「射法射技の本は一つ」
明治の黎明期に現代弓道の礎を築かれた本多利実師は喝破されました
「射法射技の本は一つ」
明治の黎明期に現代弓道の礎を築かれた本多利実師は喝破されました
何故、本多利実師は”射法射技の本は一つ”と言われるのか」身の周りにある弓術書にその本を尋ねれば、わが国では日置弾正師と竹林坊如成師に至り、海を渡れば高穎師と「射経」に至ります。現代弓道は日置弾正師の工夫創出した射法であることは誰もが知るところです。しかしながら、その「本」から流れる流派の技は異なります。また、同じ弓術書を用いても指導される技・例えば矢束一つとっても骨法に適う矢束の説明をする人も、矢束が何かを説明せず矢束を取らせない指導者もいます。一事が万事総てがそうなのでしょう。何故でしょうか。
「諸流派を継承する指導者が諸流派を創設した流祖の射法射技の中身を学ばず、自派の表面的な形に拘泥し、他派との当り数の表面の姿に比較差別の形式に権威を付け、八節射法の射技と規矩にあまたの文言を排出するので、学ぶ者は、知らずに言詮の渦に吞み込まれ、迷界をさまよう事になる」と本多師はじめ先哲は指導される方の姿勢を糾弾します。それ故、先哲は「言詮に捉われず」と警鐘を鳴らすのでしょう。射法八節は指導されるが、それぞれの技、言葉が「骨法の理」から説明され無い事から起こる事で、価値観が有る多様性などでは無く、学ぶ者を迷路に招きます。
表面の形だけは射に似ている姿で中味は射とは異なる「射法を無視した迷界」が、いつの時代も必ず生まれる事を先哲諸師は警告されています。一般的に言えば、その原因は「伝統の”かたかたちわざ”に向き合う心の在り方、業、欲心などに在る」と理解できます。射でいえば、八節の射法射技の中身(骨法の理)を、先哲の云う普通の強さの弓で自ら究明して実践せずに、”指導者の云う外見の姿・形”を、著しく弱い弓でなぞり・促成して八節の形を演出して、当りの多寡の比較と段級の上下などの優劣の比較で正否や真否を断ずる等、欲心に心が捉われる姿と学べます。事によると高穎師、本多利実師、梅路見鸞師は断罪してると理解しました。
本多利実師 明治二十二年八月「弓道保存教授演説主意」(財生弓会 本多流始祖射技解説)ヨリ
「…現今壮者の迷惑なす骨法射形の概略を謂わんに、先ず射術の根本たる窮理を知るに及んでは自然骨法射形、法の如く意の如くなるべし。… 略 … 射は顕幽両途感通して一技を全備す。故に前に述べる処則ち顕にして射形を言い、且心気の練心決意の心法は言うべからずの修学、伝えがたきの処、所謂禅家に不立文字と悟道に云う所なるべし。… 略 … 弓に五味七道の教、又十二教、且五法等あり。…如此種々教有といえども、帰する処弓を引いて矢を飛ばし的中せしむるに止まるのみ。何ぞ如斯く種々に別あらん哉。後世に至り本末を違い。何流派は如此などと形に株守して本を失い末を論ず、是遺憾の至りなり。本は一つなり。末に些少の見識あるのみ。夫は一々説明すべし。・・・」
梅路見鸞師昭和九年「武禅第一巻第三号説苑二)我が家の射道(二)射法」ヨリ
「…しかるに、今日の諸大家の中には「万巻の伝書は反古に等し」とか「古人は実に幼稚であった」とか「古人の研究もそこ迄行っている等」と、伝書無用を力説され、自家作製の大旆を押立てられているが、我等は、弓に矢をつがえて正しく引く底に到り得て、初めて古人の射形射法が、射悟妙諦の深底より一糸乱れざるの微妙な連絡を保ち、微塵も異法異形無く、深処へ深処へ、正処へ正処へと前法を捨てしめては進めている。(…略…多寡が弓に矢を番えて正しく引く位に、特別の新工夫を要するものではない…略)しかし各派の射法に於いて多少の優劣あるは各流祖の悟底の深浅、行路の別、時代の如何、道力の相違等に因って生じたるに外ならない。…」
先哲が言われる事は、学ぶ者は「あまたの言詮」に「何故、そういわれるのか。何故、その技なのか」と問いかけ、本は一つである「射の理」学びつつ、実践とおして体得する事と学べます。学ぶ姿勢は「正しい技の理論を自ら調べて理解」し、「先哲の実践した弓箭で射を稽古」し、「理と技の両輪を回し続ける」事理を回す修練を積む事と理解できます。
規矩の表面的な形を詮索するのでは無く、その規矩の中味:「骨法」に従う具体的な技とは何かと問いかければ、「射法射技の本は一つ」と云われる先哲の記述につながり、竹林坊如成師、高穎叔師、本多利実師、梅路見鸞師、阿波見鳳師等先哲の示唆にブレはありません、明解です。
