右拳の重要性を説く
右拳の重要性を説く
「武禅」 年頭の私言 「武禅」第三巻第一号 奥崎自現
…元来弓道の正技は無理のない自然合法の現出が終局の目的である。この自然合法の射技が出来なくてなんの道ゾと言いたいのである、道の実践にあるのである、体験によってのみ体得できる、道の根本は説明や思慮では解らないし又伝える事も出来ない、説明すればするほど道と遠くなり、考えれば考えるほど解らなくなって来るのは道である。
…弓道とは正しく弓を射る事なのである、正しき技即ち自然合法によって矢を発し的を射ぬくのが弓道の第一義である、此の正技から必然的に人間が生れ出る、…。
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…又統一々々と云うが勝手の離後の形に於いても、俗に猫の手の形のもの、如意棒の形のもの、棕櫚の葉の形、上を向くもの、下を向くもの、等々千差万別あるが、その何れが正しいとも決まっていない様だ、又最も大切な技、即ち最も離に重大な関係のある打起から会に至る間における右拳の移動変化に就いても何等言及せられていない、…。
…弓道の価値は正しきに進み、難たきを制する努力によって養われ、而してこれによって自ら道が開かれるのであるから…弓道の正技がよく判らない者に道なんて高尚なものが判る筈が無い…。
羊頭をかかげて狗肉を売るよりも、正直に狗肉をかかげて狗肉を売るものこそ道に近づきつつあるのである、見よ正直な言行、正しき弓技に向かって進みつつある者は時に光を放つ、この光こそ真の弓道の表現である、而してこの光は道なのである、光の無い射は如何に見た目に優美に映っても結局空虚な射であり、生命のない道に反した射である、・・・
以上 恣意を弄して、視点を抜粋しました。以下に全文を載せます。尚、奥村自現 氏は「告知欄」にその名前を見ません。文体からかなりの識者かつ弓道の真に達した人と思われます。誰なのか武禅から捜しています。