の要諦から教本執筆師の技を考え・動作を具体化
③実践で稽古すべき意識する具体的動作が、射法訓の本・尾州竹林派弓術書の「骨法の理と矛盾が無いか」か意識を定め稽古に臨み
④力の向き(ベクトルの方向性)の連続性に随い、過去身を自覚して今なすべき現在身の正雑・正邪を覚知してとらわれず一射を尽くす事を信念に
⑤竹林坊如成師、本多利実師の示唆に常に剛き事を心して稽古することで事象と心象を知覚して相応の弓を自覚する事。
⑥伝統の事実に随い、古の先人が普通に用い、教本や他の弓術書、射法訓に係る堂射に用いられる六分数厘の弓を矢束一杯に射こなす目標に向かって
はじめは20㎏前後の弓で稽古し、次第に六分、六分五厘、七分で稽古する事
⑦射ぬ前に中り外れの理を自覚できる一射を行じる事
射技に関する先哲の示唆で今取上げている事
①竹林坊如成師、本多利実師、神永師が「弓手中指の先の事」について示唆し、
②尾州竹林派弓術書が示す「弦搦が、弦と右肘を直につなげ、射手に唯一の弦道を定め、引かぬ矢束至り真の矢束から胸の中筋から離れる」と示唆し
③梅路見鸞師が「筋肉を自然に働かし且つ弓箭を自然に働かせる要諦」を示唆し、
④阿波見鳳師が「両拳だけ力を使い、あとは出来るだけ力を使わないよう」と示唆し
⑤池田先生が「一意到底の射」を云われれば、
私の射の風景は、
構えたら最後、骨法の定義に随う過去身から上腕の骨の向きに一途に弓・弦を押し広げる一念から矢が自然に射放たれることで射法八節が顕れる射
新しい技等は何もありません。教本をはじめ諸弓術書を紐解いて学び、そこに何故と問い掛ければ「一つの本」に至ります。
射法射技の全ては、先哲の弓術書に明解です。
2024年9月9日改訂 風姿浩茂
手にする弓の強弱
「射法訓」を述べた吉見順正師の始祖石堂竹林坊如成師の「竹林派弓術書」は「強弱共に稽古し修練を重ねて相応の弓を自覚する事」と学べます。
竹林派弓術書には繰矢の七分半の弓の記事があります。弱い弓から始め、骨法を学び骨法の理解に連れてより強い弓を常に求めて稽古する事で、骨法に随って強い弓強い弓へと修練する事を否定する理由は無いと理解できます。
竹林派弓術を継承し、正面打起射法を現代弓道に据え正面打起を執る教本執筆者を指導された本多利実師は著書「射法正規」で六分5厘(約28~30kg)を普通の強さ弓と述べています。本多利実師著「弓術講義録」「弓道講義」にも「剛無理:強い事には理無し、弓は成るだけ強弱の中にも強き事を大切に」の記述があります。
出雲派雪荷道雪は要前が主と理解します。弓と矢の相性を述べています。その弓は六分五厘から七分五厘の弓の記事があります。また六分の弓の効果の記事が見られます。
出雲派印西は斜面要前と理解します。弓と矢の相性を述べています。六分と七分の弓ついて記事があります。
印西派岡山系譜は六分の弓二挺を肩入れできれば其一挺は充分射こなす、すなわち射手の全力の二分の一と述べています。
相応の弓には離れの条件が付いています。この系譜は虎口、掌根、彀など「射学正宗」と同じ語句を用いて射を説いていると思えます。肩入れは素引きの記述から斜面の方式と理解します。例として六分(約22-23kg)の弓二張り(46kg)を掲載しています。それ故、この流派では六分の弓一張り23㎏程度が普通の弓と類推されます。
射学正宗は明時代高穎淑の骨法を射を記述した弓術書で日本の弓術と大きく関係しています。
基本は「強弱共に稽古して自得する事」と理解できます。
例として特に「臂の力が強い人」をあげ、「素引き百斤(約60kg)で彀まで入れば矢番えでは50斤(約30kg)を使う」と記述し、まだ半分力が残っているのでこれを出す事よりは出さない方を良しとすると理解できます。
素引きは弓一張りで行います。
この書には十斤から百斤まで記述があり、初心者は30数斤(約20kg)を使い徐々に弓力を上げるとあります。
小笠原流は手元の書からは弓力が不明ですが、小笠原流の教本執筆師は「六分の弓は弱弓」と述べている事から六分数厘以上が想定されます。
教本一巻には二か所に記述されています。
「弓二張りの肩入れの出来る二分の一が適当な弓力と云われている」と、紹介にとどまる記述と
「約六分22~23㎏の弓を普通に上に六分三厘、下に五分八厘」と範囲を示し「大凡20kg~27,8㎏を対象に弓矢弦を説明」記述から成ります。
五分八厘未満は教本記述にも見られず、初心者以外は対象外と思えます。
教本は各流派の射法射技を取り上げていますのでその事を考慮した「云われている」との紹介と理解しました。
浅学の身で考察すれば、上記斜面打起印西岡山系譜の方法と同様で斜面の方法と類推されます。
「射学正宗」と似ていますが、「射学正宗」は弓一張りの素引きで手の内が調いますので射法と合致し合理的です。弓二張りは実践して試みると手の内は定まらず、正面ではかなり難しいと感じます。また弓力に係る他の日置流各流派の記述を併せて判断すると教本ではもう一つの記述・大凡20kg~27,8㎏が妥当と私は思います。
強い弓を手にすると指導者は「常に弓二張り」の事を持ち出します。その時「云われている」と記述された其の真意の説明は全くありませんし実践の教示もありません。初心者や骨法の技量の無い方にとっては弓二張りはとても出来ない例をみます。実際、斜面に比べ正面では更に難しい事はすぐにわかります。結果、弓力は落ちる方向にのみ進むと思われ、常に強い事を指向して学びなさい等先哲の示唆とは反対に、学ぶ者の意欲、可能性を削ぎ取ると思います。
他流派に二張りの記述等無い点から印西岡山系譜の方法と仮定して述べます。この流派の弓術書の実例は六分で、教本も六分は範囲の真ん中の強さでありますから一張りとして強さは妥当ですが、二張りの弓を以て約46kgの素引きを為す事になります。弓一張りでも困難と思えますが、弓二張りを以て指導者は普通に矢束一杯に引く事は可能なのでしょうか。私の経験では無理です。今現在、七分35㎏程度は肩入れできますが七分二厘ほどは無理です。
また、この流派は射術に射学正宗の言葉の引用がよく見られます。「二分の一」の数値は射学正宗と同じですが、射で最も肝心な手の内が実践とは異なります。又、この流派では「骨法の射の要」になる『胸の中筋に離れに係る「匀法」は初心者の技』との記載もあります。
射法射技の基本の最初にある言詮「云われている」なので、教本二巻三巻の諸流派射法全体から一巻を検証して実践で示される事と愚考します。
「射法訓」を述べた吉見順正師と同時期の星野勘左衛門師の推定25kg~28㎏を弓(下鉾を少し詰めた弓)を一昼夜10000射の堂射を為したことを尾州竹林派系譜魚住範士が述べています。
以上の事から、誰でも扱える骨法の射が可能とする弓は、日々の修練は大凡20kgから30㎏弱程度の弓で稽古する事が「射法射技の本は一つ」に適うと理解できます。そのうえで時処状況に応じて自己相応の弓を選定する事と理解できます。
私の射の風景は、40歳ごろから六分の弓を手にし下手ではありますが80歳に近くになっても六分数厘は引けますので、教本に随い教本の示唆する弓力を手に稽古する事は誰でも出来る事で 先哲の云われる事の通りと実感します。今の自画像で云えば今は20~23㎏ほどが弓を若干弱いと感じるので扱いやすい処で、稽古は強弱と中の弓力三張りを用意して稽古を楽しみます。
《自然の理:射のことわり(理)》
矢は重力に抗し且つ風を切って飛びます。弓を手にする意識は矢を遠くに早く狙ったところに繰返し正確に力を使わず動作出来る事です。
先ずは、私たちは重力抗して大地に立ち、体勢を維持した発射台:射手の縦軸を確と定めねば矢の方向を定める事はできません。大地に立ち、重力に抗して射手の体重を支えるのは足の骨と胴体の骨です。重力に抗して正しく立ち続ける事が縦軸の規矩になります。その規矩は何かを骨法に適って考えます。
道具の弓はいつも縮もうとします。弓を押し開いた射手は上腕の骨でこれを受けます。会の姿を思い浮かべれば明白です、筋力は次です。先ずは骨で筋骨から成る骨格で弓・弦を肩根から上腕の方向に押し広げます。弓力に抗して縦軸の胸の中筋から両上腕の方向に弓弦を開きつ続ける事が横軸の規矩になります。その規矩は何かを骨法に適って考えます。
横軸と縦軸を結ぶのが「肩・背骨・腰」で為す胴体の骨格でこの中を「骨力」が上下に伸び、胸の中筋から両肩根に向かって左右に伸びてていくと理解できます。射法で云えば縦軸と横軸で的前射法で云えば動的な縦横十文字と云えます。「動的」というもは、骨で押し広げられた弓は常に縮み、また、意識しない重力も射手を大地に押し沈めます。ですから、地球上で弓で矢を射るには射手の骨力は常に上下左右に伸び広がる事が自然の理です。それ故、射法の規矩は動的、乃至動態と意識する事が自然・骨法の理と云えます。
骨は変化しませんが、射手が弓と弦を押し、弓が開けば縮みますので、射手と弓の二つの力と拮抗して関節部分が押しつぶされます。加えて、関節で前後の骨がズレ・捻じれ・モーメントが起こり、姿勢が崩れば反射的かつ無意識に筋力を使いますので「剛弱」を感じます。この事象と心象の変化を射を成している瞬間に、むしろ同時に知覚します。その感度は「骨法」の精度と「竹林派弓術書」からまなべます。
関節点での弓と射手の二つの力は圧縮力です、この圧縮力に抗して射手の骨格が伸びる事に因って離れが生じる事が自然の理です。射法では横軸上にあり、その規矩は何か考える事になりますを。基本は横軸は圧縮される関節が自在に伸びて離れを起こさなければなりません。伸びる事は射の始めから終わりまで連続している事で、止まれば新たな力を出しその瞬間に力を感じます。その力の連続性は基は骨力をイメージしなければなりません。大地に立つ足の骨力と同様に、両腕にあって働きます。30-40㎏などは悠に受けるしょう。弛んだり停滞したりしては正常に骨力は働きません。射の自画像で云えば両肩根から上腕骨の方向(力のベクトルの方向)に骨力を直に押し広げる続ける事を第一に射を成す事になります。最も注意すべきは八節のふし節です。ここで力のベクトルの方向性が変わっては連続性は途絶え、方向を変える新たな力をだし、弓の強さを感じてしまいます。
《二つの姿》
射法八節と云っている姿には二つの姿が在ります。一つは骨力を主体に動作して顕れる射法八節に適う姿で、もう一つは筋力を主体に射法八節をなぞって真似る姿です。これは射の世界だけでなく「型形技」の総てにいえる事で、特に伝統の事物にいえることと前置きして射の話をすすめます。
重力以外すべての力は変化し連続しています。射の目的にそって合理的に工夫した動作は、「射手と弓箭と重力」の見えない三つ力の動態のことわりを「骨法」という「法」で記述しましたので、弓を手にするヒト誰にでも伝えられます。前述しましたように「自然の理」に基ずく「力の関係」ですから私達の意識、無意識の中に内在しますので共用されます。十文字などの用語を用いれば「骨力」は力学的な力線に代替されます。ニュートンよりはるか以前ですこぶる合理的と愚考します。
日置弾正師が工夫した七道は自然の理に適って弓を射る「骨法」による射の動作ですから、射法八節を学ぶ人は、先ず、目に見えない「骨力」を第一に意識し、その事を心に明記して射の動作を成す事と学べます。「骨法」に適った正しい動作の結果・現れた姿を「断続的に静的に姿を書き記し著した」のが日本では「七道」現在の「八節」の射法であり、明では「五法」です。
