「射学正宗」彀
高穎師は 400年以上前に「射学正宗」に矢束一杯にあたる
「今人 彀(コウ)法を知らず ひたすら 力を恃みて 以て 弓を引く」
「射は骨力でなすもの」と明断しています
其れから300年ほどして明治22年 本多利実師は
「此の頃の壮者射の何たるかを知らず、唯射は射て成る事と思い骨法の然る所以を知らず」と述べ
本多師の祖師 竹林坊如成師は
「射は骨力でなすもの」と
いまから400年程前に竹林派弓術書の冒頭に明記しています。
「射学正宗」彀
高穎師は 400年以上前に「射学正宗」に矢束一杯にあたる
「今人 彀(コウ)法を知らず ひたすら 力を恃みて 以て 弓を引く」
「射は骨力でなすもの」と明断しています
其れから300年ほどして明治22年 本多利実師は
「此の頃の壮者射の何たるかを知らず、唯射は射て成る事と思い骨法の然る所以を知らず」と述べ
本多師の祖師 竹林坊如成師は
「射は骨力でなすもの」と
いまから400年程前に竹林派弓術書の冒頭に明記しています。
「射学正宗」の射法は「審」「彀(コウ)」「匀」「軽」「注」の五法で示されています。八節に対比すれば、
会の状態が「彀法」
会から離れの状態が「匀法」
離れが「軽法」
と読み取れます。「軽法」は両拳の力のバランスと精神面の記述がありますが、「彀法」と「匀法」は力学的かつ骨格理論で精神の記述はありません。
「匀法」は矢束を開く技で ”胸の前を開き、後ろの背を縮める方法”で昔(孔子孟子の時代)から実践されている方法と述べています。尾州竹林派弓術書では「引き治めてから反橋」に該当する考えられます。教本には「引分けの項と会の項」に該当する記載が見えます。
「彀」の状態の記述を記載します。
「武経射学正宗同指迷集譯解」:昭和2年7月 廣道館発行、小澤著
第二 彀法 を 論ず
彀は矢ゴロ と読む 弓を一ぱいに引込むことを云う茲には 其 コウ の事を 委細に説くなり
譯文
「彀 とは 箭を引きて 鏃 弓把の中間に至るの 謂なり 乃ち 射の根本にして 巧妙の從(よつ)て 出づる所なり 惟だ コウ すれば 則ち 前段的を審する工夫 托する所ありて 以て 其 明を用う 後の 匀法の功托する所ありて 以て 中の効を収む 儻し 弓を引いて 彀 せざれば骨 段節 未だ尽きず 肩臂 倶に 鬆にして 猶ほ 不根の木の如く 生意 何に由って 発せん 喪心の人 百務 必ず 集(な)らず 縦(たと)い巧法あるも 安くに 従て 施さんや 世人 射法を講ずる者 紛々たり 但だ 彀する所以の法を 講ぜず 是れ 本を捨てて 末を逐い 老いて精 しからず 故に 射の根本 必ず 彀を先にす」
解釈
「弓を引込みて 矢じり 弓把(にぎり)の中程に来るを 彀と云う 是れ 弓を射る もとだてにて 射術のあんばい處 奇妙を発する 始めなり 前に云うねらいの工夫も 引き ふくらめたる所によりてこそ 明かに 見わけもあるべく 又 此次の つりあい 見込のわざも 彀コウ によりてこそ 中りの効をもとるべけれども 一ぱいに 引込まずん 骨節行合わず 鬆は やわらかによわき意にて 肩臂にも しまず 恰も 根のなき 木の如くならん 何を以ていきたる きおいを あらわすべき 喪心は放心の心なり さようの人のすることは する程のこと 成就すべきに非ず タトイ 利巧なるわざありともして見すること なるべからず 世上に 射かたを講ずる人 多けれども 彀コウする訳を 誰も云わず 皆本をすてて 末を遂う と云うものにて 年よるまで射術 くわしからざるなり さるによりて 射術の根本とする所は 矢ゴロなり」
学研「漢和大辞典」: 彀 弓偏13画 には「ヤゴロ」の読方はありません。教本一巻に「ヤゴロ:離れの直前の状態を項目をとって指導する人もいる」との記載があります。印西派岡山系譜に会は無く、詰・延・ヤゴロで説明されます。竹林派にヤゴロは出て来ません。ここでは訳者 小澤氏 がヤゴロを用いていますので、ヤゴロを用います。
