会・離・残身
会・離・残身
会
矢束にかかわる問いかけ
何故、教本は弓の抵抗力を「矢束一杯」という物理表現をもちいて説明し、「引かぬ矢束」は「心の安定、気力の充実」という精神的な説明 となっているのでしょう。
何故、「引く矢束 は 手先の技」と記載し「技の内容を説明」し、
「引かぬ矢束 は 心の安定 気力の充実」と記載し「精神の状態を表現」し、
「ただ矢束 は 保持しているだけ 持たれ」と記載し「意識の状態を説明」しているのでしょうか
何故、 生弓会編「尾州竹林弓術書:本書一巻:骨相筋道の事」に
「引く矢束 と云うは至らざる矢束 初心の射手は位に付けずして我がこしらえて引く矢束なり 故に引く矢束と云う」
「引かぬ矢束 と云うは至っての矢束 骨相調うては其の身に応じて自然に極まる也
その身に十分満ちて至る矢束故に引くべき所なし故に引かぬ矢束という」
「ただ矢束とは歌の云いかけ也」
何故、生弓会編:尾州竹林弓術書:本書一巻:矢束の事」は矢束と云う数値概念に骨という物体の具体的状態を決定ているのでしょうか