参考資料(冒頭「射」と重複)
参考資料(冒頭「射」と重複)
参考資料:「射」の項全体にわたって出てきます参考資料を一括してここに記載しておきます。
①「竹林派弓術書」
「尾州竹林派弓術書」:財団法人生弓会蔵版 国立国会図書館蔵
:財団法人生弓会1976年発行「本多流始祖射法解説」に記載の『尾州竹林派弓術書(財生弓会蔵版)』
を指します。この尾州竹林派弓術書には注釈があります。注釈者は私には不明です。このHPでは「竹林坊如成師」と記述します。
「尾州竹林流”四巻の書”講義」:全日本弓道連盟発行”月刊弓道”(434~472号)連載
以上二つの資料をこのHPでは「竹林派弓術書」と述べる事もあります
②「射学正宗」
「武経射学入門正宗」:昭和2年7月25日発行、小澤 瀇 著兼発行
「武経射学正宗同指迷集譯解」:昭和2年7月 廣道館発行、小澤著
「武経射学正宗詳解」昭和5年 村河清 著 内外出版印刷株式会社 発行
「武経射学正宗解説」昭和5年村河清詳解の解説、仲 和良著:日弓連発行”月刊弓道”(611~633号)連載
以上を「射学正宗」と述べる事もあります
③本多利実師関係著作
「弓術講義録」本多利実講述:明治42年大日本弓術会
「弓道講義」本多利実講述:大日本弓道会編(1923年)国立国会図書館蔵
明治42年大日本弓術会編「弓術講義録」と同じと思われます。
「本多流弓術書」:平成15年8月23日財団法人生弓会発行
この書には本多師の多くの著作が載せられております。
「弓道保存教授及び演説主意」:「本多流始祖射技解説」にも収録されています。
「射法正規」
「中外論」
「射の修業と精神の迷い」
「弦音について」
そのほか多数の本多利実師の著作から抜粋されています
また江戸期の多数の弓術書の本多利実師の註解が記述されています.
「本書」、「竹林派射学本書五巻註解」
「射法輯要」「竹林派射法輯要註解」 そのほか竹林派の弓術書と註解が
多数抜粋されております。
④梅路見鸞師関係著作
「武禅」「顕正射道儀」:昭和9年~昭和11年 発行所 梅路武禅道場
「無影心月射義」:梅路見鸞
⑤阿波見鳳師関係著作
⑥教本
「弓道教本第一巻」:昭和28年8月1日版日本弓道連盟発行
改訂版「弓道教本第一巻」:昭和56年9月1日版全日本弓道連盟発行
このHPでは「弓道教本」「教本」「教本一巻」と記述する事もあります
「弓道教本第二、三巻」:昭和55年4月1日版全日本弓道連盟発行
このHPでは「弓道教本」「教本」「教本二巻、三巻」と記述する事もあります
月間弓道
⑦全集
「日本武道全集 第三巻」:昭和」41年人物往来社発行
「現代弓道講座 全巻」雄山閣
「現代弓道小辞典」
⑧池田正一郎先生著作
「射法入門」:昭和60年9月20日発行 相陽射人著 発行者池田正一郎
「四方山噺」:平成11年5月1日 池田正一郎著
「初心者教室用資料」「
⑨「その他の書物」: 昭和50年代以降に発刊さたその他諸文献、資料は都度記載します。
⑩諸流派
「日置流竹林派伝書 その一」 入江康平編 弓道資料第二巻
「日置流射法 稲垣源四郎」:現代弓道講座、 雄山閣
「第二部 日置流射法・射様・伝承流儀・系譜」: 記念誌
「日置流道雪派 射法」:現代弓道講座、 雄山閣
「日置流道雪派 六十五ヶ条講述抄」:全日本弓道連盟発行”月刊弓道”(419号~)連載
「小笠原流弓道伝書 その一」 入江康平編 弓道資料第四巻
「小笠原流歩射」:現代弓道講座、 雄山閣
「大和流弓道伝書」 入江康平編 弓道資料第十巻
「橘家蟇目之大事」 長谷川如是閑 コレクション
「橘家蟇目口伝 全」
「橘家蟇目秘伝」
⑪「風姿花伝書」
(冒頭「射」から転載)
骨法の道理を説く書をたどる
現代の弓術書や教本に現れる主要な文言が数百年も前の弓術書に現れます。 教本や現代弓道講座、日本武道全集には多くの流派の射法射技が掲載されています。国立国会図書館の利用から個別の流派につても知ることが出来ます。武道全集などでは日置師以前を古法、以降を新法としていますのでここでは新法を学んでいる事になります。