意訳 『会の時、鏃は弓の中程に納まる射形を「ヤゴロ」といいます。漢字では「彀」と書きます。此の「ヤゴロ」の状態は射術の基本で、大本(自然の理)の決まりです。「射」の深淵な妙味(離れと矢勢と的中)が生れるもとです。「ヤゴロ」の射形になれば、五法の最初の「審法」に記述した的と骨格の関係の ”やのり、狙い” が正しく理解でき、縦横十文字の骨格から ”胸を開き背を縮める”「匀法」の開く技(胸の中筋から離れる技)を可能にします。「彀=ヤゴロ」は、的中とその再現性を確実にする「わざ」です。』
矢束一杯に引かない人は、会で骨と関節が締まりながら矢束が延び開くことを理解できず、関節がスカスカで弛み、弱みとなって、却って筋力を使い力みます。矢束一杯引かない人は、根の無い木のようなもので、射のわざが、一体何を以て成り立つのか、説明する根拠がありません。生命に活きる自然の理がある様にこのように射の本質を問わない人は、何をやっても表面的になり、心は定まらないと云えます。
”射の形”や”当てる事”が上手な人が、その技を説く時、「骨節が締まり尽きる、矢束一杯」の「骨法」即ち「射の本質」を説明しないで、表面の形や技の事ばかりをい云い伝え、射形を認められることを願います。そのような方々は生涯「射の事はわからない」といえます。それで、まずこの「彀法」を内容を正しく理解せねばならないという事です。
矢束一杯の事
「その人々の持分(射手に定まる唯一の長さ)の骨節だけ一杯の締まりを矢ゴロと定むる」は「天造地設の自然の理」の「正法」です。
「矢束一杯」の状態に『正しい状態「正法」』と『不正の状態「雑」』がある事を既述しています。「不正の状態」とは『骨法を知ら無いで「骨格」の一つ二つ「直」になる人が稀にいますが、射法に適う「正法」を知らないで矢を射ているのでやがて病が出て「彀」する事が出来なくなる』と述べています。
「射」とは「法」を正しく心に理解して実践することを「正法の射」』と述べています。大変興味の在る示唆と思えます。「天造地設の自然の理」と云われるのは、飛躍して想えば、骨格を持つ動物の動きは生を受けたときから自然の合理性に適った動作が現れると仮定すれば、「人も又その特質を、生まれた時から備えている」を高穎師は言っていると愚推します。
人が道具を扱う意識には、繰返し正確性な再現性を求めることを無意識の経験から意識の記憶へ「法を定め」「型」を作り「姿」に意味を持たせ「歴史に再生産して」道具の文化をつくります。その技を自身にもまた世代を超えて活用する伝統の技になるのでしょう。弓箭の伝統の事物が織りなす弓の文化が現在にあることからも、明治以降の価値の多様化した社会でも弓を引くには様々な方法、価値観があること高穎師のこの言葉から再び思い起こす事が出来ます。理念を付す事も、又理念などは無くても、弓箭を手にして楽しむことはできるのが現代社会といえます。
そうであればこそ、射法の理念を掲げてこれを目標に射を行ずるのであれば、必ずそのおおもとの理「天造地設の自然の理」とは何か、まず「骨法の道理」を紐解き・理解し、理論と実践の両輪を回すことが射の修練の絶対的な条件である事を高穎師は云っております。理念を掲げながら骨法の技とは何かを究明せずに人に理念を強要することほど、人を惑わすものはありません。
「強い弓を引かねば射の事は分かりません」と警告される事に謙虚に向き合うなら、骨法の理とは何かを論じながら技を磨く事が必須である事を高穎師はここで述べていると理解できます。形を真似するだけで、形の中に在る本質:骨法を理解する努力を以て射を修練すべきと明治の初めに本多利実師が言われた警告と一致しています。