この姿を真似て動作をしても「骨力の骨法」は現れません。全く異質のモノで、骨法の射とはなりません。静的に記述された八節射法の姿は骨法の動作の結果で 結果を真似ても意味は無く、結果到る動作は何かを理解して動作する現在身、動作する自分自身の現在心が意味ある事です。それ故第一に「見えない骨力」を意識して動作し、顕れた姿が射法八節の規矩に適うかは次の事になります。
先哲は、良き師に付けば、ひと月で骨法を知る云われ、正しい筋道の門に入れば半年から一年で20kg前後の弓が引けると示唆されています。射法八節を真似して動作をするのは「初めて弓を手にした時」だけで、直ちに、骨力の正しい使い方を学び射法八節の意味:中味を学ぶ事と先哲の示唆から理解できます。
「正しい技の道に入る入口・門を考えなさい」「良き師を選びなさい」と先哲が云われるのは、つまり「弓を射るには射法八節という骨法がある」事を知ったなら直ちに骨法の中味を指導し、実践にて指導される事が大切と理解できます。骨法に則った射、骨法を知らない射、骨法を知って無視しした射、稽古に意識で現れる射の姿かたちは変わります。それを指導される方は「骨法」にそくしてその正雑・正邪を指摘します。それ故、学ぶ者は一射の顕れた姿を謙虚にみて、骨法に基ずて素直に見直さねばなりません。その見直し正す筋道は一つです。本多利実師と梅路見鸞師が言われる「射法射技の本は一つ」の示唆からは何流何流など、流派の祖師が発明した骨法を理を深く究めずに、形と認可ばかりに拘泥して教える事を糾弾されています。「骨法」によりいかに正しく学ぶかを詳しく記載したのが竹林坊如成師と高穎師の弓術書がはじめで近年では本多利実師が正面打起射法をもって再興されたと浅学の私は思います、それ故、先哲師の示唆により先ずは其の中味を勉強し、実践して自得する事と学べます。
先哲は「正しい技」意識して学ぶ人の心の姿の課題を具体的かつ詳細に記述しています、むしろこの課題の方が射の道には大きな課題といえます。先哲の書の主点はここにあると理解できます。
《骨法の定義》
浅学の私には骨法の定義は竹林派弓術書が明解と思います。他の書は不明と愚考します。骨格の中を走る骨力の状態を「直」にと竹林坊師は定義しました。又、「曲がれる骨おばその理にしたがい直になるように育てる事」つまり、骨格を整える在り方は「骨力」が「直」に伝わるよう意識して動作しなさいと理解できます。これ一つです。
『「直」とは「骨力」が無駄なく弓に伝わる事』と「弓力が無駄なく集まる事:つまり射手の一点に集まる事」と理解できます。「直」は見えない「線」で「線画→」として意識にうつります。数学的には見えない点・線と同じで、力学的にはベクトルを想定できます。
『曲がれる骨おばその理に従い「直」にする』とは関節の事と理解しました。ここは関節を点と意識して、関節点を通る接線方向の「骨力」と「弓力」が「直」に成る様にすると理解します。
関節が自在に動く事は、人が身体と道具を使うことが出来る基本です。五感に伴う動作のもとは関節の自在性と限界性があったのでしょう。限界性とは膝関節を考えればよいと思います。
射の動作は、射手の身体から生み出される骨力と、弓と重力からくる圧縮力が自在に動く関節点で拮抗しますが、それらが力学的に正しく;すなわち「直」に通ずる事が「骨法に適う事」ですが、骨格の「骨力→関節←骨力」を貫通する「→骨力←」が断節したり、捻じれを生みます。「直に育てる」とはこの捻じれ、モーメントを生じない様に弓弦を押し広げる事です。
「限界性」の言詮はありませんが、竹林派弓術書の「楔」や「弦搦の技」が想定されます。
弓の復元力は連続です、途切れません。それ故、射手が応ずる「骨力」は動態の性質であって、連続して「直」に弓と弦に押し続ける(※)事が「射の理」と理解出来ます。その時の射手の意識・精神性は「押し開き続ける一意を尽くす事」成ると学べます。
その一つの動作に意識が集中すれば、現在身の総ての変化が瞬時に知覚されやすいと考えます。つまり「直」でない骨力の状態は反射的に筋力が働き、修練の程度の従い知覚され、変化を予知する状態が平行して無意識にあるいは意識的動作がなされると理解されます。[(※)の部分はこのHPでは力学的ベクトルで考え、力点、作用点の支点、骨力の大きさ、骨力方向性の三要素の連続性を考えます]
全ての「力」、骨力も筋力を自分では見えません、自身では感じる事です。その骨力と筋力が外見・姿・射の姿を表わします。前者は心象の内にあり後者は的を含む事象とすれば、事象と心象の乖離が悩みとなり病になります。それが「六道の病:射形に迷い苦しむ病」で治療は「骨法」があたり、薬は「骨法の定義」を理解する事と愚考します。
《骨法の射の理》以上
参考資料
「射」の項全体にわたって出てきます参考資料を一括してここに記載しておきます。
「武経射学入門正宗」:昭和2年7月25日発行、小澤 瀇 著兼発行
「武経射学正宗同指迷集譯解」:昭和2年7月 廣道館発行、小澤著
「武経射学正宗詳解」昭和5年 村河清 著 内外出版印刷株式会社 発行
「武経射学正宗解説」昭和5年村河清詳解の解説、仲 和良著:日弓連発行”月刊弓道”(611~633号)連載
以上を「射学正宗」と述べる事もあります
「尾州竹林派弓術書」:財団法人生弓会蔵版 国立国会図書館蔵
:「本多流始祖射技解説」財団法人生弓会1976年出版にも収録有
「尾州竹林流”四巻の書”講義」:全日本弓道連盟発行”月刊弓道”(434~472号)連載
以上二つの資料をこのHPでは「竹林派弓術書」と述べる事もあります。二つの資料には注釈もあり竹林坊如成師の言葉の範囲が不明なので、
竹林派弓術の論理に矛盾が無ければ「竹林坊如成師」と記述する場合もあります。
「日置流竹林派伝書 その一」 入江康平編 弓道資料第二巻
「日置流射法 稲垣源四郎」:現代弓道講座、 雄山閣
「第二部 日置流射法・射様・伝承流儀・系譜」: 記念誌
「日置流道雪派 射法」:現代弓道講座、 雄山閣
「日置流道雪派 六十五ヶ条講述抄」:全日本弓道連盟発行”月刊弓道”(419号~)連載
「小笠原流弓道伝書 その一」 入江康平編 弓道資料第四巻
「小笠原流歩射」:現代弓道講座、 雄山閣
「大和流弓道伝書」 入江康平編 弓道資料第十巻
「橘家蟇目之大事」 長谷川如是閑 コレクション
「橘家蟇目口伝 全」
「橘家蟇目秘伝」
「風姿花伝書」
「本多流弓術書」:平成15年8月23日財団法人生弓会発行
この書には本多師の多くの著作が載せられております。
「弓道保存教授及び演説主意」:「本多流始祖射技解説」にも収録されています。
「射法正規」
「中外論」
「射の修業と精神の迷い」
「弦音について」
そのほか多数の本多利実師の著作から抜粋されています
また江戸期の多数の弓術書の本多利実師の註解が記述されています.
「本書」、「竹林派射学本書五巻註解」
「射法輯要」「竹林派射法輯要註解」 そのほか竹林派の弓術書と註解が
多数抜粋されております。
「弓術講義録」本多利実講述:明治42年大日本弓術会
「弓道講義」本多利実講述:大日本弓道会編(1923年)国立国会図書館蔵
明治42年大日本弓術会編「弓術講義録」と同じと思われます。
「武禅」「顕正射道儀」:昭和9年~昭和11年 発行所 梅路武禅道場
「無影心月射義」:梅路見鸞
「弓道教本第一巻」:昭和28年8月1日版日本弓道連盟発行
「弓道教本第一巻」:昭和56年9月1日版全日本弓道連盟発行
このHPでは「弓道教本」「教本」「教本一巻」と記述する事もあります
「弓道教本第二、三巻」:昭和55年4月1日版全日本弓道連盟発行
このHPでは「弓道教本」「教本」「教本二巻、三巻」と記述する事もあります
「日本武道全集 第三巻」:昭和」41年人物往来社発行
「現代弓道講座 全巻」雄山閣
「射法入門」:昭和60年9月20日発行 相陽射人著 発行者池田正一郎
「四方山噺」:平成11年5月1日 池田正一郎著
「その他の書物」: 昭和50年代以降に発刊さた弓術書その他文献、資料は掲載の都度記載します。
骨法の道理を説く書をたどる
現代の弓術書や教本に現れる主要な文言が数百年も前の弓術書に現れます。 教本や現代弓道講座、日本武道全集には多くの流派の射法射技が掲載されています。国立国会図書館の利用から個別の流派につても知ることが出来ます。武道全集などでは日置師以前を古法、以降を新法としていますのでここでは新法を学んでいる事になります。
生弓会編「本多流弓術書」によれば本多利実師は千を超える弓術書を調べたとの記載があります。その大多数は冗言と記述されており、研究実践の上で”射法射技の本は一つ”と射人の迷いを解くため、唯道場で矢を飛ばしているだけでなく、しっかりと先哲の弓術書を学び勉強しなさい警鐘を鳴らされたと愚推しています。本多師の著作は明治維新前の「射術」と現代の社会の「弓道」をつなぎ、今の私たちの実践に活きているといえます。
その基軸は「骨法の道理の記述」である事は明治22年「弓道保存教授及び演説主意」明かです。
本多師の記述は祖師竹林坊如成師の「竹林派弓術書」につながり、師自らの言葉を以って高穎師「射学正宗」につながっております。梅路見鸞師と阿波見鳳師の「見鸞見鳳の号」は対に成って本多師が両師に授けたとと聞きましたが、何よりも梅路師の「先哲が築いた射法射技は深処へ深処へ導き、微塵も差も生じない」と云わた記述からは、竹林坊師、高穎師、本多師の云われます事と符合し、この先哲四師の「骨法」の道理は一貫しており明解です。また、教本執筆諸師の経歴から正面打起射法の執筆師は本多師と関係が記載され」、学校系譜の方は一師で他師は本多師系譜の一般社会人と知ることが出来ます。
これらの書を基軸に他の弓術書を紐解く事にしました。特に、本多師、梅路師の見解には「骨法の先」つまり射の本質について「竹林坊師と高穎師の理を究理実践の上に、示唆されている」事に注目していると愚考します。「技の柱の骨法」も又「的中」のために組立てられたことわり(理)である事は竹林派弓術書の「射技を記した七道は目当てが目的」に明らかで、それは弓が有用の時代の事で当然と云えます。「技三精神(心)七から生まれる射」において射の多くは「心」に依存している事は竹林坊師はじめ諸先哲の示唆に明らかです。「当れば良いとする中り」と結果を主とする事は弓が無用の時代の射の姿で無い事を本多師と梅路師は明確に示し、「骨法」に随って「確かに中り、確かに外れる」ということを「射行中にそのことわりを知って射を行う射行に厳密に対峙する事」つまり、両師云われる「中り外れの事象の変化の理を射る前に予知する心象」を課題にしていると学べます。当然、その事はすでに弓が有用の時代に竹林派弓術書に示されていると理解できます。