生弓会編「本多流弓術書」によれば本多利実師は千を超える弓術書を調べたとの記載があります。その大多数は冗言と記述されており、研究実践の上で”射法射技の本は一つ”と射人の迷いを解くため、唯道場で矢を飛ばしているだけでなく、しっかりと先哲の弓術書を学び勉強しなさい警鐘を鳴らされたと愚推しています。本多師の著作は明治維新前の「射術」と現代の社会の「弓道」をつなぎ、今の私たちの実践に活きているといえます。
その基軸は「骨法の道理の記述」である事は明治22年「弓道保存教授及び演説主意」明かです。
本多師の記述は祖師竹林坊如成師の「竹林派弓術書」につながり、師自らの言葉を以って高穎師「射学正宗」につながっております。梅路見鸞師と阿波見鳳師の「見鸞見鳳の号」は対に成って本多師が両師に授けたとと聞きましたが、何よりも梅路師の「先哲が築いた射法射技は深処へ深処へ導き、微塵も差も生じない」と云わた記述からは、竹林坊師、高穎師、本多師の云われます事と符合し、この先哲四師の「骨法」の道理は一貫しており明解です。また、教本執筆諸師の経歴から正面打起射法の執筆師は本多師と関係が記載され」、学校系譜の方は一師で他師は本多師系譜の一般社会人と知ることが出来ます。
これらの書を基軸に他の弓術書を紐解く事にしました。特に、本多師、梅路師の見解には「骨法の先」つまり射の本質について「竹林坊師と高穎師の理を究理実践の上に、示唆されている」事に注目していると愚考します。「技の柱の骨法」も又「的中」のために組立てられたことわり(理)である事は竹林派弓術書の「射技を記した七道は目当てが目的」に明らかで、それは弓が有用の時代の事で当然と云えます。「技三精神(心)七から生まれる射」において射の多くは「心」に依存している事は竹林坊師はじめ諸先哲の示唆に明らかです。「当れば良いとする中り」と結果を主とする事は弓が無用の時代の射の姿で無い事を本多師と梅路師は明確に示し、「骨法」に随って「確かに中り、確かに外れる」ということを「射行中にそのことわりを知って射を行う射行に厳密に対峙する事」つまり、両師云われる「中り外れの事象の変化の理を射る前に予知する心象」を課題にしていると学べます。当然、その事はすでに弓が有用の時代に竹林派弓術書に示されていると理解できます。
迷わず射を学ぶには「射が一技である骨法の道理を説く書」をたどり「弓箭が無用の時代にあっても古の先哲が実証した六分数厘程度の弓の射こなし」に稽古の意識を定め実践を試みて「理と実」の乖離と一致を自覚すること、と理解できます。 即ち『射の型・形・技の言詮を骨法の道理に基ずいて吟味して、その理の内実を「正」』とし『実践行射中に現われる射手の「事象と心象(内に感じる力の剛弱と対応する自分の心と姿:外に現れる射形)」を「雑」』として描けます。射行中に自身の『事前に描いた「正」』と『射行中に生じるギャップ「雑」』を自覚して『其正雑に去来する「邪」を意識してとらわれず』に一射を尽くして、生じた結果・残身に「素直に向合い」、自己の射を見直し、自己の射の理の理解を見直し、自己の意識を創造し、自己再生と自立を進める事と理解できます。最も悪い事は「結果を意識して射の内容を変え当てる事に意識が捉われる事」です。規矩を語りながら規矩を無視して射を行う事と云えます。
繰返して述べるように「弓道は辿るべき射法射技の本は一つ」と日々の射行に疑義があれば「骨法」の究明に先哲の書を尋ねれば迷う事は何も無いと云う事です。勿論、良導の師に会えれば其の必要もありません。「弓を師とする稽古も本を唯る一つ」です。前述の様に、「骨法」を吟味し、伝統の事実に即した弓力で稽古できるよう心掛け、射こなす弓力の向上をもって技量をはかる事、と学べます。先ず「アタリはずれの結果から離れ」今の自分の射を自覚する事と云えます。度意識は結果から180度反対に、今、「骨法」にそって弓弦を押し開いている自分の射の心象に心を澄ます事と学べます。特別な事ではありません、射行中の心象はどなたも感じている事と思います、その在り方を先哲は示唆していると学べます。その心がまえは「純真に技を学ぶ姿勢」を自分の心に聞き自分の「射」の心象と事象を見つめて結果を離れて見極めたいと思います。