引き続き「武経射学正宗同指迷集譯解」:昭和2年7月 廣道館発行、小澤著
第二 彀法 を 論ず
譯文
「 夫れ 正法とは 只 一條の大路あり 世人 知らずして 偶 其 一 ニに 合う者 之あり 然れども 心 其 善を知るに非ざれば 亦 未だ必ずしも 能く 守らざるなり 射を習うこと 既に久しく 病根 漸く 増すに及びて 骨 直ならざるの病 偶 合うもの 偶然 骨節 稍 直す 亦稍 消減して 久しく 射て 筋 疲るれば 始めの骨 稍 直なるもの漸く 不直に 帰す 原(もと) 不 コウ に 帰す」
解釈
「 扨 其 本道の引込み様は 一條の大路あり とて 一すじの大道あり今 此 下に 説くべし 世間に 其道を 知らずして 射る人あれどもたまたま 自然と 其道の一事二事 筋骨の直なる仕方に 叶う者ありされども 其人の心に 是は 道に叶うて 能きことと 知ってせざることなれば それを大事にに守るべき様 為し 然れば 久しく射るに 随って彼の骨の 直ならぬ病 次第に増長して 其 一つ 二つ 叶いたるよきことは 段々無く成りて 遂に 十分の引込 ならぬことに なるなり注に云う如く 久しく射れば 筋ほね 草臥(くたびれ)る ゆえ 其 たまたま 少しく直なる仕形 叶いたるも いつの間にか もとの 直ならぬものに 帰るなり 」
「不正」は以上です意訳をすると
意訳 さて、ヤゴロに至る「正法」は一つで、自然の理に即した方法であります。の「正法」を述べる前に、射手の中には、「正法」等を知りませんが、法に適って、筋骨がひとつふたつ「直」の方がおられます。しかし、「何故、筋骨が「直」であらねばならないか」その根拠となる「骨法」を学ばず知らないために、年月を重ねて行くうちに、筋骨が「直」で無くなる病に陥り、いつしか矢束一杯 に引けず、ヤゴロの状態にならなくなり「正法」から逸脱します。
「正法」は以下になっています。
③「武経射学正宗同指迷集譯解」:昭和2年7月 廣道館発行、小澤著
第二 コウ法 を 論ず
譯文
「 コウの大路 云何(いかん) コウ法の根本 全く 前肩 下捲するにあり前肩 既に 下りて 然して後 前臂 及び 後臂 一斉に 擧(こぞ)り 起りて 前肩と平直 衡の如く 後肘 屈極して 背に向い 體勢 反って後に 朝(む)くを 覚え 骨節 盡る處 堅持して 動かず 箭鏃 猶ほ能く 浸(やっや)(ヒタタ)く 進んで 方に コウを 言うべし 人の長短 齋しからず 各 其 骨節の尽る処を以って コウを為さば 則 力大なる者も太 過なる能わず 力小なる者も 不及なる 能わず 此 天造地説の理なり 」
解釈
「引込むことの道は 如何様 なることぞと云うに 第一 引込 本とする所はおし手の 落 なり 下捲 とは 肩を落として 肩の背の骨を 前へ ひねり出す ことなり と 次の論 匀の 注に云えり 扨 肩を 落として より推手の臂と 勝手の肩を も 一度に 齊(そろ)へて あぐれば 前の落ちたる肩と ますぐに 一文字に なるなり 衡は 平なり 秤 さほなり 故に 横に 平らかなるものを云う時 衡の如し というなり 扨 それより後肘 屈極 向背とて 勝手のひじを しむれば ジリジリ しまりて 背の方へ まがる 其 態勢 全體 うしろへ朝(む)きたる様になりて 至極しまりて 骨節の キシ と 詰りたる處にて シカと 抱えて 緩めず尚 しむる 心なれば 鏃 ジリジリ 入り来る そこを ヤゴロ と 云うなり 人のたけに長短ありて そろわず 故に その人々の 持分の骨節だけ一ぱいのしまりを 矢ゴロと定むる時は 力の強き者も 過分なることならず力弱き者とて 及ばずと云うことなし 是 天地自然の道理なり 」