尾州竹林派竹林派書と射学正宗の両書は、弓箭が武器として有用な時代にあっても、射法に基づく修練が人を成長させる精神性を内包している事を明らかにしています。弓箭が無用な現代弓道に在っても射の理に内在する自然の理が「弓箭の活用によって精神が育まれる」事が 本多利実師著明治42年「弓術講義録」(大正12年「弓道講義」)と明治40年「射法正規」、明治22年「弓道保存教授及び演説主意」に記されていると学べます。この本を介在して、斜面の伝統の技の総てを含んで、近代・現代の正面打起を教授する指導者の技と規矩に伝えられ、今日にあると理解できます。このHPのテーマで云えば、本多師が「射法射技の本は一つ」と云われる事は、今日伝統の射を学ぶ姿勢は「昔と同じ方法、六分数厘の弓を普段の稽古に用い射こなせる事」加えて「射の理に適うか否か,先ずは「骨法」とは何かを勉強しつつ自得しなさい」と学べます。
弓箭が無用の近代・現代の弓道の射法射技の礎は本多利実師の著作に明らかであり、道法としての弓道は梅路見鸞師に明らかで、その実践は見鸞見鳳の号を連ねる梅路見鸞、阿波見鳳両先哲に実践されています。新しい事は何もありません、歴史に陶冶された伝統の日本の和弓の「射」の文化は先哲の偉業(理論と実践の事実)にその真実が示されています。伝統の技を身につける事はまず謙虚に先哲の偉業をリスペクトして向き合う事から始まります。「道」を説く弓箭の活用は如何にして人を導くその具体的方法論が無ければ、口だけの話になってしまう事は、一つ「弓道」の限りません。
先哲の示唆をリスペクトすれば、「法」のある武道で「物理、生理、精神面で自然の理に基ずく原理の記述があるのは射」だけと理解できます。何故なら、自分の内にある道具:骨をもって静態の射手から矢が射ずる瞬間の行為は「法のある射」の他にありません。八節の射法を知って無闇に弓を引く人はいません。ならば「射法の法とは何か」と問われれば、本多利実師が言われるよう、指導される方は「正しく」説明せねばなりません。それが明治以降の射の教法と「弓道講義」に本多師は述べています。
全ての先哲諸師は射を行う姿勢に、心の在り方:「正しさ」を問うています。何故、でしょうか。
飛道具には結果が有ります。結果だけに心を取られ今なすべき事を見失い、射幸心という欲望が人の姿の総てをゆがめるからでしょう。今まで述べて来た如く射には「射法射技の本は一つ」に辿れる正しい筋道が500年に続く歴史に陶冶されていまにいたります。今日、自覚しているか否かにかかわらず、すべての方が射法八節に随って射をする意志を持って稽古します。しかし、多くは射の理を学びつつ今なすべき正しい射の稽古をするより、当りに捉われ、勝ち負けをなど結果に意識を取られます。当たらなけれ射の行為が正しくない、アタレバ射の行為が正しいと云います。結果に心を奪われ、弱い弓で八節の射法の規矩・射技の外見の姿を真似て当てるのでは無いと学べます。
射形の美しさや当りなどの結果に目を向けるのではなく、「今、行射している自身の骨法の動作=骨の向きに正しく弓を連続して押し開いている」かに目を向ける事といえます。骨法の射を正しく理解して動作する意思を持った筋道の射か否かを、行射中に自覚する事といえます。その事が「射は骨法の然る由縁である事」を自覚する筋道と学べます。「射は射て成る事では無い」と云われる本多師の示唆を理解できます。
それには技や規矩に何故と問い掛け、その内実(力学的合理性、筋骨の状態・働きのなど自然の合理性)を自ら進んで学び究明して理解しつつ、射を行づる事がすじ道です。その事に因って行射する一射の正・雑を自他に問い、”癖や雑な動作”、”簡単に結果を得ようとする横着心、当てるためには規矩・決まりを無視する邪な心”を糺すための行為といえます。随って、射の癖は勿論、精神の迷いや癖を「骨法の理、自然の理によって説明し、一筋の射行に随って具体的に為すべき技」を心に定める事ができます。射行中に去来する正雑正邪に素直に向き合い、そこにある「心の失を自覚し、正しくする修練」を生涯、積む事と学びました。
「正しい」とは何かを自らに問い、強弱の弓箭をともに稽古して”技に捉われず、ましてや形に捉われず”、ひたすら弓箭を押し開く一心で顕現される射にこそ、新しきことが起こる思いをします。竹林坊如成師が詮索する射をやめなさいと言われる一射がいつの日か体現できる事を心に据えて進みます。
「六道の病:輪廻の弓と云いわれ、射の表面のかたちに迷い苦しむ病で、やがて弓が引け無くなる」
「二十五有に随って稽古しなさい。しかし二十五有の内に居ては射はわかりません」と竹林坊如成師は云われます。
何故でしょうか。