私の射の風景
私の射の風景
私の射の風景
六分数厘の弓を師として学ぶ自画像
(自画像とは私の経験と実践中の事です)
経験
”若い時に強い弓を引いて鍛えねば4,50歳台にはなって強い弓は引けません”と云われる方もおりますが、その様な見解を先哲の書に見る事はありませんでした。先哲の示唆は「骨法の正しい技」の射は古希を過ぎてもさほど変わらない、と記述されています。先哲諸師は”歳を重ねても、普通の強さの弓が引け無いのは、射法の理に適っていない稽古を続けた結果”と断言しています。
40歳代に入って、74歳先生にお会いした時「歳を取っても”射場の一射は25kg程度、巻き藁では30kg程度の弓”を引けると良いですね、先ず、教本に"何故"と問いかけて学びなさい」と云われました。教本の技を学び、今、80歳に近くなっても、六分,六分五里、七分の弓で稽古できる事を実感しています。
先哲の示唆
阿波見鳳師は「両手だけに力を用い、他は出来るだけ力を抜きなさい」と云い、「引分けの意起こりて弓の力を感ぜず」と梅路見鸞師は示唆し、竹林坊如成師と高穎師は「骨力を主、筋力を従に思慮するのが骨法」と明記し、本多師は「手の内が整うに斜面と正面とに差が無い」と明示されています。骨法の定義とその技は竹林派弓術書と射学正宗にあります。教本と同じ文言にたびたび会います。私は教本を執筆した本多師の二つの系譜上にある神永師と高木師が骨法を明記し技法を示唆していますので、現在、この技を主に学び、射行しています。矢束一杯は神永師の姿に明らかです。正面打起の技の要諦は本多師と梅路師の射法要諦に明らかです。
私の実践
上に伸び足踏・胴造・弓構で調えた両肩根から両肘の方向:つまり上腕の骨の向きに、上下前後左右に正等な骨力に随って弓箭を押し開き続ける一心で残身に至る一射を為す事といえます。何故なら弾力のある弓は連続して身体を圧縮し、圧縮力に対応するのは骨で、関節が連続して伸び続ける骨格(骨格内を直に通ずる骨力・外に向かうベクトルを持つ骨力)と、先哲の書から理解できます。要諦は、力を感じないためには弓と弦との接触の考え方・技の理解に有り、梅路師の云われる身体を自然働かし、弓箭を自然に働かす事を用いています。その実践方法は本多師の示唆に有ります。
振り返れば、その事は、本多利実師が「素引き」と「矢番え動作」の違いについて示唆される事です。私達誰もが、弓を手にした初めに顕れている事で、真実は初めから素引きする自分にあると理解できます。その事に気が付き始めたは弓を手にして数十年たち、本多師の弓術講義録を読み、さらに又数十年たったころで、弱い弓で癖もたっぷりついてからです。
素引きは、自分の外見・姿に目を向けて弓・弦を引くのでは無く、初めて弓を手にして間もなく、まずは、意識を自分の中に目を向け、自分の内から出る力(骨力:骨の中を貫通する力、特に関節を通ずる力)に目を向け・意識を据えて、ひたすら弓箭を押し開く一心の一射を行じる事と理解できます。
今、弓を手にして半世紀たって思う事。
良導の指導される方は、初めて弓を手にした方の歳や経験や性格などの心相から、又は経験者に、素引きの具体的な規矩とその理:骨法の八節射法を学ぶ姿勢を定め、素引きを実践で示し、指導実践で示されるのでしょう。私は実践提示の時弱い弓から強い弓力の弓で示される事によって射手の素引きが変わらない事が示されると良いと思うのです。本多師に続く先哲は素引きを正しくこなして巻き藁に向かったように思います。今はとても無理でしょう、その事も本多師は「弓術講義録」に記しています。それ故、初心の方に繰返し、繰返し、弱い弓と普通の弓強い弓で、実践して示すことも大事なのでしょう。それも、若干用法は異なりますが、竹林派弓術書には記載されています。
私の射の風景 弦搦 と 弦道