前段の「第一 引込・・・ ~ ・・・ 故に 横に 平らかなるものを云う時 衡の如し というなり 扨 」までは良く理解できません。この部分以降、右肩根から右上腕ー右肘ー右下腕の状態は右肘がどんどん締まって矢束が伸びてく状態を「矢ごろ」と定義し次の「匀」の技により「軽」の離れを指しているので、竹林派弓術書の「引かぬ矢束は長し骨相筋道につくぞ」の状態は引き収めてからの反橋を経て「真の矢束」に至り「総部の離」と同じ状態と理解できます。この方法は「一条の大路であり」「天地自然の道理」と述べられ、射学正宗と竹林派弓術との射の理が同じである事と学べます。それ故、多くの流派が「射学正宗」を参考に必要に応じてその「言詮」を研究している事がうかがえます。
「匀法」
「彀法」は次の開く技「匀法」と合わせて離れ「軽」を生じます。ですから「矢束一杯になっても未だ伸び広がっている 状態を示しています。尾州竹林派では「引き治めてから反り橋」です。竹林派の云う「引かぬ矢束は長し骨相筋道につくぞ」の先に高木師が教本二巻述べる「真の矢束」がイメージされます。「真の矢束」は一射一射に顕現され自覚する矢束なのでしょう。
「匀法」の中の、その要点の記述をあげておきます。上に述べた竹林派弓術書の「引かぬ矢束から引き治めてからの反橋」の方が骨格の動きとしては理解しやすい気がします。つまり矢束一杯になって「引く筋力」等全く働かずに、尚、”矢束が伸び広がる骨力のベクトル”をイメーシ ゙し易いからです。つまり骨力の法則を理解せずに、無意識に筋力で弦道を 作る射行を骨法と勘違いして「コウ」の矢束に至った時に、如何に連続し伸び続けるかという具体的方法がわかりません。
竹林派弓術に云う「射の初めから終わりまで伸びて縮まざる骨法」の骨相筋道の射法を具現する技の最後のプロセス「矢束一杯」から連続して離れが生ずる骨力による伸びをイメージして、横軸の連結された弓構えから弦道すべてにあてはめれば「骨力」による射は 判り易いと思います。
以下。反橋に係る記述を抜粋します。
武経射学正宗同指迷集譯解」:昭和2年7月 廣道館発行、小澤著
④第三 匀法
和譯
「…此コウの後 當に之に継ぐに匀を以てすべし 而して匀開の功最急と為す…」
解釋文
「…是れコウに継ぐは匀なり 因て左右つり合い 開くわざ精出すべきことなり…」
(「開くわざ」と記している離れについての記述を以下に抜粋します)
和譯
「…故に曰く 匀の法 肩を用いるより妙なるはなし 而して臂を用いる勿れと古に曰く胸前肉開き背後肉縮むもの此なり…」
解釋文
「…因て云う つり合いをすることは肩にてするよりよきなし 必ず臂にてせざれとなり 古へ云う胸の肉開いて背の肉しまるとは此事なり 是つり合の仕様なり…」
る弦道が問題になる事を三つ高穎師は述べています。
鹵莾彀 不正
氣虚彀 不正
泄氣彀 説明文がありません。気が漏れると解釈できるので不正と考えます。
について、詳しく述べています。
「武経射学正宗譯解」高穎(廣道館発行)
①第二 彀法
和譯
「 然れども 彀法同じからず 鹵莾彀あり 氣虚彀あり 泄氣彀あり夫れ 鹵モウコウ とは 弓を引いて 将に 彀せんとする時 射鏃を將て半寸許りを 弓弝の外に 露し 発する時に臨んで 急に 箭鏃を抽いて …此れ皆彀の正法に非ず 」
解釋文
「… 」
「矢束一杯」を筋力で作る射の再現性の「不正」である事の記載
高穎著「武経射学正宗同指迷集譯解」昭和2年7月廣道館発行小澤著
捷径門
②第二 彀法を論ず
原文
「… 今人 不知 コウ法 専 恃力 以 引弓 鏃 至 弓把 為 彀 骨節平直之法 而 不… 」
訳文
「…今人 彀法を知らず 専ら 力を恃みて 以て 弓を引く 鏃 弓把に至るを 彀 と 為す 骨節平直の法 を 置いて講ぜず …」
解釈
「…今の人 上に云う如きの 彀の道理を 知らず 唯だ 一途に 力を恃みて 弓を引き 握りへ 鏃さえくれば ヤゴロ と 心得て 骨節のしまり 肩 臂 の 平直なるわけをば 取置いて 詮議せぬなり …」