迷わず射を学ぶには「射が一技である骨法の道理を説く書」をたどり「弓箭が無用の時代にあっても古の先哲が実証した六分数厘程度の弓の射こなし」に稽古の意識を定め実践を試みて「理と実」の乖離と一致を自覚すること、と理解できます。 即ち『射の型・形・技の言詮を骨法の道理に基ずいて吟味して、その理の内実を「正」』とし『実践行射中に現われる射手の「事象と心象(内に感じる力の剛弱と対応する自分の心と姿:外に現れる射形)」を「雑」』として描けます。射行中に自身の『事前に描いた「正」』と『射行中に生じるギャップ「雑」』を自覚して『其正雑に去来する「邪」を意識してとらわれず』に一射を尽くして、生じた結果・残身に「素直に向合い」、自己の射を見直し、自己の射の理の理解を見直し、自己の意識を創造し、自己再生と自立を進める事と理解できます。最も悪い事は「結果を意識して射の内容を変え当てる事に意識が捉われる事」です。規矩を語りながら規矩を無視して射を行う事と云えます。
繰返して述べるように「弓道は辿るべき射法射技の本は一つ」と日々の射行に疑義があれば「骨法」の究明に先哲の書を尋ねれば迷う事は何も無いと云う事です。勿論、良導の師に会えれば其の必要もありません。「弓を師とする稽古も本を唯る一つ」です。前述の様に、「骨法」を吟味し、伝統の事実に即した弓力で稽古できるよう心掛け、射こなす弓力の向上をもって技量をはかる事、と学べます。先ず「アタリはずれの結果から離れ」今の自分の射を自覚する事と云えます。度意識は結果から180度反対に、今、「骨法」にそって弓弦を押し開いている自分の射の心象に心を澄ます事と学べます。特別な事ではありません、射行中の心象はどなたも感じている事と思います、その在り方を先哲は示唆していると学べます。その心がまえは「純真に技を学ぶ姿勢」を自分の心に聞き自分の「射」の心象と事象を見つめて結果を離れて見極めたいと思います。
「言詮に惑わされず」と自戒しつつ、良き師を求め、歴史に実証された先人の偉業を指針に稽古をすれば、射法射技の本となる自然の道理に到る道は開かれ導かれています。 射の理を尋ねず弓箭を手にしては「骨法を知らず」と迷い道をさまよい続けるのでしょう。射の理念等無く弓箭を扱うならばこのような事は不必要ですが、射の理念をもつ射の道とは異なる事は当然です、それ故、「先哲の弓術書」を紐解きながら射の話を進めて行きます。
骨法の道理を説く書をたどる 以上 (概要の項 参考資料)
参考資料について
(1)全体的な事
教本を執筆した正面打起の多くの師が本多師、阿波師の射の系譜にある事が教本二巻によって知ることができます。
また、梅路師、阿波師の両師は本多利実師より「見鸞、見鳳の号を頂いた」と伺った事があります。両師の関係は「武禅」から知ることもできます。本多師は尾州竹林派弓術の流れを汲み、その源、石堂竹林坊如成・日置弾正に至ります。本多師は「弓道保存教授及演説主意」で「日置弾正以降を新術、それ以前を古法」と区別し、「新術の流派は日置師の発明に拠らざるなし」と記しています。本多師、梅路師の両師は流派のワザに言及し ”新たな事は何もない” と本多師は「射法正規上巻」に、また、、古法橘流を修めたと云われる梅路師は「武禅」に示唆しております。
技の源は同じである事を心に銘記して、紀州竹林は吉見順正「射法訓」の理解・実践にこれらの書を用いています。江戸期の「斜面・日置と正面・小笠原の関係」が多くの弓術書に記載されていますが、「弓道講座」や入江氏編纂小笠原流の書物を見ますと、「射の技の本は一つ」との先哲の示唆に確信が生まれます。したがって、それを意識してこれらの書と接しています。
(2)「射学正宗」と各書の関係
①本多師は「弓道保存教授及演説主意」で”骨法射形を記した「射学正宗」”と”日置氏の射形骨法” が「相同じ」と記し、本多師著「射法正規」も構成等を参考にされていることを謙虚に述べています
②教本二巻には江戸期の射風が射学正宗の影響を受けていることを記し、射学正宗の弁惑門の ”射の病癖” 記載を取り上げ ”高穎師は深刻に述べている” と紹介しています。
③「尾州竹林弓術書」の”草菅穀に勝”の記載は「射学正宗」弁惑門総括の記載と同じであります。また本多師の著作にも表われ、射の病”六道の病”に記され、たびたび学ぶことができます。
④「武禅」梅路師記 ”弓道の危機” の一文は射学正宗の指摘を本質まで掘り下げ、戦前の弓界の問題を明確にしたと私は思います。上記①~③を重ねますといつの時代でも同じ課題で射の本質と提起されていると受け取りました。
⑤現代の射の理の記述は約4・500年前日置師・竹林坊師と高穎師によって確立され「竹林坊師と高穎師の骨法に係る記述」が具体的と思います。この両書には「正しい射」と「癖の射」の対比が明確で、その根にある心象が具体的に記述されていると学べます。そこに「本は一つ」と喝破される射法射技の理念を見出すことができます。
(3)尾州竹林派弓術書、「弓道講義」等本多師著作
本多師の系譜は社会人系譜の弓道家と学生弓道系譜の分けて捉えています。
社会人系譜は 大日本弓道会編、本多利実師著作「弓道講義」(1923年)と、諸弓道家の著作に著れています。本多師著作、1909年大日本弓術会編「弓術講義録」と同じと思えますが、この書は日置師以来江戸期に熟成された斜面の射法射技のすべてが現代の私たちが行う正面打起射法射技に内包されている事をわかりやすく説かれております。また、尾州竹林派弓術書の内容も網羅され、読みやすく、現代私たちが用いている弓道用語の語源を知るとともに、骨法を旨とする射法射技が論理的に述べられています。
(4)「正しい技」を心に留めてこの資料を紐解く
先哲の書の不明なところが浅学の身には多々ありますが、竹林坊如成師をはじめとする先哲の射の理念の中に伝統のワザが現代にいきずく「技の本質」が既に述べられている気がします。本多師や梅路師云われる如く「射法射技の本は一つ」であり「欲」がそれを破壊します。弓道に限らずあらゆる武道・人の技に棲みつくことと愚考します。特に「正しい射」とは何か、先師の弓術書の冒頭に顕われる事と注視しています。
誰もが「正しい技」を身に着けようと一生懸命稽古してます。しかし、「その方法、意識の置き所を先ず考えなさい」と先哲先師はいっています。弓を手にして実践だけ行い、アタリの多寡、勝負の優劣、段の有無の結果を「正しい技」と思うのは間違えを起こしますよと云われていると理解できます。本多師や高穎師はその事を丁寧に説明しています。その一歩が「資料を紐解く事」になります。
「射学正宗」から始めから「射の真理に至る正しい道」に入らねば全く違う癖の射の所に行く事を学びました。
振り返って30年ほど前にその岐路に立ち、意識を変えた経験から、日頃目に触れている先哲の理念理論を眺めているだけで、丁寧に読み、読み砕いて、丁寧に実践に臨んでいない事に気づきました。その経験から、目にしている先哲の言葉が意味する「正しい道」は何かを理論と実践を回し ながらその相違を覚知し「何故」と問うことにしました。段や勝ち負けの他力に依拠せず少し強い弓に答えを求め、良導の師を求め得られないときは、ここに掲げる先哲の指針が、いかに具体的で人を惑わさず導いてくれるかを確信出来ると思います。本多師は其の事を明言している事と理解しました。
孔子孟子の示唆は弓術書に必ず出てきます。礼記射技編の「正しきを己に求める」もその背景が 古代中国の封建性の中で”家父長から王”に至る、組織の力を持つ人(階級組織の上位者)をいさめ、その心の、正しあるべく姿勢を射の世界にとりいれています。つまり、指導する側の姿勢を正ている事を忘れてはいけません。射の稽古が「謙虚」であることは、先ず先哲の理念を前にして、指導される方は勿論、学ぶ者も意識を謙虚にして問い、「正しき」とは何かを己に求め、段や権威の他力に求め、依存し無い事を明言しています。その事を射の実践を通じてこれらの書物から教えて頂けると思います。
(5)沢庵禅師は「不動智心妙録」”理の修行、事(ワザ)の修行と申す事の候”で「事理の二つは車の輪の如くなるべく候」と示唆しています
射は「射法の理論」と「実践の事実」が「骨法に基づく一技」ですから、初めて弓を手にしても学ぶ人を迷いに誘うことは無いと云えます。初めて弓を手にした人は各自の「射の理」に接する考え方と「実践に臨む」意識は百人百様であるからこそいつの時代にあっても、射手それぞれには新鮮で新たな意識を育むと学べます。稽古や修練は創造的な意欲と自立を促すことですから理と実践が一技である射はとても良い伝統の技芸と云えます。これらの事は「骨法の射」を知るという意味ですから、はじめに指導される方から説明されないとわかりません。江戸期末には、射は「骨法」の一技にある事を見失って衰退した現実を本多利実師が明らかにした事と同じと云えます。
「一技である正しい技の骨法の理」も明確に心に定めて、いざ実践しても思い通りにいかず、その中の「正雑や正邪」の心象に接する自身の心を見る目、意識によって自身の射は様々な態様を示す事への向き合うことになります。
私の射の風景は、先哲の示唆により「射学正宗や教本や現代の弓術書に何故と尋ね、射法の「理」を此処に掲げる先哲の理を精査することを出発点」としました。それによって、正面打起をとる諸師が本多利実師の系譜であり射法訓が本多師と同じ系譜にある事を知るに至って本多師著作と本多師が開示した竹林派弓術書に会うことが出来ました。
本多利実師が「委しき正道を知りたる師を選び、その門に入りて弓の理を聞きて稽古を始める」事を示唆し、人の道を説き実践された梅路見鸞師も「正覚の師の良導を得ること」が必須と説いています。
先哲は、書を読んでわかっても、又指摘を受けても、実行する人はい無いと指摘しています。素直に行うヒトはまずいないとの指摘は、自身に手を当てれば自戒する事です。素直でない自分、意識を変えられない自分はいつも見ます。迷いが出れば「心の底に自問自答して真実の心の叫び聞くこと」「射法理論と肉体の合理的使用に忠実に徹して、向上の一路を無限にたどろう欲求すること」に真摯に向き合い、心新たに日々の稽古に臨みたいと思います。
参考資料について 以上 (概要の項 参考資料)
ヒトの 内にある道具
骨に意識を向けて思う事
「骨は人の持つ道具」として位置付けて「かたかたいわざ」を考えます。
「弓を手にして矢を射る動態の骨格」をいかに組むみ上げるか創意工夫は試行錯誤して「骨法という一技」に至ったと愚推します。骨、筋膜、筋、筋肉、皮膚、体液、呼気と関節で姿形が出来る身体には二つの外力がかかります。一定の重力が静態として常にかかり、連続的に引き絞る弓と弦からくる圧縮力です。弓箭の圧縮力は「弓力の位置と圧縮力の方向性の変化。弓力の大きさのと接触点の位置の変化」をともない、身体は「肩甲骨から先の骨格構造が変化し、呼吸の変化、心気の動きなど、動的状態」が変化します。総ては、射手と弓箭と大地の力学的系の変化する動態で、力は連続して断絶すことはありません。会の状態は静態の中の骨力のベクトルの動態が身体の一点でバランスしており、離れは其の一点から起こればその点は微動だにしません。連続して微動だにしない事が射の条件です。それ故、力学的なベクトルのバランスが意識されます。それも体内にある道具「骨」がある所以と云えます。
