流派の事
離れ
竹林派弓術書に「五部の詰の事附き十重の詰口伝」あり、「胸開き背肉を繫」と射経の言葉を記している
竹林派系譜「射法訓」の離れは「胸の中筋から離れる事」
印西岡山系譜は離れの様子は「会で弓・弦を捻り離れから残身で弓手首が折れる」
手の内:天文筋
斜面の技;印西岡山系譜だけ用いる言葉
印西岡山浦上師系譜では正面打起弓構え「手の内」でこの言葉は用い無い
手の内
流派の事
離れ
竹林派弓術書に「五部の詰の事附き十重の詰口伝」あり、「胸開き背肉を繫」と射経の言葉を記している
竹林派系譜「射法訓」の離れは「胸の中筋から離れる事」
印西岡山系譜は離れの様子は「会で弓・弦を捻り離れから残身で弓手首が折れる」
手の内:天文筋
斜面の技;印西岡山系譜だけ用いる言葉
印西岡山浦上師系譜では正面打起弓構え「手の内」でこの言葉は用い無い
手の内
冒頭、本多師は、流祖をたて、流技を指導・継承される人々が「流祖の発明工夫した法則を練磨せず、自流の表面的な姿・形に固執して指導・伝承し、本を失い末を論ずる」と指摘、指導者の数だけあまたの射技が肩書と共に現れる状況を厳しく断じています。学ぶ者は彷徨い、失った本は骨法と書き記しました。
流祖と仰ぎ奉られた先哲はそれを見抜いて、先哲が創意した射とは異なる異質な世界が蔓延る事に警鐘を鳴らし書に記しています。二代目以降の指導者らの正統性争いは必ず起こる事は歴史が示すところです。 家督を争う戦国武将に似た様子を知ればこの争いに例外はありません。それ故、指導される方の責務は学ぶ者の行くべき道の命運を定めます。石堂竹林坊如成師が竹林派弓術書の冒頭に述べ、高穎淑師が射学正宗に説き、本多利実師が「本は一つ」と先ずは「自然の理に適う骨法」自ら学ぶ意志を定める事と学びました。
此処では手にする弓の「弓力」からその道を探っています。
相手のいない射の世界では、唯一手にする弓の「弓力」です。400年も前「一つの本」に至る先哲の書:竹林派弓術書に「かた・かたちにとらわれる輪廻の弓」と骨法を無視した「射の根本の病」を具体的に記述されています。射の根本的な病ゆえ、現代の正面打起射法を提起した本多利実師は、先ず、技を継承・指導される方々に向けて、「本は一つ」とは「正しい射技」の実践とは何かと自身が問う事を喚起されていると理解できます。400年も前「射学正宗」の著者高穎淑師も同様の事を述べています。
何故、諸流派は生まれたのでしょうか:流派を組織する二代目以降の継承者らによって流祖と仰ぎたてまつられた先哲の真意・創意工夫
「弓道保存教授及び演説主意」に「本は一つなり。末に些少の見識あるのみ」といわれ、流祖と云われる先哲の一つ一つの創意工夫を説明しますと本多師は述べています。現代に「自然合法の射」を示し実践された梅路師も「本は一つ」と云われていると読み取りました。梅路師は「流派の射法において多少の優劣あるは、流祖の悟底の深浅、行路の別、時代の如何、道力の相違等によって生じた」と述べています。
明治以降近代から現代は
本多師が「本は一つ」と明断し「惜しむことなく」と師の射を開示され、合わせて、師の始祖竹林坊如成師の骨法の教え、それにつながる江戸期の諸弓術を刊行・開示され、誰もがこれを手にし、学び究明することが可能になったと推測されます。「伝統文化のかたかたちわざ」を身に着け伝承する基本の姿勢と学びました。
本多師が提唱し現代の弓道の礎である正面打起射法は「弓術講義録、本多師の諸著書、著作」にて開示され、誰もが新しい正面打起射法の理を学び、実践して多くの指導者を育成された事は冒頭に記述しました。
「本は一つ、今の人骨法の然る所以知らず」といわれ「骨法の理」を学び、実践で自得する機会が与えられているにも関わらず、扱う弓の弓力は凡そ「本は一つの骨法」を否定する程に弱く、的中至上主義を排すと宣言しながら斜面と同じ様に手の内を決めてかかる射法の混同 ”「骨法の基本の規矩の喪失” 著しくは ”骨法など否定・無視”して「本は一つ」と異なる姿が顕れるに及んでも、なんら疑問が提示されないと感じるのは、浅学の為すところなのでしょうか。
多様性が重んぜられる社会に在って、弓箭は様々な姿で私達の生活を潤します。その可能性は更にひろがるはずです。しかし、明治以降、弓箭が無用の時代にあって伝統の和弓が築いた日本の弓道の射の文化を指導されるには、先ずは、先哲と同じ伝統の方法と事実を調べ、その真実を究めつつ「正しい射法射技」を具体的に説き、実践教導される事は当然にすべき事です。その上で先哲が云われる如く時代に応じた活用が創意されるはずです。それは、何時の時代も・どの分野に於て同じ、指導者が伝統の真実を修学自得の上、正しく決断される事とまなべます