現れる姿
射学正宗 弁惑門 第十二 涵養未だ純ならざるの惑
現れる姿
射学正宗 弁惑門 第十二 涵養未だ純ならざるの惑
弁惑門 涵養未だ純ならざるの惑 第十二
涵養も養い仕込みで仕込まするゆえ涵養なり 前に云う丈夫心を以て踏切ってすれば それぞれ 済みたることなれども それ切りとばかり心得れば 時としてリキムことある物ゆえ 尚 外心なく 純に 心も 膽も 気も 養い立てねばならぬことを 此條に云えり 又平居射を習いて 偏に能く的に中れど 或は 曹を分かちて射を角(アラソ)う時に 当りて 栄辱 共に覩えねば 未だ兢持を免れずして 其故 歩を失うことあり 此れ又何ぞや 則ち 養うことの未だ純ならざるなり
夫れ射の一技は霊性に根す 其 挙止動蕩 張弛発縦の機 緘 実に 一身の精神心術の著るる所なり膽勇気魄の沛する所なり 貧富壽殀 此に于(オイ)てか膽(ミ)る 事業功名 此に于(オイ)てか卜(ボク)し 聡明智恵器 識度量 此に於いてか顕る 故に 弓を引くこと 迅き者は必ず躁(サワガ)しを持すること固き者は慮”オモンバカル” 必ず沈む 未だ彀せずして先ず發たん事を思う者は 殀の徴なり 己に”彀”して熟視凝視する者は シン密の士なり 矢を發つこ剛毅なる者は果鋭にして明敏なり 雍容和平なる者は寛柔して雅素なり 發たんと欲して發たず 発に比んで節に中らざる者は 狐疑不断なるものなり 忽ち左 忽ち右 大小常なき者は 蒙昧にして 乖張なるものなり 變性百出して其端を知ることなき者は 浮滑の徒なり 蹇滞澁宜しく脱すべくして脱せざる者は 阨困の士なり 始め引くことは 則ち是にして 矢を發つ時 忽ち 乖張なる者は老いて貧し 蕩蕩として忌むことなし 疾く満たして速く出づる者は 少(ワカク)して顕る 弓を”彀”こと急促にして 発つて 輒(スナワ)ち 節に中る者は 飽腹にして 餘りなし未だ”彀”せずして 急に發ち 巧に中りて 継がざる者は 始め饒(ユタカ)にして 終に憊(ツカレ)る 又 弓を”彀”すること穏なるに似て固からず 矢発すること順利にして 味なき者あり 庸常 貧薄 疑いなし 又 満手皆病にして 自ら以て妙となし 而して 天下を視るに 一の 是なる法なしとする者あり 暗浅鄙陋 歯(ヨワイ)を没(ツク)すまで なす無きこと知るべし これ 人品の斎しからざる 盡(尽)く然らずと雖も 而かも 其 大略 己に自ら見るべし 此れ射は徳を見るの具 と為す所以なり
古人 射を論ずるに 其 容貌 禮に比し 節 奏楽に比するを以ってす 禮や樂や有徳の者に非ざれば 為すこと 能わざるなり 而して 射 之と同条 共貫なり 故に 射に 精 しからんと欲する者は 必ず 務めて 其徳を養うなり 其徳を養わんと欲すれば 惟だ 度に在り 度量弘くして 人 己の形 忘れ 勝負の心 泯(ビン)し 曹を分って 射を角(アラソ)う時 勝たば 固より欣然 敗も亦喜ぶべし 猶ほ 東坡が奕の如きなり 又 何ぞ 過って 兢持を為して 其 度を失わんや 又其膽を養うに在り 膽は勇の決なる膽 足らざる時は 則ち 神寒し 閑に居て 且 餒う 局に当れば 必ず靡く膽 旺するの人は 果にして鋭、健にして能く久しく百折して移すこと能わず 奇険 惕すこと能わず 是れ 伯昏氏が射なり 曾(スナワ)ち何の利害を以て 心を動すに足らん 又 其気を養うにあり 気は持ち難き物なり 盈つる時は 則ち 驕り 餒える時は 則ち怯(オソ)る驕る者は 神 奮いて疎なり 怯るる者は 神 短くして懼れる 疎なる者は矢 を發つこと 多く大にして当ることなし 懼るる者は 多く少にして偏に斜めなり 此れ善く気を養う者は 和平にして撓まざることを貴ぶなり 所謂 木鶏の養と云うは此なり
夫れ 度量の弘きや 膽勇の壮なるや 気局の和平なるや 皆 射の托して 以って 其 巧妙を行う所なり 此 三の者を舍てて 徒に 法を言うとも 法 豈 所用を為さんや彼の 射て 法をしらざる者は 固より道うに足らず 法を知りて根を三の者に 托せざるは 法 固より 霊ならざるなり 此れ 射の大惑なり弁ぜずんば あるべからずなり