このような道具を使う動作は、文化文明の中では他に浮かびません。それによって弓箭を扱う意図が達成されれば、そこに「型」が意識されると「骨法」という仮説をたてて矢を射る動作を理解します。骨と皮で動的なバランスする静止体をベクトルで考えれば、そこにそれを「大地と弓箭と身体を統率」する意識、心象が弓術書には様々な角度から述べられています。顕著なのは梅路見鸞師は「武禅」で大正の末頃から「射に起こる力の現象」を単なる物理的解釈で終わるのでは無く、心理物理学という見地から専門学者に研究を指示している事があげられます。バックミンスター・フラーがテンセグリテー理論を提唱した時期に重なり、「かたかたちわざ」を考える領域を広げる事も「射」と云う動作の本質をとらえる切り口には必要と思います。身体の制御系を電気信号で解析する研究は技芸や運動の技の無限の可能性と先人の偉業を信ずる一つの見解になるといえます。
弓を射る縦横十文字の骨格の中を走る「骨力の直線性」を想起するのに、「皮膚や筋肉、体液、呼気に包まれた骨格が直になるようにする」骨法の定義は、「人の心気と呼気と一体」になってその「直」の真正を限りなく極限にするには物理的な動きの意識して知覚をもって制御はできず、身体内を頭の天辺から足先まで瞬時に伝わる電子など情報伝達機能とその流れを無意識に知覚して制御する自律神経などの生理反応によって『より真に「骨法の直」になる』と想起されます。射手の全身が動的な「直」に統御され働き、身体の一点を介在して人智を超えてた発と射の発現が、自然、為されると想定すれば、「心理物理学というヒト特有の力の発現の実態」が浮かぶのかもしれません。当然、その心気は電子的なオーラとなって外部の世界と物理的に、すでに結びついているので、彼我を分けない、自他を乖離させない、一元論的認識と一元論的行動の様相を射は内在すると理解できます。射の限らず合気道や他の技の図り知れない技の作用と力の根源もそこにあると勝手に類推します。それは無意識内に「誰にでもいつでも起こっている事」で意識には「瞬時に顕われて瞬時にみうしなう」と気がします。
記憶と意識:意識という道具
骨法の射の「型形技」に内在る骨力の直のの概念に意識と無意識の世界の認識を考えると「意識」とい道具を据える事で「かたかたちわざ」とは何かの問いへ展開する事が浮かびます。
昔、強い弓など意識に無い時、称号者に本多師の骨法にかかわる資料を戴き、「骨法」「骨法」と云われても実践に結びつける事が出来ませんた。周りを伺っても六分の弓さえ引く方は稀でした。骨法骨法と云われる方ほど弱い弓であったと今はおもいます。
今、「骨は体の中に在る道具」「弓箭は体の外にある道具」、 二つの道具を結ぶのが「意識と無意識、筋肉、筋、皮膚、体液、呼気と不明の”気”」を要素に考えてきました。「意識」は「無意識の世界から記憶を呼び起こす道具」と仮定します。つまり「人の持つ道具」を想えば、物理的には「骨」で、心理・精神的には「意識」、ヒトはこの二つの道具を持っています。意識は「かたかたちわざ」をもって変化し続けるこの世界の認識に応じてきました。同時に文化文明はその「かたかたちわざ」によって、ヒトを形成します。
「射の理」の本は「骨法」にあり、先哲の示唆です。「骨法は自然の理」に基ずくことが理解でき自然の理が何か問えば、上記の如く自然、原子、分子宇宙へと意識は飛びます。その観点から「骨法の具体的動作」を考えれば、精神や心理、呼吸や命、命は物質と生命の狭間を透してあること事を想い、物質と心の二元論と、一元の世界観に触れながら、射の実践は果てなく進みます。
昭和の初期、梅路見鸞師は道法として「弓道」を明断し、骨法は自明として「意識と筋肉」について技を示されてた愚考しています。戦後の書に”射は筋骨を以て力行する”との筋骨と並列された表現に会うと、戦前の骨法の射とは何が同じでなにが異なるのか自問します。戦前、梅路師の射法七要諦に「骨」が無く「弓箭を自由に自然に働かす」「筋肉を自由に自然に働かす」と弓箭と身体を独立させ、筋肉が射の主体になっている事に「何故、骨力で無く筋肉なのか」と問わざるを得ません。骨を統率し動かす筋肉を云われる事を兼ね合わせて射の力の本を尋ねれば、そこに「骨法」の真意が」浮かびます。詰まり道具に係るなと受け取れます。まさにその事が弓の力を意識させず、一意に弓を押し開く動作に意識を集中させ、強い意味も引けるようになると今は思います。決して骨法を無視しているのではありませんが、本多利実師や阿波見鳳師の見解にもあまり骨法にこだわっていない「日本の射の捉え方」が気になっていた、私の射の風景です。
身近には、射法射技の基本にある骨法を念頭に、先哲の文言に向き合い理と実の両輪が必要と自覚したのは、一度も、骨法等と云われなかった先生の実践を見、両手の内とカケの使い方を模式的に示して戴いた以外になく、先ずは教本に何故と問いかけて、教本 を学びなさいと示唆を戴きのが始まりでした。高穎師や林坊師、本多師の射法理論に道を開いていただけたのは、弦を取って正しい道を示される先生の見守りや、弓友との自主的な稽古と思います。今は、射では骨法や自然の射などは自分なりに見解を持ちつつ更に進めていますが、八節の技を知った初心の方には「骨法」について問い掛けられれば、実践の中でお話しできるよう工夫します、それも又、射の理の理解を進む楽しさがあります。
射学正宗、高穎師 「的中には何を基準にすればよいか、それは形も寸法も変わらない自分の中にある骨を基準」にするという射法理論は強烈な示唆でありました。骨は自分の中にある道具と思うえば、射に関わらずすべての動作に考えを巡らせ、何故、人は骨を持ったかなど、問は次から次に巡り、何故、地球には重力があるのか等宇宙論の中で人体を考える事にも考えはめぐります。
そのれは「かたかたちわざ」の本質を考えさせることになります。地球の上に生きる第一は、地球の重力に抗して、如何にして”座る・立つ”かであったと思います。ですから「人類の最初の道具の一つは骨」と云う事になります。「もう一つの道具は意識」でしょう。無限の広がりと可能性を有する無意識と記憶の中から筋肉や器官を動かす意識と云う道具でしょう。
しかし果たして骨は最初の道具でしょうか、仕組みやエネルギー効率の視点から細菌やウイルスの動き、触媒の働きには、骨や無意識と同じような考えがうかびます。
ヒトの 内にある道具 以上
スマホ等、精密な映像技術の利用
先哲諸師が「あたりは必ずしも正射では無い」高穎師は「競射で当りにとらわれた射に、理に適う射は百に一つと無い」と断言し「当りの多寡や、名声をもって正射を談じては、初学の人を迷い道に誘う」と「射学正宗」に記述されています。本多利実師が「弓を射ん事思い、命中を思う勿れ」といわれ「極めて弱き弓にて射たのでは仮に中りても詮なき事」と述べられ、現代弓道が的中至上主義では無いのであれば、誰もが普通に射こなせるという25数kg程度の弓で「射法八節の規矩に適って日常的に射こなせるか否か」を自他に問う方法が姿形がよくわかり「骨法に随った正しい筋みちに適う射か否か自覚しやすい」と学べます。加えて、竹林坊如成師・本多利実師が言われる「骨法の射は離れる以前に中外(アタリハズレ)の変化の理を予知する行射である事を心して実践に臨む事」を要件に加えて「射の正否を行射の中で自身で覚知する事」が弓箭が無用の現代の射の稽古の風景と理解できます。それが高穎師「射学正宗」と本多師「射法正規」の云う「正しい射の道に入る門を叩く事」と理解できます。
”当りの多寡”で見るより”扱える弓の強さ”で日々の稽古の正雑を自覚する稽古は「正しい技を身につける稽古:骨法の修練」に正しく進んでいるか否を弓箭が教えると理解できます。何故なら、良導の師が居られない時でも、日々の射に現れる外見の姿は、射法八節を学んでいる方なら、外見の姿・形の正雑や良し悪しが自他共に判ります。加えて、志を同じくする弓友は、直にその正邪も見定める事ができ、射手自身も又、覚知する事ができます。その事は先哲諸師が皆書き記し、高穎師が「射学正宗」に具体的事例を挙げて詳細に述べておられます。それ故、謙虚、素直が大切とどの弓術書も必ずいわれます。
以上「弓の強弱を以て骨法を学ぶ事」で最初に述べました。
弓の強弱は射の姿勢、八節の規矩が正しく現れているか否か、自他ともにすぐに具体的に判断できる利点があります。
何事も「正雑」を示すのは行為している時その時と思います。「会」に入る瞬間、「止めるな」と先生はビシッと言われます。一度だけでしたが今も心に残ります。
人に言われて素直にすぐ受ける人は先ずいませんと自戒します。右を指摘されれば右に関係なく、左の事を言いだします。自分の映像を見ても視点を変えないほど固執します。意識を変えなさいと分かって居てもなかなかできません。映像は役立ちますが、やはり使い方です。しかし、その時に何も反応しなくとも「必ず心にのこります」その後の射を見ればわかります。
「正しい技か否かの判断」には次に稽古すべき筋道が明らかであることが必須です。何故なら「骨法の理を理解するとは」、「骨法は連続する一技」すから「雑な動作」「規矩に適わない姿」が自覚されれば「次の一射を始める前に自分が何をこころして稽古すべきかわかる」事、それが正しい稽古を継続してると自分で意識できる事とまなべます。先ず、自分で考え実践する事。指導者は求められれば、その筋道を正しく具体的に説き、自ら実践で示す事が伝統の技を伝える指導者の役割と学べます。為すべきは行射しているその瞬間に射手に自覚させる事、それ故弦を執って教えると理解できます。先生は、絶対に体に障りません。弓と弦を手にして弦道を指します。今の指導者が触って教えるのは雲泥の差があります。「射手に触れて教えてはいけません」と先生は云われます。射場の一射で触られては射は何の為に在るのでしょうか。
為すべきは行射しているその瞬間に射手に自覚させる事に加えて、私の射の風景はスマホ等、精密な映像技術の利用です。
射には素直、謙虚、正しい心がよく使われます。それは指導される方がよく言われます。ここに掲げる先哲諸師は、むしろ指導される方が常に謙虚にして素直に「正しい技」に向き合う事を記述して警鐘を鳴らされていると思います。
指導される指摘に映像を加えるのは効果的とおもいます。矢飛と矢どころの結果を自他で話し合うのは、残身に至る行射を直視する事になります。更に映像を用いれば行射する射手の現在心身に目が行き、自身に去来する内実「雑な技、よこしまな心・欲」を自ら覚知し、素直に向き合う機会を発現しますので効果的です。
大切なのは、弓友の示唆を謙虚に聞き、自ら覚知した「正雑」を素直に問い、意識を正し、射を行う姿勢・意識を変える切っ掛けにする事と思います。「骨法の弦道と離れの様子」は連続する骨法の理を理解するのに頗る有効と理解できます。指導される方は積極的に自身の映像を見てもらい、自身の骨法の射の理と実践した映像の姿で示すことが、指導法として効果的で、「実践して示す」記述された本多師の示唆に適うとおもいます。
当りの多寡、段位の高下に頼った判断等、時々の比較差別の相対的な判断では、次に行う稽古に連続性が自覚できません。いつまで経っても詮索し、普通の強さの弓に至らないと事実を知ります。当りはでます、でも映像の姿と骨法の理との関係について誰もが納得できるか疑問が生じます。その事に因って、射の理に順って筋道が示され、次の一射に為すべき事を明確に自覚します。いつの日か、それによって現れた射の姿が,少しずつ八節の規矩に適って行く、と先哲は云われていると理解できます。