「言詮に惑わされず」と自戒しつつ、良き師を求め、歴史に実証された先人の偉業を指針に稽古をすれば、射法射技の本となる自然の道理に到る道は開かれ導かれています。 射の理を尋ねず弓箭を手にしては「骨法を知らず」と迷い道をさまよい続けるのでしょう。射の理念等無く弓箭を扱うならばこのような事は不必要ですが、射の理念をもつ射の道とは異なる事は当然です、それ故、「先哲の弓術書」を紐解きながら射の話を進めて行きます。
骨法の道理を説く書をたどる 以上
(冒頭「射」から転載)
参考資料について
(1)全体的な事
教本を執筆した正面打起の多くの師が本多師、阿波師の射の系譜にある事が教本二巻によって知ることができます。
また、梅路師、阿波師の両師は本多利実師より「見鸞、見鳳の号を頂いた」と伺った事があります。両師の関係は「武禅」から知ることもできます。本多師は尾州竹林派弓術の流れを汲み、その源、石堂竹林坊如成・日置弾正に至ります。本多師は「弓道保存教授及演説主意」で「日置弾正以降を新術、それ以前を古法」と区別し、「新術の流派は日置師の発明に拠らざるなし」と記しています。本多師、梅路師の両師は流派のワザに言及し ”新たな事は何もない” と本多師は「射法正規上巻」に、また、、古法橘流を修めたと云われる梅路師は「武禅」に示唆しております。
技の源は同じである事を心に銘記して、紀州竹林は吉見順正「射法訓」の理解・実践にこれらの書を用いています。江戸期の「斜面・日置と正面・小笠原の関係」が多くの弓術書に記載されていますが、「弓道講座」や入江氏編纂小笠原流の書物を見ますと、「射の技の本は一つ」との先哲の示唆に確信が生まれます。したがって、それを意識してこれらの書と接しています。
(2)「射学正宗」と各書の関係
①本多師は「弓道保存教授及演説主意」で”骨法射形を記した「射学正宗」”と”日置氏の射形骨法” が「相同じ」と記し、本多師著「射法正規」も構成等を参考にされていることを謙虚に述べています
②教本二巻には江戸期の射風が射学正宗の影響を受けていることを記し、射学正宗の弁惑門の ”射の病癖” 記載を取り上げ ”高穎師は深刻に述べている” と紹介しています。
③「尾州竹林弓術書」の”草菅穀に勝”の記載は「射学正宗」弁惑門総括の記載と同じであります。また本多師の著作にも表われ、射の病”六道の病”に記され、たびたび学ぶことができます。
④「武禅」梅路師記 ”弓道の危機” の一文は射学正宗の指摘を本質まで掘り下げ、戦前の弓界の問題を明確にしたと私は思います。上記①~③を重ねますといつの時代でも同じ課題で射の本質と提起されていると受け取りました。
⑤現代の射の理の記述は約4・500年前日置師・竹林坊師と高穎師によって確立され「竹林坊師と高穎師の骨法に係る記述」が具体的と思います。この両書には「正しい射」と「癖の射」の対比が明確で、その根にある心象が具体的に記述されていると学べます。そこに「本は一つ」と喝破される射法射技の理念を見出すことができます。
(3)尾州竹林派弓術書、「弓道講義」等本多師著作
本多師の系譜は社会人系譜の弓道家と学生弓道系譜の分けて捉えています。
社会人系譜は 大日本弓道会編、本多利実師著作「弓道講義」(1923年)と、諸弓道家の著作に著れています。本多師著作、1909年大日本弓術会編「弓術講義録」と同じと思えますが、この書は日置師以来江戸期に熟成された斜面の射法射技のすべてが現代の私たちが行う正面打起射法射技に内包されている事をわかりやすく説かれております。また、尾州竹林派弓術書の内容も網羅され、読みやすく、現代私たちが用いている弓道用語の語源を知るとともに、骨法を旨とする射法射技が論理的に述べられています。
(4)「正しい技」を心に留めてこの資料を紐解く
先哲の書の不明なところが浅学の身には多々ありますが、竹林坊如成師をはじめとする先哲の射の理念の中に伝統のワザが現代にいきずく「技の本質」が既に述べられている気がします。本多師や梅路師云われる如く「射法射技の本は一つ」であり「欲」がそれを破壊します。弓道に限らずあらゆる武道・人の技に棲みつくことと愚考します。特に「正しい射」とは何か、先師の弓術書の冒頭に顕われる事と注視しています。