「弦搦」を要の技にとりあげる理由は、「弦搦」の技によって少し強い弓が射こ なせるようになる事を実感した事につながり、さらにその事は「矢束一杯」の弦道を限りなく明確にさせると学べるからです。この道が常に実感されれば「中る射」の意味が理解出来ると思います。良い時は矢束一杯は身体に軽くはまり、離れは軽く出る感じをえます。悪い弦道は 身体にはまりますが、強弱は強く出て、離れに伸びが無く、残身に乱れを生じます。弦道は難しいとおもいます、常に弓構えにまでの過去身に戻って射を正、現在身に決意をもって一射に臨み、射 行中に弦道の正雑を覚知し、その正雑と残身の矢飛、矢処にて、自己の射を正すことになります。
竹林派弓術書本書一巻四巻に記載されている「弦搦」をキーワードに八節の動的なプロセスに従って列挙してみました。
私の射の風景 左右の稽古の仕方
弓を手にして20数年42歳のころ、”強い弓を引かなければ射の事は分かりません,歳とって射場の一射は六分数厘25㎏程度巻き藁では30㎏程が引ける良いです。先ずは教本に何故と問いかけつつする事”を進められました。
その時、カケの機能と構造、その使い方と離れの模式的な方法を教えていただきました。次に弓手手の内の弓に収まる模式的な方法を教えて頂きました。この方法が理解できれば、大凡弓構えで正面の構えを整え、その位置で大三に移行し、離れの練習カケの使い方を覚えます。習い性になるまで稽古するよう進められました。
正面で構えてから大三に移行する最中に、右手の内と右拳、右肘の張り合い、特に右手の内が力を用いずに審固となって力を感ぜず、右手首が伸びて(右手繰りが無く)、弦と右肘が「直」につながって右肘に意識が云って、右肘で弦を押し出せる(引ける事を感じます。
大切なのは、縦横に伸びた正面の構えから開くとき、右拳は右肘で意図して折らず、右肘から先は弓手拳にまかせる事、右拳は弦に引かれる事が絶対条件です。縦線を効かせて左右同じ意識で、縦軸に伸びて右肩根が落着き右上腕の肩根が下前の方向に骨力が流れ、其の右肩根脇下から右上腕の骨の向きに、右肘を押し出すと右拳が自然に伸びる事を知覚できれば成功です。
伸びては戻し三度程繰り返し後、弓手に呼応して、両角見を強く押し出し、すなわち、右は薬指又は中指の先端に向けて帽子を強く押し出し、右肘で弦から拳を引き抜きます。離れと同じ意識で気合をこめて引き抜けば弦音が起こればまずまずと思います。30cm程以上引いては弓を痛めます。
一連の模式的な方法は図解か映像が現したいと思いますが、スキルがありません。検討しています。
余談:稽古の方法について想う事
先生から具体的な技を教えて戴いたのは以上だけでした。癖はその都度指摘されましたが、どうせよとは話がありませんでした。
先生の師は梅路見鸞師であり、阿波見鳳師にも見ていただいたと伺いました。梅路見鸞師と阿波見鳳師は本多利実師より見鸞見鳳の号戴いた兄弟弟子と伺いました。本多利実師は尾州竹林派を継承し、正面打起を現代弓道に据え、弓術講義録を現しました。教本執筆範士神永師は阿波見鳳師と行動を同じくして梅路見鸞 師と射を交えています。
その様なことを思えば、池田先生に教わりましたこれ等の稽古の方法、カケの用法などはここに掲げる先哲の思想が反映されていると私は勝手に想っております。同じでは無いかもしれませんが、梅路師の開かれた武禅道場で行われた方法も在るのでは無いかと愚推しますが、伺った事はありません。先生には自分で理解してた事は自分の言葉で述べなさいと云われましたが、自身が無いので、先哲の言葉を基に展開しています。
稽古について、もう一つ実践は「弦を取って指導して戴きました」、既段も上がっていましたので、必ず弦を取って指導できるようにする事を学びなさい、身体に触れて教えてはいけませんと示唆されました。当時多くの指導者のその「失」を但しておられました。
先生に弦を取っていただくと、何故か弓が体に良くはまり会が治まります。おそらく、私の唯一の弦道を体で感じさせ、矢束一杯からの離れを自覚させるためと今は思います。それが骨法の射であり、形に捉われた自分を見つめさせることになると学べます。