弓箭の活用
射にはいろいろな姿が在るのは歴史が示すところです。
多様性が重んじられる現代、道を唱えて射を教える人、それを習い段の取得を励みにする人もいます。スポーツ的な競射を好む人もいます。祭事に弓箭を役立てる文化は数多あります。その風土その地域地域には其の土地の社会に根差した弓の文化が残っています。弓を引いて矢を射放ち「的」に時々的中する爽快感でリフレッシュする人もいます。歳老いて級友と談笑しながら悠々と一射を楽しむのも射です。いずれも伝統の文化として、古来から今に伝わり、射には無限の可能性が有る事を知ります。
しかし「射法訓」にならって「法の在る射を為す」なら「弓箭が無用の時代になっても古の有様を参考にして射を学びなさい」と云われる本多師の示唆はおもい示唆といえます。500年の歴史と伝統の実績に支えられた「射法八節」の「骨法の射」生涯10数㎏をもって射の真実を体得すると理解するには無理があり、その理を示されるべきと思います。また、矢束一杯について知っていても、骨力を主に扱う「骨法」に因らず筋力で弱い弓を引いて矢束一杯に取らず自分の調子の良い矢束と調子の有った離れの調和を以て、繰返し正確に射る方は沢山います。高穎師も本多利実師もその事実を書き添えています、その中(アタリ)が自分に特有の事と理解して、人に自分に特有の癖のあたりと自覚して教えなければ、むしろ、「癖だから学ばない様にといって射を続けることこそ意味のある事」と理解できます。しかし、反対に規矩に適わない射で当てて教える事は「伝統の正射に適わない」のは当然で、それを「骨法に適う八節の射」と指導しては射とは全く異なる世界を作り出す事になります。勿論、規矩に適って六分から七分の弓を射こなし、規矩を骨法の理で説き実践で指導される方は、弱い弓でも骨法に適う射を当然成しえます。逆はありません。10数㎏の弓しか引け無ければ、20数㎏の弓はすぐには引けません、実践すればわかる事です。
歳、若くして射形が乱れ、規矩など無視しして強弓を讃美す事もまた醜く、習うべき師では無いと梅路見鸞師は「武禅」の中に記しています。
指導される方が「道」を唱え「精神の鍛練」と云って「具体的な道法」も示さず「道」をなす事が弓箭の唯一の活用と思い込ませ「礼」とは何かを学ぶ事も無く形式ばかり押しつけ、かえって射のもつ創造性と多様性の芽をツムグ事の無いように、と「清き水に魚住まず」と本多利実師は「射法正規」で近代・現代の射の文化に向けて云われたと私は理解しました。先ずは、「正しい射の技の事・理」を生涯求め、射の理を明らかにしつつ20数㎏~30㎏弱の弓を的前で悠々と射れるのが良いと思うのが私の射の風景です。
弓箭の活用 以上
骨法
「今の人骨法を知らず」と云われていますが
「骨法」とは何か、その定義が見当たりません。
教本には”骨法”・”骨力”の文言があり「射法八節は骨法を著したもの」と教本を執筆した範士も述べています。
近代・現代の弓術書には”骨法”の文言が記載されて無い書を多く見ます
二つの理由が考えられます。別途(骨法の定義の項)記述します。
骨法の定義は「尾州竹林派弓術書・本書」の「骨相筋道の事」以外、私は知りません。
この定義には「弓力と重力の二つの力(身体を圧縮する力)に応じて骨と関節と骨格に通ずる力が骨力が述べられています。
「骨力」は立っている自分の足の骨と骨格の状態を想い描けば良いでしょう。
その「骨力」ははかり知れません。弓力など物の数に入らないでしょう。
しかし、正しく立たなければ役に立ちませんそれ故、足踏み胴造りの規矩があります
では、どのようにして縦軸の技を為すのでしょうか。具体的技を問うべきです。
以上は重力に抗する上に伸びる縦軸です。
横軸は、縮み続ける弓弦を押し広げる力学的合理的性に適った「骨力」の動的な技で出来る骨格構造で
「普通の強さ(20数㎏~30㎏ほど)の弓」が骨力で引ける可能にし
「矢がはなたれる前に中り外れの理」が縦軸と横軸の動態から判る軸です。
骨法を射法に著した竹林坊如成師の「七道」、高穎師の「五法」がそれに適う射法射技で、重力と弓力の二つの圧縮力に抗する「動的な骨力・骨格」の形成と矢を射放つ離れのメカニズムを「自然の理」にそくして、具体的射技を説明しています。
竹林坊如成師と高穎師両先哲が示す事
射法射技が示す事:繰返し正しい的中を保証する再現性のメカニズム」を射法で明らかにしています。つまり的中の正確な再現性は「長さの変わらない骨」と「可動の自在性と限界性による骨格の形態」で一義的に定まる事
① 引く長さ(矢束一杯)が、繰返し同じ長さである事
② 繰返し同じ離れが生じる事。つまり動的な矢束一杯の状態で「骨と関節と骨格の力学的メカニズム」に従って離れが起こる事
③ 弓弦を押し広げる動作は”射手の骨格にさだまる唯一の弦道”を自然に繰りかえし出来る動作である事
④ 唯一の弦道は、射手の骨格に自然にさだまる唯一かつ一定の矢束に至る事
⑤ 「中」と「引ける弓の強さ」には もう一つの要素が有ります
弓力は常に変わりませんが射手の気力体力筋力は常に変わります、それ故筋力で弓を引いては矢束など定まらず、矢を発射する弓のエネルギは不安定ですと高穎師は云われていると学べます。安定しているのは骨格です。高穎師は射に及ぼす「骨と骨格と骨力」の役割を明確に示唆しています。
アタリだけ言えば、本多師は技・姿勢三、精神七と述べています。また引ける弓の強さは調子も大事な要素ですと述べています。強い相手も弱い相手もいる剣道や柔道に比較すれば、射では調子や気力等、精神力はわかりにくい事です
そこで
手にする弓箭の強弱が行射中に射の成否を射手自身に覚知させると理解できます。
竹林坊師が弓箭が有用な時代に”強弱共に稽古しなさい”と400年も前から言われる示唆には、
弓箭が無用の現代にこそ重要な稽古であると学べます。
心の事:横着
初めて弓を学ぶ人が、射法八節の中身を理解せず、外見の射形をなぞって”早く当てたい欲心”は普通に起こる事です。
本多師や高穎師、梅路見鸞師や阿波見鳳師等先哲諸師が繰返し警告する事
「その横着心を、骨法の理に順って普通の強さの弓(20数㎏~30㎏程度)で実践して正しく導く」のは指導者の責任
「”28m先に矢が届き、審査や競射には弓の強さは関係無い” と云いつつ、
”伝統の和弓を用い射法八節の実践によって、射の真実・道を為す徳が得られる”と教導されれば、
学ぶ者は教本や本多師の云う25kg~30㎏程度の弓を引かず・引く意識も持たず、生涯経験もせず、
竹林坊師が射の病と云う、筋力で八節の射形をなぞって当てる事が可能な10数㎏の弓を求めるのでしょう。
”今の人骨法を知らず”と断じた本多利実師は、
射法八節が骨法の理にある事を伝える指導が、10数㎏の弓箭を用いる事を念頭に実践される事が現代の風潮
と広言されれば、どのように言われるのでしょうか。昔と違い、現代は弓術書は求めれば手に入ります。
「正しい技」とは何か、射には法が有る事を知った初心の時から、学ぶ者も、己に問う事を云われています。
姿形から入る藝
世阿弥は「稽古は強かれ」と今から600年程前に述べています。
”姿・形にかかわる藝”で、格好を猿真似する弱弱しい稽古ではありません。と学べます。
強い信念のもとに、対象者の真理と融合しながら、自身の確固とした姿を演じる稽古しなさい学べます。
世阿弥の指摘と竹林坊如成師の指摘が重なります
「弱は骨法不行き届き」と断じ、剛無理:射を学ぶに心の姿勢には「ことわりもなく強かれと意識が必要です」
と”弱い弓で八節の形をなぞって、美しく引いて当てる射の病”を諫めたと私は理解しました。
射に内在する、正しい心の強さの一面が「練膽」とすれば
剛無理とは「力みでは無く、”理”も無くただ強かれと云う心」を述べる竹林坊師の「射の精神・理念」を感じます。
的前で「花形」の位の射を為すには、繰り矢指し矢に用いる30㎏台の弓を稽古を達成した後する事
竹林坊如成師と本多利実師は断じています
反対に、当りや段級、勝ち負け等結果に心が奪われると
”表面的に美しく見えて、紙的を破れば良い”との横着な心は増長されるのでしょう。
振り返ればその事は射の世界だけの事では無いと理解できます。
今、まさに、仮想と現実が交絡するAIが活用されるこの時代この世界に、その事が問われているのでしょう。
本は一つ
現代の弓術用語は日置師以来の新(弓)術と云われる4,500年前に表れ、使われています。
、”胸にてさけてひらけるように離れる”と「射法訓」につながる記述がを「竹林派弓術書」と「射学正宗」にあります
両書には”六分数厘から七分数厘”の弓を ”普通” に射こなす「骨法の射の理論」が具体的射術と教法が詳細に展開されています
その技は教本の執筆師にも表れていますので、誰もが修得できます。
その指針がヒントになって実践を試み、「射の理」を求めて学べば、次に為すべき稽古の具体的筋道が明らかです
それに従えば、10数㎏の弓力から23㎏~30㎏程度の弓は誰もが引きこなせると、80歳近くの今は思います。
私の射の風景へ
「射法射技の本は一つ」
明治の黎明期に現代弓道の礎を築かれた本多利実師は喝破されました
身の周りにある弓術書に「何故、本多利実師は”射法射技の本は一つ”と言われるのか」、その本を尋ねれば、わが国では日置弾正師と竹林坊如成師に至り、海を渡れば高穎師と「射経」に至ります。現代弓道は日置弾正師の工夫創出した射法であることは誰もが知るところです。しかしながら、その「本」から流れる流派の技は異なります。また、同じ弓術書を用いても指導される技・例えば矢束一つとっても骨法に適う矢束の説明をする人も、矢束が何かを説明せず矢束を取らせない指導者もいます。一事が万事総てがそうなのでしょう。何故でしょうか。
「諸流派を継承する指導者が諸流派を創設した流祖の射法射技の中身を学ばず、自派の表面的な形に拘泥し、他派との当り数の表面の姿に比較差別の形式に権威を付け、八節射法の射技と規矩にあまたの文言を排出するので、学ぶ者は、知らずに言詮の渦に吞み込まれ、迷界をさまよう事になる」と本多師はじめ先哲は指導される方の姿勢を糾弾します。それ故、先哲は「言詮に捉われず」と警鐘を鳴らすのでしょう。射法八節は指導されるが、それぞれの技、言葉が「骨法の理」から説明され無い事から起こる事で、価値観が有る多様性などでは無く、学ぶ者を迷路に招きます。
表面の形だけは射に似ている姿で中味は射とは異なる「射法を無視した迷界」が、いつの時代も必ず生まれる事を先哲諸師は警告されています。一般的に言えば、その原因は「伝統の”かたかたちわざ”に向き合う心の在り方、業、欲心などに在る」と理解できます。射でいえば、八節の射法射技の中身(骨法の理)を、先哲の云う普通の強さの弓で自ら究明して実践せずに、”指導者の云う外見の姿・形”を、著しく弱い弓でなぞり・促成して八節の形を演出して、当りの多寡の比較と段級の上下などの優劣の比較で正否や真否を断ずる等、欲心に心が捉われる姿と学べます。事によると高穎師、本多利実師、梅路見鸞師は断罪してると理解しました。