誰もが「正しい技」を身に着けようと一生懸命稽古してます。しかし、「その方法、意識の置き所を先ず考えなさい」と先哲先師はいっています。弓を手にして実践だけ行い、アタリの多寡、勝負の優劣、段の有無の結果を「正しい技」と思うのは間違えを起こしますよと云われていると理解できます。本多師や高穎師はその事を丁寧に説明しています。その一歩が「資料を紐解く事」になります。
「射学正宗」から始めから「射の真理に至る正しい道」に入らねば全く違う癖の射の所に行く事を学びました。
振り返って30年ほど前にその岐路に立ち、意識を変えた経験から、日頃目に触れている先哲の理念理論を眺めているだけで、丁寧に読み、読み砕いて、丁寧に実践に臨んでいない事に気づきました。その経験から、目にしている先哲の言葉が意味する「正しい道」は何かを理論と実践を回し ながらその相違を覚知し「何故」と問うことにしました。段や勝ち負けの他力に依拠せず少し強い弓に答えを求め、良導の師を求め得られないときは、ここに掲げる先哲の指針が、いかに具体的で人を惑わさず導いてくれるかを確信出来ると思います。本多師は其の事を明言している事と理解しました。
孔子孟子の示唆は弓術書に必ず出てきます。礼記射技編の「正しきを己に求める」もその背景が 古代中国の封建性の中で”家父長から王”に至る、組織の力を持つ人(階級組織の上位者)をいさめ、その心の、正しあるべく姿勢を射の世界にとりいれています。つまり、指導する側の姿勢を正ている事を忘れてはいけません。射の稽古が「謙虚」であることは、先ず先哲の理念を前にして、指導される方は勿論、学ぶ者も意識を謙虚にして問い、「正しき」とは何かを己に求め、段や権威の他力に求め、依存し無い事を明言しています。その事を射の実践を通じてこれらの書物から教えて頂けると思います。
(5)沢庵禅師は「不動智心妙録」”理の修行、事(ワザ)の修行と申す事の候”で「事理の二つは車の輪の如くなるべく候」と示唆しています
射は「射法の理論」と「実践の事実」が「骨法に基づく一技」ですから、初めて弓を手にしても学ぶ人を迷いに誘うことは無いと云えます。初めて弓を手にした人は各自の「射の理」に接する考え方と「実践に臨む」意識は百人百様であるからこそいつの時代にあっても、射手それぞれには新鮮で新たな意識を育むと学べます。稽古や修練は創造的な意欲と自立を促すことですから理と実践が一技である射はとても良い伝統の技芸と云えます。これらの事は「骨法の射」を知るという意味ですから、はじめに指導される方から説明されないとわかりません。江戸期末には、射は「骨法」の一技にある事を見失って衰退した現実を本多利実師が明らかにした事と同じと云えます。
「一技である正しい技の骨法の理」も明確に心に定めて、いざ実践しても思い通りにいかず、その中の「正雑や正邪」の心象に接する自身の心を見る目、意識によって自身の射は様々な態様を示す事への向き合うことになります。
私の射の風景は、先哲の示唆により「射学正宗や教本や現代の弓術書に何故と尋ね、射法の「理」を此処に掲げる先哲の理を精査することを出発点」としました。それによって、正面打起をとる諸師が本多利実師の系譜であり射法訓が本多師と同じ系譜にある事を知るに至って本多師著作と本多師が開示した竹林派弓術書に会うことが出来ました。
本多利実師が「委しき正道を知りたる師を選び、その門に入りて弓の理を聞きて稽古を始める」事を示唆し、人の道を説き実践された梅路見鸞師も「正覚の師の良導を得ること」が必須と説いています。
先哲は、書を読んでわかっても、又指摘を受けても、実行する人はい無いと指摘しています。素直に行うヒトはまずいないとの指摘は、自身に手を当てれば自戒する事です。素直でない自分、意識を変えられない自分はいつも見ます。迷いが出れば「心の底に自問自答して真実の心の叫び聞くこと」「射法理論と肉体の合理的使用に忠実に徹して、向上の一路を無限にたどろう欲求すること」に真摯に向き合い、心新たに日々の稽古に臨みたいと思います。
参考資料について 以上