それ故、あまたの言葉に「何故、そういわれるのか。何故、その技なのか」と問いかけ、意識を「正しい技の理論を自ら調べて理解」し「先哲の実践した弓箭で射を実践」し、「理と技の両輪を回し続ける」事に向け事と理解できます。技や規矩の中味(骨法)は何かと問いかければ、射法射技の「本は一つ」と云われる先哲の記述につながり、竹林坊師高穎師本多利実師梅路見鸞師阿波見鳳師等先哲の示唆にブレはありません、明解です。
「竹林派弓術と射学正宗の両書」は、弓箭が武器として有用な時代にあっても「骨法の理に基ずく法のある”射”」の稽古・実践が人を成長させる精神性を内包している事を明らかにしています。射の理に内在する合理性(自然の理)が弓箭が無用な現代弓道に在っても、弓箭の活用によって精神が育まれる事が本多利実師著明治42年「弓術講義録」(大正12年「弓道講義」)と明治40年「射法正規」、明治22年「弓道保存教授及び演説主意」に記されていると学べます。この本を介在して、斜面の伝統の技の総てを含んで、近代・現代の正面打起を教授する指導者の技と規矩に伝えられ、今日にあると理解できます。本多師が「本は一つ」と云われる事は「昔と同じ弓力と教法に基ずか無ければ、正しく射は理解できない」と断言されている事です。
弓箭が無用の近代・現代の弓道の射法射技の礎は本多利実師の著作に明らかであり、道法としての弓道は梅路見鸞師に明らかで、その実践は見鸞見鳳の号を連ねる梅路見鸞、阿波見鳳両先哲に実践されています。新しい事は何もありません、歴史に陶冶された伝統の日本の和弓の射の文化は先哲の偉業(理論と実践の事実)にその真実が示されています。伝統の技を身につける事はまず謙虚に先哲の偉業をリスペクトして向合う事から始まります。「道」を説く弓箭の活用は如何にして人を導くその具体的方法論が無ければ、口だけの話になってしまう事は、一つ弓道の限りません。
先哲の示唆をリスペクトすれば、「法」のある武道で「物理、生理、精神面で自然の理に基ずく原理の記述があるのは射」だけと理解できます。八節の射法を知って無闇に弓を引く人はいません。ならば「射法の法とは何か」と問われれば、本多利実師が言われるよう、指導される方は「正しく」説明せねばなりません。それが明治以降の射の教法と「弓道講義」に述べています。
全ての先哲諸師は射を行う姿勢に、心の在り方:「正しさ」を問うています。何故、でしょうか。
飛道具には結果が有ります。結果だけに心を取られ今なすべき事を見失い、射幸心という欲望が人の姿の総てをゆがめるからでしょう。今まで述べて来た如く射には「本は一つ」に辿れる正しい筋道が500年に続く歴史に陶冶されて今日に有り、今日、射を為す人すべてが射法八節に随って射をする意志を持っています。しかし、多くは今なすべき事より、結果に意識を取られます。当たらなけれ射の行為が正しくない、アタレバ射の行為が正しいと云います。
今なすべき「正しい行為」が八節の射法が在る射には明確で、先哲は「本は一つ」に辿れる正しい筋道を著作に明らかにし、実践して示されたと私は理解しました。その筋道の行為の本は唯一無二の自然の理に基ずく一筋の「骨法の動作」であり、その現れた姿を表現しやすいように仮に八節に分け射法として著されたと理解できます。それ故、射は自然の理を表すと云われる由縁と学べます。
結果に心を奪われ、弱い弓で八節の射法の規矩・射技の外見の姿を真似て当てるのでは無く、技や規矩に何故と問い掛け、その内実(力学的合理性、筋骨の状態・働きのなど自然の合理性)を自ら進んで学び究明して理解することが、「射は射て成る事では無い」と云われる本多師の示唆と理解できます。
射形の美しさや当りなどの結果に目を向けるのではなく、「今、行射している自身の骨法の動作=骨の向きに正しく弓を連続して押し開いている」かに目を向け、骨法の射を正しく理解して動作する意思を持った筋道の射か否かを、行射中に自覚する事とが「射は骨法の然る由縁である事」を自覚する筋道と学べます。
射は、行射する一射の正・雑を自他に問い、”癖や雑な動作”、”簡単に結果を得ようとする横着心、当てるためには規矩・決まりを無視する邪な心”を糺すための行為といえます。随って、射の癖は勿論、精神の迷いや癖を「骨法の理、自然の理によって説明し、一筋の射行に随って具体的に為すべき技を心に定め」直します。その経験の積み重ねが、射行中に去来する正雑正邪に素直に向き合い、そこにある「心の失を自覚し、正しくする射行」を生涯おこなう事といえます。
「正しい」とは何かを自らに問い、強弱の弓箭をともに稽古して”技に捉われず、ましてや形に捉われず”、ひたすら弓箭を押し開く一心で顕現される射にこそ、新しきことが起こる思いをします。竹林坊如成師が詮索する射をやめなさいと言われる一射がいつの日か体現できる事を心に据えて進みます。
「六道の病:輪廻の弓と云いわれ、射の表面のかたちに迷い苦しむ病で、やがて弓が引け無くなる」
「二十五有に随って稽古しなさい。しかし二十五有の内に居ては射はわかりません」と竹林坊如成師は云われます。
何故でしょうか。
学ぶ立場
これから述べる事は主に「具体的な技」に関り、精神性には深く言及しません。諸流派の弓術書や指導者の記述には、同じ意義で別の名称、同じ名称で別の意義はあまたにあります。「射法射技の本は一つ」と云われる先哲をリスペクトし、諸弓術書、諸指導者の文言に「何故」と問いかける事からはじめます。
稽古している自分の段階は「只管、正しい射・技を求める欲求」を心に据えて「骨法とは何かを問い」、「規矩と技に適う動作を具体化しイメージ・意識」して、「行射中にその成否を体得する」事と云えます。生涯、射の「正しい技」を問い、学ぶ事と心に定め、学ぶ立場で気が付いた事・課題を記します。
「道」を唱え「人の道」を学び教える事を目的にする ”「弓道」や「射道」” に入る以前の課程と認識しています。
本多利実師を基軸とし先哲の弓術記述にてらして学びますので、引用します文献を記載します。略式で述べる事もあります。先哲に「師」を付しましたご理解いお願いします。
素引き
本多利実講述「弓道講義」大正12年大日本弓道会編:国立国会図書館蔵(又は明治42年本多利実著「弓術講義録」)
「第一篇 総論、第二章修習の順序 第二節 素引」
「…つまり矢を番えて引くのと素引きとは大に具合が違うから、之を素引きのときと同様になるまで練習せねばなりません、それで矢をかけて引いても全く素引の通りに引ければ、規矩にもはづれず、姿勢も自然出来るのであります。…」
以上
高穎師著「射学正宗」:廣道館発行「武経射学正宗同指迷集譯解」大日本武徳会弓道教士小澤瀇譯著 弁惑門序ヨリ
「年 力 未だ衰えず 而して 弓を引くこと満たざる(※矢束一杯に引け無い)者は乃ち 俗にいう毛病(癖)にして 力衰えるに非ざるなり 年老いて 力衰えて 弓引くこと満たざる(矢束一杯に引け無い)者は 空引き(※素引き)も亦満たず(※矢束一杯に引け無ず) 的に対して矢を発つも亦満たざるなり 若し 毛病(※癖)を犯して満たざる者は 空引(※素引き)は即ち満ち 的に対して矢を発つ時は即ち満たす事能わず 此を毛病(癖)と為す 極めて去り難し 今の人 此の病に坐する者 最も多し」以上
(※)は意訳。
以下に全文意訳します。
若いのに矢束一杯に引けないのは力が無いからではなく、骨法の正しい技を理解し無いからです。歳とって矢番え動作で矢束一杯に引け無い人は、癖が身に染みて引け無いのです。ですから癖がついては、素引き動作でも矢束一杯になりません。 骨法を知らず又は無視して癖の技をつけては、素引き動作は矢束一杯になったとしても、矢番え動作では矢束一杯になりません。骨法の基本である「矢束一杯」:「中る射法射技」を修練せずに、矢束一杯に引かないで「当てる射」の癖は、極めて治すことができない癖なのです。射を学ぶ人の最も多い病です。
(注:矢束一杯とは射手の持つ変化しない”骨と骨格構造の長さ”によって、繰返し正確に再現される弓と弦の引かれる距離で物理的定義です、精神的定義ではありません。その射手に生来定まる、変化しない矢束を云います)
「何故」
何故、本多師と高穎師は「素引き動作と矢番え動作の違いを自覚しなさい」と言われるのでしょうか
何故、「骨法」は矢束一杯を骨格形態から定義しているのでしょうか。
何故、「束」は量を著す言葉であるのにかかわらず、「矢束」を情緒的な技と説くのでしょうか。
何故、本多師は「”矢束一杯ひいては当たらない”という指導は間違っている」と断言するのでしょうか。
このHPでは「普段に扱う弓の強さ」に関連する記述を念頭に於て「骨法の示す正しい射」を学んでいます。弓術書に記載の技や規矩に「なぜ」と問いかける事を発端に「骨法の射の理」を紐解き学び、意識すべき「正しい技を具体的動作に描き、心に定めて射に臨み」、射行に現れる「正雑・正邪」を覚知してこれにかかわらず一射を尽くし、射後其の現れた心象と事象を受ける心象を自覚して次の為すべきとを心に定め、正覚の射を心して修練を積むことを目指しています。
「何故」と問いかけの第一に「素引き」を上げます。この問いの答えに気が付くのに私は半世紀かかりました。
現代の弓術書には必ず記載され、初めの指導に必ず行う素引き、特に「素引きと矢番え動作の違いに現れる事実」について「射法射技の本は一つ」と云われる本多師と高穎師の伝える「骨法の射の技」を取り上げます。詳細は別に記述します。
「矢番え動作」と「素引き動作」では引ける弓の強さが異なる事を経験します。何故、でしょうか。
また、弱い弓で筋力を主体に形をなぞる癖の射形で稽古を重ねると「素引きも”癖のかたち”」なるので、若くて力もあるのに弱い弓でも素「矢束一杯に引く」事が践できなくる両先哲が明断しています。多くは弓術書の先哲の話を云っても、それらの書を手にする事は勿論、求めて読むことも稀と感じるのは私一人でしょうか。にも拘わらず「矢束とは何かを」述べず「矢束一杯引かない事」のべ、指導される方もいます。
関連して以下の問いが続きます。
何故、”初めて弓を手にしてから半年から一年で六分弱(20㎏程度)の弓が楽しく引ける”と射法が骨法から成る事を詳しく説かれる本多利実師や「射学正宗」の著者高穎師は断言するのでしょうか。
何故、強い弓は”初心者や技量の無い人は強い弓を引いてはいけない”と但書が必ずあるのに、”指導者や熟達者”は普通の強さ弓(25~30kg程度の弓)を強すぎるといって、常用しないのでしょうか。伊勢貞丈の云う強弓などは強い弓七分以上とおもわれます。
本多師と高穎師と池田正一郎先生が「何故、素引きが大切なのか」について丁寧に説明しています。
その観点から見ますと弓術書に「素引きの本質」を述べる記述は少く無く、形式が主と思われるます。石岡久夫著「弓道入門」には”素引射法”と項目を設け、手の内と引分けのバランスが素引き練習で大切と説明しています。
現代の弓術書に素引きの詳細な記述はあまり見られません、弓道小辞典には肩入れ動作と素引きが平行して記述されています。現在でも、初心の方の指導は素引きから始めますが、素引きが八節の射形を真似る事に偏り、弓を押し開くことで現れる姿が射法八節の道理を説き、何故その規矩かの観点から指導される状況に私は会いません。肩入れと素引きを区別することもなく、射行の前に必ず行うと云われながら、「素引き」に「射法八節:骨法の理」を学ぶ記述は見られません
「弓術講義録」の本多師の素引きの説明に「射の理に適う射法八節の理、つまり骨法に係る射行の教導がある」と私は理解しました。
加えて、師の著作「弓道保存教授及演説主意」に「能き師に学べば六ケ月で真の中を知る」その「一つ月目で骨法を知る」とありますから、それに素引きが含まれるはずです。本多師のこの指摘は高穎師の示唆するところと一致し、その弓は六分弱、約20㎏程度の弓と理解できます。それは当然、誰もが25,6㎏~30kgの弓を普通に引けることにつながります。
弓を手にした初心のはじめに「骨法の真実」を伝えるのが指導される方の責務と本多師は云われていると思います。
素引きは無闇に行っては癖を染み付けるだけです。素引き一つとっても、むしろこの初めの関りにこそ指導される方の説明と実践提示は、学び人の将来を決めると云って良いと今は思います。
それで、先哲は、先ず学び人を診なさいというのでしょう。学ぶ人の”考え方、実践の感じ方、意識の所在、性格、心情、学び実践の仕方など等など”で皆、異なるのでしょう。学ぶ人も、指導される人もそれぞれの価値観に基ずく性格・業があり、姿は多様です。それ故、正しい多様性が重んじられますが、射の理の内実を明示されておれば、現れる射の射相は、射の理に適って創造的で個性的でかつ多様な射が生まれます。多分、外見は同じ様ですが、少し飛躍しますが、内実はその射手の生き方に実相が顕われると云えます。それ故、射はその人を表すのでしょう。
素引きの事:先哲の示唆
本多師は「素引きの稽古で主に注意すべきは足踏み」
「足踏みを規矩を知って稽古する事によって全体の規矩と合致する」と示唆
はじめに 何故、「足踏み」なのでしょうか。それが私の疑問でした。
八節射法の姿は、連続して弓を押し広げる意志で現れた結果の射手の姿・形です。随って、どのように弓を押し広げるか「骨法に理」に随って、自ら考え、技や規矩を理解しなければなりません。
射手にかかる力は二つあります。
① 一つは重力で、一つは弓の力です。
② 力の種類は、いずれも身体を、連続して圧縮する力、射手の関節を押しつぶす力です。
③ 二つの力に対応するのは主に骨です。先ず、誰もが理解できるのが重力を考えます。
人が立っていられるのは骨が有るからで、骨が圧縮する重力に応じます。
骨の剛さは、荷を背負い体重を支えます。一日50kmも山道を千日も歩きつ続ける強さが有ります。
④ 骨は筋肉や筋や筋膜や皮や体液で骨と関節を構成して骨格を組み、その力を発揮します。
足踏みは、足裏から骨に通じる力(竹林坊師・高穎師が言われる骨力)を意志をもって意識します。
意識的に身体を通ずる動的な骨力・骨格の在り方は技で示されます。本多師梅路師神永師は具体的に記述しています。
骨法の理に適って先哲が示された足踏みの技が、射法射技の規矩と整合があり、それは自然の理にかないます。
以上から学べば
① 足踏は弓箭を持つ前、重力に抗する骨格で骨格の中を通ずる骨力をどのようするかという技の課題:縦線になります。
② その要件は一つ、連続している事、一つ、重力と反対の方向で常に上に伸びて関節が自由に動ける(伸びる)事が要件になります。
③ 竹林派の「骨相筋道」の骨法の定義から「足踏みの動作で重力に抗する骨・骨格の使い方」が決まります。
④ 次に弓の圧縮力に抗する横線の伸びの技につながります。「素引き」によっては本格的に全身の骨・動的な骨格の理解に繋がります。
⑤ 結果、「伸びて縮まない縦横十文字の胸の中筋から離れる」意味を知ることになります。
それ故、その入り口は「素引きでの第一段階」は弓箭が圧縮力を持つ以前の足踏みの理解、実践稽古が骨法の体得につながります。
六分数厘の弓を師として学ぶ自画像
(自画像とは私の経験と実践中の事です)
経験
”若い時に強い弓を引いて鍛えねば4,50歳台にはなって強い弓は引けません”と云われる方もおりますが、その様な見解を先哲の書に見る事はありませんでした。先哲の示唆は「骨法の正しい技」の射は古希を過ぎてもさほど変わらない、と記述されています。先哲諸師は「歳を重ねても普通の強さの弓が引け無いのは、射法の理に適っていない稽古を続けた結果」と断言しています。その弓力は25kg前後と思われます。
40歳代に入って、74歳先生にお会いした時「歳を取っても”射場の一射は25kg程度、巻き藁では30kg程度の弓”を引けると良いですね、先ず、教本に"何故"と問いかけて学びなさい」と云われました。教本の技を学び、今、80に近くなっても、六分,六分五里、七分の弓で稽古できる事を実感しています。
先哲の示唆
阿波見鳳師は「両手だけに力を用い、他は出来るだけ力を抜きなさい」と云い、「引分けの意起こりて弓の力を感ぜず」と梅路見鸞師は示唆し、竹林坊如成師と高穎師は「骨力を主、筋力を従に思慮するのが骨法」と明記し、本多師は「手の内が整うに斜面と正面とに差が無い」と明示されています。骨法の定義とその技は竹林派弓術書と射学正宗にあります。これらの先哲の言詮は教本にたびたび会います。私は教本を執筆した本多師の二つの系譜上にある神永師と高木師が骨法を明記し技法を示唆していますので、現在、この技を主に学び、射行しています。矢束一杯は神永師の姿に明らかです。正面打起の技の要諦は本多師と梅路師の射法要諦に明らかです。新し技などありません、総て先哲によって明示されています。
私の実践
上に伸び足踏・胴造・弓構で調えた両肩根から両肘の方向:つまり上腕の骨の向きに、上下前後左右に正等な骨力に随って弓箭を押し開き続ける一心で残身に至る一射を為す事といえます。何故なら弾力のある弓は連続して身体を圧縮し、圧縮力に対応するのは骨で、関節が連続して伸び続ける骨格(骨格内を直に通ずる骨力・外に向かうベクトルを持つ骨力)と、先哲の書から理解できます。要諦は、力を感じないためには弓と弦との接触点の考え方・技の理解に有り、梅路師の云われる「身体を自然働かし、弓箭を自然に働かす事」、阿波見鳳師の云われる「両手の内だけ力を使う事」、本多師、竹林派弓術にある「一つ手の内」の事など等の示唆を骨法に理にしたがって技を理解することに有ります。総ては骨力をベクトルの力方向性で捉え、点で弓と弦に接する事で弓と弦は両手の内の中に自然に動きおさまります。総ては過去身を過ぎればする能動で言詮をとらえず、現在身の進行に随って当然になると受動で言詮を解釈する事と学べます。
振り返れば、その事は、本多利実師が「素引き」と「矢番え動作」の違いについて示唆される事です。私達誰もが、弓を手にした初めに顕れている事で、真実は初めから素引きする自分にあると理解できます。その事に気が付き始めたは弓を手にして数十年たち、本多師の弓術講義録を読み、さらに又数十年たったころで、弱い弓で癖もたっぷりついてからです。
素引きは、自分の外見・姿に目を向けて弓・弦を引くのでは無く、初めて弓を手にして間もなく、まずは、意識を自分の中に目を向け、自分の内から出る力(骨力:骨の中を貫通する力、特に関節を通ずる力)に目を向け・意識を据えて、ひたすら弓箭を押し開く一心の一射を行じる事と理解できます。その実践は堅帽子の弽で行うよりは、素手或はチョン弽などが「弓手手の内と弓」「馬手手の内と弦」の動きがハッキリ見えて、骨法の理の理解と実践のつながりを知りやすいと思います。
今、弓を手にして半世紀たって思う事。
良導の師は、初めて弓を手にする方の年齢や社会の経験や性格等などから心相を知って「素引きの具体的な規矩とその理:骨法の八節射法を説き、素引きを実践で示し」指導されるのでしょう。私は実践提示の時「弱い弓から強い弓力の弓で示される事」によって「弓の強弱で素引きが変わらない事」が示されると良いと思うのです。本多師に続くここに記載しました先哲は「素引きを正しくこなして巻き藁」に向かったように思います。今はとても無理でしょう、その事も本多師は「弓術講義録」に記しています。それ故、初心の方に繰返し、繰返し「弱い弓、普通の弓、強い弓」で実践して示すことも大事なのでしょう。それも、若干、弓箭の用いる用向きは異なりますが、竹林派弓術書には記載されています。
骨法の射の先に
的中主義と中る射
本多利実師・梅路見鸞師・阿波見鳳師
何故、現代弓道は的中至上主義を排したと云われるのでしょうか。
その事は、射を学ぶ人に何を喚起し、求めているのでしょうか。
弓箭をもって「道」を実践するには具体的な道法が示されるべきで、本多利実師、梅路見鸞師、阿波見鳳師の三師が「道」を示されたと、先哲の書から私は思います。その道を私は学んでいないので、ここでは扱いません。
本多利実師、梅路見鸞師、阿波見鳳師の三師は「矢が放たれる前に必ず中るという確信が自覚される事」を述べています。ここは本多師が云われるように「中り外れの理を予知する」すなわち、外れには外れる「骨法」上の理由がある事に意識をおくことが最も大切な事です。的中至上主義を排したのは、意識が「的」に行くのではなく、意識は正しい骨法を学ことで、矢行きの残身と矢飛と矢どころの真実に謙虚に接し、素直に「骨法」の筋道に向かう事と云えます。
道具の弓箭は、矢を目的の位置に正確に早く至らせる事、加えて、出来るだけ遠くに射やる事と学べます。その最大の目的を失っては学ぶ者は混乱します。「骨法の理」を学び、実践修練し「必ず中るという確信が自覚される事」は、アタリハズレの二元論、善し悪しの詮索など相対的な射から離れる事で、竹林坊如成師がその事を書き記しています。
的中至上主義の言葉には、射法の「法」を無視して射法射技の真「骨法」を学び続けず、矢束とは何かを学ばず「矢束一杯」を知らず、実践で骨法の定める矢束を取らず緩めて当てて、勝ち負けにこだわって当りの数を競い、勝者の射や流派などの名声・肩書こそが正しいと信ずる、比較差別の詮索して弦道を修正しつつ会を模索した「当り至上主義」では無いとですよ、と学ぶ事ができます。
骨法の先にあるもの
何故、この課題を考えるのかをのべます。
本多利実師、梅路見鸞師、阿波見鳳師の示唆を学べば、「骨法」に捉われて射行する事も、また「的中」に捉われていると、私は感じます。その事は「弓箭が有用な時代」の事で「弓箭が無用の時代」はどうなのかとの問いがあります。
先哲三師の記述には弓箭が無用の現代にあって「繰返し正しい的中を可能にする骨法」を身につけた先に、骨法を含んでこれを超えた射の本来の姿がある事を示唆されている事を感じます。三師は「射る前に的中を確信する」、それは技の良し悪、技の正雑など比較差別の二元論的な射では無く「射行の動作中、射る前に中り外れの理を覚知して成る射」をさしていると思います。当然の動作は当然のことが顕れるのが自然の理であって、骨法が全備され完備されなければ真の射では無く、当然の行為が当然として顕れる事が真実であると動作や行為の中で覚知される事と云えます。梅路師は「自然合理の射法」を武禅に開示し実践実行し、阿波見鳳師は「大射道教」を実行しました。もとより、本多利実師と竹林坊如成師の記述と実践からうかがえることであります。
何故、「的中は”技(姿勢)が三で精神が七”」と本多利実師が述べているのでしょうか。「技二精神八」とも先生は言われます。
射法の規矩など考慮せず、癖射ともいえる自分だけが繰り返しできる姿勢(わざ)で当てる天賦の才で当てる方を、身近に見る事が沢山できます。勝負勘に依拠した集中力が同じ姿勢を繰返させ、あたりを重ねますが、それは伝承する技では無いと自覚されている方は謙虚であり、多様性の時代には大切な射と思います。また、初心の方は無我夢中で精神が集中されて我知らず、素晴らしい射と的中をたびたび見る事ができます。この経験は「骨法の先の射の様相を呈している」気がします。往々にして、形に捉われた指導はその精神性を消滅させます。特に初心の方に、弦を取って指導をされず、体に触れて教えては射の本意を失わせます。
「技二」は「骨法の技」を正しく身につける稽古の課程:意識せずに骨法に適う動作をなす行為に「精神七の自覚を促す射の筋道がある事」をこれら三人の先哲が実践し伝えるている事と理解できます。初心の方と同じ、我知らず離れ、我知らず中るという経験と思い起します。射には因果や比較する二元的な世界観と一元的な世界が常に行き来している気がします。
「技即道」とは、先ず、「正しく骨法の技を身につける努力を継続し」「射場で行う一射はそれにとらわれず、つまり技や形など意識せず射行できる骨法の先の射の道」を目指しなさいと学べます。人の道を弓箭をもって導く梅路見鸞師の述べる道法の十段階の階梯を思えば「初めのひとつ:第一段階」が「骨法の射の覚知」で、先哲の云われる”「道」の入口まで”と私は考え、学び稽古しています。このHPはその第一段階なので、それ故、タイトルは「射」としました。
「矢束一杯に引かず、緩めて当てる等射法の規矩を無視して勝ち負けにこだわる欲心が充満した状態」を「集中力が高く立派な精神力」と云って指導される事には違和感を覚えます。
初めて弓を手にした初心の方が「癖の射で良く当たる人を見ればこれを正しい射と信ずるのは普通です」と高穎師は射学正宗の中で詳述しています。「それは癖の射で、誰もができる規矩(きまり)が無いので、真似る事も教える事も伝える事も出来ない」と高穎師は述べています。骨法の理を先哲の記述に随って説明し自己の癖の技を教えるなど決して思わず「自らの癖の射を開示して同じ学ぶ立場で射の稽古を積めば」学ぶ姿勢に自他の本意が通じ合い自然に慈しみが生まれる中で射の実践そのものを楽しめば、実に射はその目的を果たしております。先哲の如き良導の師が居られない時は「意を同じくする数人の仲間で稽古しなさい」と400年も前に高穎師が射学正宗で云われる事と学べます。
「二十五有に随って稽古しなさい。しかし二十五有の内に居ては射はわかりません」と竹林坊如成師は云われます。
何故でしょうか。
多様性
「清き水に魚すまず」と本多利実師が言われる事
本多利実師著「射法正規中巻」には「正しきを思いてその理を忘れずに」とあります。高穎師著「射学正宗中巻」にも同様の記載をみます。
繰り矢、指し矢等、弓の活用は種々有り、それぞれ射法の道理に従って行いなさいと示唆しています。一方で、それぞれに必ず癖の射は着くものですと本多師は云われます。それをどのように見守るのかが、指導される方に問われる事と理解できます。癖を持った射手が、癖を自覚して、どのように正しき方向に成長してゆくか否かは、指導の姿勢は勿論、指導する者と学ぶ者の「正しい技の筋道」の認識の内容が課題になるのでしょう。
目につく癖をしきりに手を加え「正しい技・正しい技と云って、射形だけが射と理解して手取り足取り身体を触って羽交い絞め」にして、射場の一射を指導する姿勢は、学ぶ者は射に意識を集中させることはできるはずはありません。学ぶ者は射形を探る事が射と思います。身に付いた癖も含めて、身に付いた今ある自分を自在にして一射を為さなければ、弓箭も自身も活かせません。
それ故、自在に射をなす射手の意志と射行中の正雑・正邪を見て「正しい方向」に導くのは、「時所位の射」とは何か理解し、実践できる指導者の責務と云われていると学べます。本多師が「清き水に魚住まず」の譬を用いた事が理解されます。
現実はいかがでしょうか、規矩を全く無視し自分の癖の事実を明らかにすることも無く自分の癖を示す指導や、「礼」の後ろに隠れた封建的な形ばかりの「礼」を押し付けるハラスメント等はあってはならない事です。その上、手取り足取り身体を触って指導されれば射手の意識は射の向きません。
「弦を取って教えなさい」と先哲は云われます。「弦取るには骨法を理解せねばなりません」。本多師は指導者が「正しい心」で射の理を研究し続け学ばなければ、癖が蔓延し、日本の伝統の射は「名称とまねの姿の世界」になる事を、歴史の事実を挙げ、繰返し警告しています。
弓箭の活用と矢を射る方法は沢山あります。それは射の文化、歴史に見る数多の事実、日本の風土と地域に弓を用いた行事などなど。
矢を射放つ爽快感と、思い思いの心に適う自由自在の射行の多様な姿はいつの時代にも見られます、その多様性こそが弓箭が現代社会に活き着き、生活に潤いをもたらします。多様性は相互にそれぞれの価値観を明示して、その価値観に応じた射を実践して顕現されます。
現れた行動が価値観と異なればその姿・形は中味とは異なる奇を衒った名前ばかりの事物なのでしょう。したがって、今見るその姿・かたちに疑義が浮かべば、「何故!」と問いかけ、其の本を尋ね理を明らかにして、実践を通じて「姿かたちを顕した技が正しいか否か」、つまり正しい理論と実践の適否、間違いを射を行じているその時に自覚する事と学べます。
「清き水に魚住まず」で始まる本多利実師の示唆は、「物事正しき方を宜しいとするのは条理ですが、正しくない癖の技や邪心は必ず出ます、特に弓の世界は著しい」と指摘しています。「これらは時所位によって取捨勘弁は鍛練の巧拙の上に分別すべし」と云われる如く、指導される方の重要な役割です。その事は初心者の在るがままの射を活かし、「正雑・正邪」が同居する中で自分を失わず、射の豊かにします。
寧ろ、指導者が骨法の定める矢束一杯の理論的説明も無く、矢束も取らず軽い矢と弱い弓で緩んで当てて、競射し、勝ちを自認している姿・等、誰が見てもすぐわかる「失」をないがしろにして、道場全体に「礼」だ「礼」だと云われる姿などはどう理解すべきか、学ぶ者は深い闇に陥ります。
多様性の事
遠くのものに射中てる予感と、矢が飛んでいる時何も為し得ず見ている不安と、結果が生れた時の解放感は何時の時代にも有ります。
屋外で遠的等、矢が音を立てて青空を飛翔させた爽快感は心に浸みる事を記しました。
弓を初めて手にする動機はいろいろあります。日本中、各地の祭事や神事、四半的などの遊戯、流鏑馬など等を見て、多くの方は学生時代に、また社会人の趣味として始められるます。今では、退職されてから始める方も多くなりました。すぐに、弓を射る技には「法」:射法八節が有る事を知ります。弓箭を扱う技の道理、正しい心の姿:理念、身につける道筋がある事も知ります。
しかし、そのような道理も理念など知らなくとも、人に迷惑をかけずに矢を射はなつことはできるので、やがて、理念や法はある事は知っていても、実際は、弓を射て当りを楽しみ、友人と会話しながら、仕事や生活の余暇を潤す遊戯の道具としても十分に役に立ちます。今は、誰でもと云っても良いほど射法八節は知っていても、射の姿はその人の価値観を明らかにして為せばよい事です。
翻って課題となるのは、それを弓道と云って教えては欺瞞となるでしょう。射法を知って心いやす道具として弓箭を扱う、その取捨選択は指導者の鍛錬の巧拙の上「清き水に魚住まず」と本多師が言われたように、指導者によって分別されれ、問題があれば指摘し、話合えばよい事です。技や形に捉われず「何も心に抱かず一心に弓を押し開き、矢が飛ぶ爽快感」こそがいつの時代にも弓箭が生活に活きる続ける本源と学べます。誰もが弓箭を手にして生活を潤し心をリフレッシュできます。それに理念を付けて画餅になるか、弓を手にし「弓道」を知った初心者の指導され方こそ重要と、指導者の責任を先哲は繰返し警告しています。「技即道」説かれるので、現実に「何故」と問いかける事から始める事と理解しました。
此処では、骨法で引きこなせる弓の強さに問を投げかけています。人の道を理念に据えて、それを指導者が射の正しい技を実践には扱える弓の強さに「技即道」に則した価値観があり、それが先哲の示唆と一致するのかという課題になります。さらに日々、その筋道と方法論と実践の実態を学ぶ者に示さなければ「理念」も画餅となります。
伝統の技に道を据えたすべての藝ごとにいえる事でしょう。現代は「射」と云いません「弓道」といいます。多様性を大切にする現代は、自分の価値観を明示して実践することで、多様性は初めてその具体的内容と行動の姿がはっきりします。反対に、価値観と実践が異なれば多様性でなく単なる奇を衒った名声と姿で名とは異なる事物と云えます。さらに、弓道に権威を据えるならなおさらと云えます。
伝統に関わる職業人では無く、サラリーマンや家庭人の誰もが伝統の技を身に付け自己表現、自己実現させることが出来ます。
伝統の事物に触れ、これを”したい”と思う純真な心に誘われて”伝統”と名の付くヒトや組織を尋ねる事から始まるのは何事も同じです。それこそが伝統の事物の持つ力であり、文化が再生される力です。伝統の技を用いる動機や、心からの欲求は多岐にわたりますので、夫々の心のおもむきと価値観を明確にして、多様性が相互に尊重されて成長する事が新しきことがうまれます。伝統の技を伝える方々は、技を扱う道理と用いる意識・価値観をキチントお話されなければ、生まれ出る人と事物が、人の自立と活性を育む伝統の事物となるとは限りません。常に、伝統の事物とは全く異なる迷い道が在ることを自戒し無ければ、奇を衒ったモノとなります。
それ故、伝統の事物の型形技の表面にある画一性と、型形技にある真の多様性の課題に意識を向ける事になります。
「正しい技」とは何か。先哲の偉業、理論を謙虚に向き合い自ら意識する事と学べます。意識すれば、道具を用いて自己実現をはかる、自分や他の方のいろいろな姿に会います。その姿に宿る心に素直に接し、謙虚に考える事を問われます。その自覚が執るべき各自の道理に向き合う多様な姿に気づかせ、道理究める多様な行動が顕われる事が先哲の示唆と理解されます。その事を明言した上で、自他の多様な実在を認識し、自己実現を図り、自立を促す事が今の時代の伝統の型・形・技を学ぶ姿と思います。
道具は本来、この未来を「予測して態勢を調えた過去」と、「型・法則」に従って使用している現在の動作:技の中に「未来を予知・予感する意識・無意識」の中で道具の活用が実行されます。つまり道具と技を結ぶ「型」は「変化」を認識する側面から考える事も出来ます。伝統の技と事物の中味はそれを顕現しています。偉人の事物は姿を透して直接心に映しだします。
伝統の事物は生活に重要な役割を果たし、時代時代に即した道具と用法・技を工夫して次世代につなぎます。集団の大きくなるにつれて、道具を扱う動作が型や形等が一つの様式となって集団と個とを結びつける役割、機能を果たします。弓箭も同じです。弓箭は時代に沿った新しい文化を生み、その新しい文化の中でまた、新しい役割や機能が付与されているのは歴史が示しています。弓箭は文化によって再 再生産されます、弓箭を扱う射法射技には、誰もが使用できる汎用性とその理を学ぶ姿勢の両輪が行きかう射の中に法や形や型を知ってとらわれない自立した自在性、心身の解放感が矢飛の姿に顕われるのでしょう。